高校3年生の時の担任が亡くなった

書いておかないと二度と思い出さないような気がするので久々にnote。

高校の同窓会新聞みたいなのが家に2通届いた。というのも一昨年死んだ父親も同じ高校に通っていたからで、どうやったら死んだやつに届くのを止められるのかを調べるのが面倒で大放置しているのだけれども、まあその話はいいとして、なんとなく開封して目を通したところ、私の高校3年生の時の担任、さらにいうと中学1年生の時の担任でもあった先生の訃報が載っていた。

そうか、死んじゃったか、何歳だったのか知らないけど、てか訃報に享年書いてないことある?

というのが正直な感想だったのだけど、それから2日経った今、なんかわりといい先生だった気がしてきたので、思い出を書く。

その先生は数学の激鬼難しいテストを作成して、たくさんの生徒に現実を見せたことがあった。0点の人が大量発生して、平均点が17点くらいだった。問題とかは覚えていないが、単純に公式を覚えていたらとけるとかそういうのではなくて、数学的な思考力みたいなものを試すようなやつだったんだと思う。私は34点とかそんな感じの得点で2位だったのでいい気になっていたのだが、1位のやつは80点らしいという噂が流れてきて、自分は天才ではないと覚った。なので、まあ、天才ではないけども、この数学の先生には気にしてもらっていたと思う、2位だから!これがもしかしたら俺の人生のピークだったかもしれないけど!2位だから!

そんなしょぼい人生のピークから時が経ち、高校3年生になった私は、たぶん人生で一番尖っていた、反抗期みたいなものだと思う。が、不良になるとかそういう尖り方ではなくて、校則や法律をやぶることもないし学校は皆勤賞でなんならみんなより早く登校しなくてはいけない委員をやっていたので、先生からしてみるとわけがわからずやっかいな生徒だったと思う。

どういうことかというと、まず授業中はだいたい前の席のやつと喋っていた、そしてたまに漫画を読んでいた。それから今では本当に反省しているのだが、日直日誌に「そんなに勉強してもたいして変わらないよ」みたいな受験勉強のやる気を削ぐことを書いたりしていた。こんなやつが高校3年生の時にクラスにいたらどうですか、邪魔だよね。いじめの標的にならなかったのが不思議なくらいなのだが、まあそれだけみんな他人のことなんか気にせずに、受験や自分の将来などに真剣に向き合っていたのだと思う。

まあとはいえ、担任はそうは言っていられない。こんな愚かな生徒も導かなければならないのだ。

となると、普通は怒る、叱る、注意する、などになると思うのだが、この先生は違った。授業中に漫画を読んでいたら「お、関村、今日は静かでいいね。」と褒めたのだ。前の席の人と喋っているより、漫画を読んでいるほうが助かります、ということだし、公式に漫画がオッケーだと言うならば喜んで読むに決まっている。それ以降私はこの担任の担当教科である数学の時間は堂々と漫画を読めることになったし、クラスのみんな(特に私の前に座っていたKくん)は数学に集中できるWin-Winの関係が出来上がったわけだ。さらにいうと、担任は私が数学の授業をまったく聞かなくても赤点をとることはないと信用してくれていたということでもある。(実際数学では赤点をとらなかったけど、英語が赤点ギリギリで危うく卒業できないところだったのには先生も焦ったとは思うが)

それからしばらくして、第一志望大学を直感のみで決めたうえに、第二志望以降は無しで他の大学は受験すらしない、という、ラリっているとしか思えない私の決断を知って困惑している母親と私と先生の三者面談でも「わかったけど、とりあえずここ(都内の某私立)も本命学校のテストの練習と滑り止めだと思って受けてみなよ」くらいの、親も納得する、ほどよい妥協案を提示してくれて、特に反対もしないでくれたのだった。先生には私に行ってほしい大学(都内の某国立)があったはずなのだが、いつの間にか見捨てられたのか、好きに生きろと思ってくれたのかはわからない。あげく滑り止めにきっちり落ち、逆にかなりのプレッシャーを感じながら本命の大学を受験することになるのだが、これは自分のせいであろう。

それから数年後、大学生活をエンジョイしまくった(大学選びの直感は間違ってなかった)ツケを払うかのように、大学卒業を捨てることになった私は専門学校に通うために提出しなければならない書類を貰いに母校の職員室で、この先生と再会する。授業中にいつもお喋りしていたKくんと共にやってきた私に「まだ仲良いのか」くらいのことを言って、特にお説教もなくあっさり書類を発行してくれたのだった。

こうして書いてみると、単純に私に興味がなかっただけのような気もしてくるのだが、私にとってはこれくらいの温度感の先生がいいのだと思う、金八みたいのがいたらウザくて登校拒否しかねない。

たしか、能だか狂言だかが好きだと言っていたけど、老後はたくさん楽しめたのだろうか。冥福を祈る。

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