キシカベ

前の話

 メイラがテンリにビンタをくらわせた。そんな噂が広まったのは、テンリが子爵城への登城が許されてからだ。もっとも、テンリが入城を禁止されていたのは午前中だけという極めて短い間であり、子爵城で働く人の中には、テンリが入城禁止になっていたことを知らない人も多い。
「いやいや!!本当ですって!メイラさんがテンリにビンタしたんですよ!!」
「まさかお前がそんなホラを吹く奴だとは思ってなかったよ」
「意外だよな。でも幾ら何でも突飛すぎで誰も信じねぇぞ、それじゃあ」
 噂というのは、当然その噂を広めたものがいる。例えそれが事実であっても、信じられることがなければ、それは事実として伝わるのではなく、噂という形で広がっていくのだ。
「いや、もしもテンリの方がメイラさんにビンタを食らわせたってんなら、まぁ、普段のあの仕事振りを見てたら、もしかするとあったのかもしれないなぁ、程度には思うがよぉ、メイラさんが、テンリにビンタをしたんだろ?メイラさんがどれだけ強いかは知らないが、少なくともメイラさんのビンタを、テンリが避けられねぇ訳ないだろう。だから、メイラさんがビンタをしたっていうのもありえないし、テンリがそれを受けたっていうのもありえねぇよ」
「自分もそう思いますが、でも本当なんですって!!城から出てきたメイラさんが、近寄ってきたテンリにいきなりビンタしたんですよ!」
「あぁぁ、もう。しつこいぞお前。いいからさっさと訓練の準備しろよ。口を動かすのはやるべきこと終わらしてからにしろ」
「くそッ・・・・・・!!誰も信じてくれねぇ!!」
「え、なに、お前、会う奴会う奴全員にその話してんの?」
 三人の中でもっとも下っ端の扱いを受けている兵士が叫び声をあげながらも、これから行われる訓練用の模擬刀を背中に背負う。
「だって誰も信じてくれないんですもん。・・・・・・くッそォ。テンリも笑ってないでフォローしてくれたらいいのに」
「・・・・・・え、なに、お前テンリがいるところでもメイラさんの話したの」
「当然じゃないですか。当事者ですよ当事者。さすがにテンリが証言してくれれば、これも噂じゃなくて事実として広がると思ったんですけど」
「・・・・・・お前はそれを広げてどうしたいんだ」
「別に広げたいわけじゃないんですよ。ただ、噂として広がってるのが許せないだけで。だってメイラさんがテンリをビンタしたって話の出処を辿れば、僕にたどり着くわけでしょう?この話がデマとして伝わっている現状、この話をしている僕が嘘つきってことになって、それは大変不本意ですので」
「なるほどな。お前がどういう意図でこの話を広げてるのかがやっとわかったよ。じゃ、いい加減訓練処に行くぞ。ほかの奴らが待ってるからな」
「はいよ」
 訓練に必要な物資をそれぞれ持った三人は、物品倉庫から訓練処に向かって歩き出した。


「・・・・・・メイラ、最近お前俺にビンタしたって話が噂になってるぞ」
「そうみたいね。でも助かったわ。これまでの私の行いのおかげで、そんなことする人じゃないって思われてて。もしも私が平然と暴力を振るう人間だと思われたら、司教としての立場がないもの」
「結構口より手のほうが早いんだけどなぁ」
「・・・・・・ところで、その話をしてるのって誰?」
「ん?あぁ、覚えてないか?俺にビンタした時、お前に俺の入城が許可できませんって言ってきた奴」
「あぁ、あの子か。・・・・・・後でちょっと記憶でも飛ばしてこようかしら。ありがたい神様の話をしてたらきっと記憶の一つぐらい飛ぶわよね」
 自分に関する噂の処理を、かなり物騒な方向でメイラが検討していることを、兵士はまだ知らない。

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