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音楽史年表記事編53.ピアノ・オルガンのための幻想曲創作史

 オルガンは鍵盤楽器のなかで最も歴史が古く、古代ギリシャ時代のパンの笛に水圧で風を送るようにした水オルガンがパイプオルガンの元祖とされています。そして、グレゴリオ聖歌が成立したとされる9世紀頃には、オルガンが再び製作されるようになり、ヨーロッパ各地の教会に設置されるようになったようです。ルネサンス期にはカール5世が神聖ローマ皇帝、スペイン王、ブラバント公、ブルゴーニュ公、ミラノ公、ナポリ公となり、フランス、イギリスを除くヨーロッパのほとんどを支配し、世界の植民地を手に入れ世界帝国となリ、この時代の音楽史ではルネサンス音楽が興隆しますが、オルガン音楽はイタリアと北のフランドルが中心となりました。セバスティアン・バッハは北ドイツのブクステフーデのオルガン音楽を学び、多くのオルガンのための幻想曲や前奏曲、トッカータ、フーガを作曲します。
 古典派期には鍵盤楽器の音楽はチェンバロからクラヴィーアに移りますが、モーツァルトがオルガン演奏でも達人であったことはあまり知られていません。モーツァルトのオルガン音楽の片鱗は最晩年の1791年にウィーンのミューラー美術館に新たに作られたラウドン廟のための自動オルガンのためのヘ短調の作品に見ることができます。その重厚な音楽はバロックの伝統を受け継ぐものであり、とてもモーツァルトの作品と思われないくらいです。
 ロマン派期には古典派時代のソナタ形式という束縛から解放されたためか、シューベルト、シューマンらによってピアノのための幻想曲が多く作曲されるようになりました。ショパンの4曲のスケルツォは、ベートーヴェン時代のスケルツォという様式から変容し、幻想的スケルツォとでもいうべきスタイルに変貌させています。ロマン派時代にはメンデルスゾーンによりバッハの音楽が復興し、ショパンはバッハに倣い24すべての調性を用いたピアノのための前奏曲集を作曲しています。

【音楽史年表より】
1577年頃~1621年頃作曲、スヴェーリンク(15~59)、オルガンのためのファンタジア・クロマティカ
バロック時代のオルガンの2大源流は北方のスヴェーリンクと南方のフレスコバルディによって開かれる。スヴェーリンクは1577年頃アムステルダムの由緒あるオウデ・ケルク(古教会)のオルガニストになる。1578年アムステルダム市はカルヴァン改革派の教義に転じたため、改革派は詩篇の歌以外の音楽の使用を認めなかったので、スヴェーリンクは礼拝式の前後に信者のために催されるオルガン・コンサートや教授活動に力を注いだ。(1)
1615年出版、フレスコバルディ(31)、チェンバロあるいはオルガンのためのトッカータとパルティータ集
ローマで初版が出版される。フレスコバルディはイタリアの生んだ最大の鍵盤音楽家のひとりで、わずか25歳でローマのサン・ピエトロ大聖堂のオルガニストの重職に就く。トッカータの原初の姿はベネツィアのアンドレア・ガブリエリあるいは甥のジョバンニ・ガブリエリによる自由で即興的な前奏曲「イントナツィオーネ」に認められる。(1)
1790年末?曲、モーツァルト(34)、自動オルガンのためのアダージョとアレグロ ヘ短調K.594
1791年3月から8月にかけてウィーンのラウドン元帥廟で鳴らされた葬送音楽であると推定される。(2)
1791年3/3作曲、モーツァルト(35)、自動オルガンのためのアレグロとアンダンテヘ短調K.608
3月から8月にかけてウィーンのラウドン元帥廟でミューラーの自動オルガンで鳴らされた葬送音楽であろうと推定される。1799年にクラヴィーアのための4手用幻想曲として出版される。(2)
1837年作曲、ショパン(27)、ピアノのためのスケルツォ第2番変ロ長調Op.31
ショパンの4曲の中で最も有名なスケルツォ。シューマンは次のように批評している・・「このスケルツォの情熱的な性格は以前の同類を思わせる非常に魅力ある曲で、甘美さと、大胆さと愛らしさと、にくしみがみちているので、バイロンの詩と比較されても不当ではなかろう。このような曲は万人を楽しませるわけにはいかない」。1836年から37年に作曲され、1837年に出版され、アデール・ドゥ・フェルステンシュタイン伯爵令嬢に献呈される。(3)
1838年作曲、シューマン(27、28)、ピアノのための幻想曲ハ長調Op.17
この幻想曲は1836年に「廃墟・ピアノのための幻想曲」の名のもとにスケッチされていた楽曲を第1楽章とし、そのあとボンでベートーヴェン記念碑寄付金に参加するために2つの楽章を追加し完成した。ここにはベートーヴェンの歌曲「遥かな恋人に」から「受けたまえこの歌を」の旋律が引用されており、ベートーヴェンへのオマージュでもあり、また音楽が有する超越的な力を象徴するものでもあった。(4)
シューマンは当初クララ・ヴィークに献呈するつもりだったが、39年4月にライプツィヒのブライトコプフ&ヘルテル社から出版されたときは、フランツ・リストに献呈される。(5)

【参考文献】
1.最新名曲解説全集(音楽之友社)
2.モーツァルト事典(東京書籍)
3.作曲家別名曲解説ライブラリー・ショパン(音楽之友社)
4.藤本一子著作曲家・人と作品シリーズ シューマン(音楽之友社)
5.作曲家別名曲解説ライブラリー・シューマン(音楽之友社)

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