秋の1日 another side

 隣の家の方から聞こえる叫び声で浩二は目を覚ました。
 昔は日の出とともに目が覚めていたというのに、最近はめっきり目覚めが悪くなってしまった。それが顕著になったのは、妻を看取ってからか。もっとも、看取る、といえるほどのものでもなかったが。昔のことを思い出し、自重の笑みを口元に浮かべる。
 上体を布団から起こし、カーテンを開ける。そのついでに窓も開ければ、冬の近づきを知らせるかのように少し肌寒い風が入り込んで来た。開けた窓から視線を飛ばせば、隣の家の糸瓜の実がすっかり大きくなっている。ならば先ほどの叫び声はそれに関係することだろうか、と年甲斐もなく心待ちにする自分がいることに気がついた。
 ここ最近は楽しいと思えることがなかったので、今日はいい日になりそうだ、と思いながら台所に向かい、食事の準備を始めた。

 浩二はもともとこの国の人間ではない。ここよりはるか東の国の出身だ。仕事でこの国に家族を引き連れてやってきたはいいが、息子はちょうど反抗期。浩二が息子と向き合うのが面倒になり仕事に逃げたため、妻はたった一人で息子の世話をしていた。なにか相談されても、仕事で疲れているから、と言い訳をしてろくに相手にしなかった。息子が就職し、独り立ちができたのは妻の誇りになっていたようだ。その苦労が祟ったのか、息子が就職して5年。浩二が定年で仕事を退職してから1年後のある日、妻は倒れた。病室で看病している間も、ただ穏やかに笑っていた妻に、浩二は責められたかったのかもしれない。もっとも、人を責める、ということができない妻相手だからこそそんなことを思っていた、ということも浩二自身わかっている。
 そんな風に、まだ若い頃のことを思い、家で何もせずに暮らしていた時のことだ。隣に越してきたウッドマンが、浩二の庭先にある糸瓜を指差し、それはなにか、と聞いてきた。突然のことに驚き、しばらく口が半開きになっていたのを覚えている。焦れたウッドマンにもう一度尋ねられた時になってようやく、それが糸瓜であり、日除けのために植えているのだ、と説明した。
 そのことに感動したのか、ウッドマンは糸瓜の種を分けてくれないか、と頼んできた。
 特に断る理由もないので、糸瓜の種を分けると、翌年から隣の家に糸瓜のツルを見かけるようになった。
 ウッドマンはその家に鳥の羽の生えた男と住んでいるようだった。
 その年、浩二の家を訪ねてきたのはウッドマンと同居しているであろう鳥羽の男だった。どうやら糸瓜の実の始末で困っているらしい。食べればいいだろう、といえば『たべれるんですか!』と驚いているのを覚えている。
 その後も交流は続き、この時期になると出来上がった糸瓜を持ってくるのが恒例になっている。

 異国でどうにか生活をし、妻にも苦労をかけるだけかけて先立たれてしまったが、いまではようやく日々を楽しいと思えるようになっているのかもしれない。こんなことをいえば、離れたと ころに暮らし、母の苦労を間近で見てきた息子には怒られてしまうかな、と思いながら、浩二は食器を流しに持っていく。知らず、鼻歌を歌いながら。

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