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夢であいましょう

 影郎が死んで、ぼくは八年勤めた東六区図書センターを辞し、彼の店を引き継いだ。
 店の名は「ハカタヤ」といった。その名の通り、博多人形が飾られている。それは影郎が子供の頃、祖父が買ってくれたものだという。少し彼の面差しに似ていた。
 朝、目を覚ますと、影郎の姿がないことを不思議に思う。台所に立って、いつも味噌汁を作っていた。「紘君、おはよう」と云って笑いかけてくる姿がないことを淋しく思う。足許に纏わりついてくる猫は、もう彼の不在に慣れてしまったのか、以前と変わらない様子をしていた。
 猫になれたら、と思う。
 彼の死んだ姿を何度も夢に視た。病院の霊安室で見た、譬えようもなく悲惨な姿を。前の晩、影郎は妙に淋しそうにしていた。いつも元気で屈託がないのに、その日は口数が少なく、ぼくの傍を離れようとしなかった。
 何かを感じとっていたのだろうか。
 翌日、出勤する時、店に来られるかと訊ねてきた。
「今日は遅番だけど、帰ってから行こうか?」
 嬉しそうな顔をして「待ってる。早く来てね」と、影郎は云った。その約束を果たすことが出来なかった。彼が何かを頼んだのは、それが最初で最後だった。初七日の法要に出て、はじめて彼の墓に参った。墓石には、倶會一處と彫られている。持ってきた花を供えたが、それを彼が好きだったかは知らない。
 ぼくは、影郎の好きなものを何も知らなかった。向こうはぼくの好みを熟知していたというのに。
 店では音楽を掛けたりしていなかったが、影郎は手が空くと片隅でギターを爪弾いていた。図書センターの同僚だった木下亮二が、店で掛けるのに良さそうな曲を選んでくれた。
「あんまり喧しいのはいかんだろうし、民謡掛けるのも違いますしねえ」
 そう云って後日渡されたデータには、ジャンゴ・ラインハルトというジャズギタリストの曲と、バロック音楽の小品が入っていた。ジャンゴ・ラインハルトの名は『ギター弾きの恋』という映画で知っていた。影郎と一緒に観た。矢鱈自信家で、碌でなしのジャズギタリストの話である。彼は口の利けない無垢な感じがする、ギタリストの恋人を可愛いと云っていた。
「こういうタイプが好み?」
「好みのタイプってないけど、なんか可愛いじゃない。体型も痩せぎすじゃなくていいし」
「サマンサ・モートンっていう女優さんで、『code46』って映画にも出てるよ。今度借りてこようか」
「それはSF?」
「うん、近未来の話」
「観てみようかな」
 ぼくは映画が好きだったけれど、影郎が本当に好きで観ていたのかどうかは判らない。図書センターにはよく来たが、それは木下君に会いに来る為だったようだし、彼から映画の話を聞いたことはなかった。ぼくにつき合って観ていただけなのかも知れない。
 影郎のものを整理しようとしたが、出来なかった。まだ思い出が鮮烈過ぎて、それを切り捨てることが出来ない。ぼくより小柄だった彼の服を眺め、それを着ていた姿を思い出した。一緒に出掛けたり、部屋で他愛無いおしゃべりをしていた。影郎は腕時計もアクセサリーもつけなかったが、何故か遺品の中に懐中時計があった。
 故障しているのか動いておらず、見るからに古いものである。時計店に修理に出したら、かなりの骨董品なので、うちでは扱いかねると断られた。きれいな細工なので枕元に飾っておいた。そうしたら、夢に影郎が出てきた。悪夢の中の影郎ではなく、生きている時の、にこやかな彼である。
 ——その時計ね、アイルランド人の友達に貰ったんだよ。スイス製なんだって。
「動かないんだよ」
 ——螺子を巻けば動くよ、ほら。
 影郎はぼくの手から時計を取り上げ、螺子を巻いた。時計は息を吹き返し、時を刻みはじめた。
 翌朝、起きてみると、懐中時計は本当に動いていた。不思議なこともあるものだ。猫がベッドに乗ってきて、その時計の匂いを嗅いでいる。彼の気配を感じるのだろうか。
 影郎は料理が趣味だったが、そのレシピは一切残されていなかった。勘で作っていたのだろう。あれこれ揃えられた調理器具を見て、自分でも作ってみようかと思った。煮物が一番簡単だと云っていたので、試してみることにした。
 彼とよく行ったスーパーマーケットで適当な食材を買い求め、帰ってからインターネットで調理の仕方を調べてみた。根菜類は水から茹で、葉もの野菜は沸騰したお湯でさっと茹でると書いてあった。調べなければ一緒に煮ていただろう。肉じゃがを作るつもりだったが、読む限りは簡単だった。初心者向きの料理である。

肉じゃが
 じゃがいもは四等分にし、水に晒してあくを抜く。
 人参は乱切り、玉葱は六等分の櫛切りにする。
 豚肉はひと口大に切る。
 鍋に油を引き肉を炒め、色が変わったら野菜を入れる。
 じゃがいもの端が透明になったら水を入れ、あくを取り、だしの素、味醂、酒、醤油、砂糖で味つけする。
 しらたきを入れ、五分程煮て、器に盛り、茹でた絹鞘を散らす。

 プリントアウトしたレシピを傍らに置いて作った肉じゃがは、普通に美味しかった。
 ——肉じゃが作ったんだね。
「うん、結構上手く出来たよ」
 ——簡単だったでしょ。
「櫛切りっていうのが判らなかったから調べた」
 ——髪を梳く櫛のような形に切ることだよ。後は判った?
「なんとかね。自分が食べる分くらいは作ろうかな、折角いろいろ揃ってるんだし」
 ——サラダは簡単だよ。ドレッシングは食べる直前にかけないと野菜がしなしなになっちゃうけど、それはそれでおひたしみたいになって美味しい。

「草村君、元気が出てきたようじゃの」
 店に顔を出した影郎の従兄弟、遊木谷左人志がそう云った。
「ええ、もう半年以上経ちますからね。くよくよしていても影郎は戻ってこないですし」
「やっとそう思えるようになったんか、安心したわ。でも、センター辞めてこんな店ひとつでやってけるんか」
「なんとかなりますよ。影郎が築いた地盤がありますからね」
「まあ、あいつは交流範囲が広かったでのう」
「彼が死んだことを知らないひとがやって来ることもあって、そういう時はしんみりした雰囲気になりますけど」
「辛気くさいのはあの子ぉ苦手じゃったでの、賑やかにやってや」
「ええ、バーですからね、みんな陽気に呑んでますよ」
「それが一番じゃて。しんみりしちょったら酒が不味うなるでな」
 その晩は甘利さんや木下君も来て、店にあった影郎のギターで木下君がいろいろ弾いてくれた。
 ——今日は愉しかったみたいだね。
「木下君がギターを弾いてね、仕舞いにはみんなで合唱したよ」
 ——あはは。リョウ君、恥ずかしがってなかった?
「酔ってたからね。彼、ほんとギター上手いね」
 ——うん、凄いよ。ライブでアコースティックギター弾くことはないけど、ベースもドラムも出来るし。
「そうなんだ。ぼく、楽器はまるで駄目だから尊敬するなあ」
 ——尊敬なんて。練習すれば紘君だって弾けるよ。
 彼が慈しんだあおという名の猫と三人で、数ヶ月だけ暮らしたアパートの部屋は、ひとり欠けた分だけ空疎になったが、やがてそれにも慣れた。夢の中で影郎にあれこれ一日にあったことなどを話す。彼に訊かれたことにひとつひとつ答える。生きていた頃と同じように、彼は自分のことは話さない。此方も死んだ人間に何か訊いても仕方がないような気がして、何も云わない。
 影郎は生きていた時と同じようにぼくのことを紘君と呼んで、傍らに座り、よく笑った。目が醒めると、彼は居ないのだという事実に胸が締めつけられ、思わず涙が溢れることもあった。それでも、影郎が夢に出て来るのが嬉しくて、充実した一日を送ろうと思う。そんなことは、三十年生きてきて一度もなかった。
 おかしな形で、随分前向きになったものである。怪我の功名とでもいうのだろうか。
 夢のことは誰にも云わなかった。いい齢をした男が毎日のように死んだ男の夢を見るとは、恥ずかしくてとても口に出来ない。
 ぼくの料理の腕は少しづつ上がり、外食することは殆どなくなった。時々、影郎が季節に合った料理を教えてくれる。春は筍や山菜がたくさん出廻るからと、若筍煮や木の芽和え、菜の花のおひたし、夏には冬瓜の水晶煮、焼き空豆、秋は大和芋の磯辺揚げ、鮭と茸のホイル焼き、冬は根菜類が美味しくなるからと、ふろふき大根や擦り下ろした蓮根を使った鍋の作り方を教えてくれた。
 左人志さんの家へ行き、ふたりで鍋を囲むこともあった。話はどうしても影郎のことになってしまうが、左人志さんがおおらかな性格をしているので、そんなにしんみりとはしない。影郎はあまり酒を呑めなかったが左人志さんはよく呑むので、ふたりで熱燗を傾ける。
「なんや草村君は料理が上手なったのう。影郎が作れんゆうちょったけど、あいつに習ろたん?」
「習ったりはしませんけど、家に彼が残した調理器具がたくさんあるので、勿体なくて作るようになったんです」
「うちにもようけあるけぇど、ぼくはそんな気にはなられへんのう」
「ぼくも影郎みたいには出来ないですよ」
「あの域に達するには修行せんならんわ」
 彼は笑って云う。そうした晩は、車では帰れないので泊めてもらうことになる。影郎が使っていた部屋は、これといって何もなく、実に簡素なものだった。納戸に仕舞ってある掛け布団を持ってきてくれた左人志さんは、なんもない部屋じゃろう、と呟くように云った。
「あの子の親が外国行ってから、母屋に住むようになったんじゃけえどなあ、それまでは庭の倉庫に住んどったんだわ。ひとが住めるようなとこちゃう思うんじゃけぇど、面白がって長いことそこに居ったのう」
 庭にある倉庫は、今では庭いじりの道具や肥料などが入れてある。あんな処で寝起きしていたのかと吃驚した。
「バンドをやっていたのに、音楽関係のものは殆どないんですね」
「あの子はのう、自分のもんはなんも慾しがらんかったんじゃ。パソコンもぼくのお下がりで、ギターも誰かにもろうたやつじゃったしの」
「無慾だったんですね」
「まあ、慥かに慾はなかったな。やる気もあるんかないんか判らんような奴やったでのう」
「好奇心は旺盛でしたけどね」

「おかえり」
「ただいま。外、雨降ってるよ」
「ほんと、午間は晴れてたのに。最近天候が不順だね」
「秋だからね」
「ご飯は?」
「まだ食べてない」
「じゃあ、一緒に食べようか」
「食べてなかったの?」
「うん」
「待ってなくてもいいのに」
「ひとりで食べても美味しくないもん」
「そりゃそうだね」
「すぐ作るから」
「なに作ってくれるの」
「有り合わせのものだけど、けんちん汁とかでいい?」

けんちん汁
 干し椎茸を戻す。
 鍋に干し椎茸の戻し汁と、水を入れて煮立たす。
 ピーラーで薄く削いだ大根、乱切りにした人参、蓮根、鉄砲に切った葱、スプーンで一口大にした蒟蒻、油揚げ、ちくわを入れて煮る。
 酒、だしの素、醤油、味醂で味を整える。
 食べる時に好みで七味をかける。

 影郎が死んだのは冬だった。春になり、桜が咲き、薄紅色の花弁が舞い散る中を、ひとびとは俯いて歩いてゆく。事故の起きた交差点も、普通に車が行き交っている。ガードレールの片隅に誰かが置いた花瓶には、枯れ果てた花の残骸がうち萎れていた。そこで何があったか覚えているひとは居ないのだろう。
 ひとは自分に関係ないことは考えない。そんな閑などないのだ。誰もが生きるのに必死で、留まって物事を顧みたりはしない。たまにそうする時は、気が弱くなっているのである。皆、エスカレーターに乗るように順序よく前へ進んでゆく。そこから外れることはない。外れるのは、死んだ時だけである。
 緑の若葉が萌える季節になり、その色が雨の降るごとに濃くなって、ぼくは三十一になった。影郎は二十七才のまま、写真の中で微笑んでいる。もう、淋しくはない。彼とは夢で会えるのだ。生きていた時と同じようにお喋りをし、笑う。いろいろなことを教えてくれる。
 店でジャンゴの軽快なリズムのギターを聴き、コーヒーを淹れて飲む。酒瓶の横で済ました顔をしている博多人形を眺めて彼のことを思う。影郎は何か思い残すことがあって夢に現れるのだろうか。ぼくのことを心配しているのだろうか。それとも、ただぼくの願望からそういった夢を視るのだろうか。
 じゃあまたねと云って、彼は何処かへ消えてゆく。
 また会おう、夢の中で。

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