投資を正しく怖れるということ

物欲が強くないので、放っておけばお金が貯まる私にとっては、資産運用を実施しないことよりも、お金のことで細かいことを考える時間のほうがもったいないと感じていた。

だけど子供も生まれ、もっと長いスパンで多くの変数を鑑みなければならない立場となったこともあり、漠然と無策にお金を定期預金や普通預金に預けるだけだと実質お金が減っているということに気付き、時代にあったお金の持ち方をしないといけないと考えを改めた(現状維持は衰退)。

物価上昇程度には資産を増やさないと相対的に減っていく。
子供を育てる上で学費やその他の教育費など多くのお金も今後増えていく。
一方で数十年後に、自身が高齢になって年齢ゆえに給料が減る、あるいは病気や体力低下から働けなくなるとなり収入は減る。
そうなっても
・今の生活レベルを維持
・無理に節約しないでも(自分基準で)ある程度生活していける
・必要な身体的サポートを賄う
・(もし生まれていれば)孫にいろいろ買ってあげられる
という希望を叶えたいということであっても、今時その資金を年金収入では賄えず、自前で準備できるよう資産を増やさなくてはいけないと理解した。

そしてその方法の一つが(金銭の)投資である。

  1. 第一の怖れ:投資による収益は目的か、手段か

    投資のことを考える時に大きくその行為の真意を二つに分けると理解しやすいように思う。お金が増えていくことのゲーム性・醍醐味を楽しみたいのか、それともあくまで前述したような将来実現のためのお金を準備したいのかである。

    前者は投資でお金をが増える幸福自体が「目的」とも言える。一方後者にとってはあくまで投資は「手段」である。その二つの側面を正しく認識し、投資によるお金の増加自体でなく、それによって実現したい将来(本来の目的)を見失わないこと、それがまずは正しい怖れ方の第一歩ではないかと思う。

  2. 第二の怖れ:インデックスファンドは何が規定しているのか

    私のように、安定的な毎日を将来にわたって実現したい、という人も少なからずいるだろうし、そういう場合にはまず日々の貯金に加えて低コストで低労力で長期運用による複利効果である程度安定的に増やすことが期待できる国債やインデックスファンドをとりあえず買って長らく眠らせておくことになるのだと思う。

    でも下記の番組で説明されている通り、それは強大な数社の影響が強いので、そういう会社にもしものことがあった場合を頭の片隅に置いておくことが必要なのだろうと思う。それが第二の怖れか。

    https://youtu.be/1xcm2-rV-3s?feature=shared

  3. 第三の怖れ:本当の意味での余剰資金の投資は理想を実現してくれる組織への投げ銭

    もう少し余剰がある場合はどう考えるか?

  • 前述の通り一定の戦略を練って、お金を増やすこと自体に価値を感じる人は、仕事あるいは個人の趣味としてその余剰分で増やす楽しみに使うことも一つ。

  • 損をしないことに価値を感じてとにかく安全なファンドを選ぶのも一つ。

  • でももう少しだけ自分の将来に積極的になるとしたら、自分のポリシーや考えに近い理念を持つ会社を応援する気持ちで(寄付に近い感覚で)株を買うこともできるかもしれない。その時は自分の信念でやったのだから仮に損があっても諦めもつくであろう。これが三つ目の怖れ。
    特にこの使い方は、将来単にお金を残すということだけでなく、自分の将来・子供の将来に対して自分の意思を反映させる行動であり、政治以上にターゲットが明確な点で、私はやりがいを感じる。

    • 少し話題は逸れるが、ふるさと納税を自分の自治体に使途を指定して払い、自治体のサービスとして元本分を享受しつつ、自分の理想形に自治体を方向づけるという上乗せ報酬を受け取ることは、運用ではないものの、上記の投げ銭のようなお金の使い方と通ずるものがあるように思う。

自分の将来をイメージして、それが成り立つように、あるいはそれを成り立たせてくれるような世界が実現するように、労力やお金を投げること、と投資を理解すると、自分の資産運用に対する致し方が腑に落ちる気がした。

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