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沼神

 村の外れにある、あばら屋同然の茅葺き屋根の家に、その老爺が住むようになったのはいつからだったであろう。誰も覚えていなかった。ふらりとやって来て、そこへ住み着いた、といった印象しかなかった。ただ、金に困るようなことはないらしく、町へ出掛けることもなく、村人たちは剣呑がって、そこへは決して近づこうとはしなかった。老爺を余所者と避けるというよりは、彼が住む家の近くにある水松色の、どんより濁った沼が恐ろしかったのである。
 老爺の名は川津といった。
 沼へ向かう道には、古いちいさなお社がある。それは、沼で死んだ少女たちを供する為に建てられたものだったが、老爺の家と同じように、半ば朽ちていた。しかしその前を通る者は、必ず合掌し、逃げるが如くにそこを立ち去った。
 この沼は昔から底無し沼と云われ、数百年ほど前までは、沼神様の為に年に一度、汚れのない乙女、つまり、初潮を迎えていない娘を差し出すのが習わしとなっていた。
 生け贄の娘は片目を抉られ、逃げられぬように片足を切り落とされる。一年間、魂に潜む邪心を取り除く為に、神社に幽閉された。そして一年の中で最も午の長い日に板舟に乗せられ、沼の中ほどまで板船を漕いで来た若衆に抱きかかえられると、静かに水面へ浮かべられた。
 ねっとりとした水草が縺れる沼の水面に浮かぶ白い着物を纏った少女は、さながらオフィーリアのようだったのではなかろうか。
 板船を操る若衆は、後を振り返ることもなく、長い竹竿を操って岸へと戻る。若衆が岸へ着く頃には、沼の中ほどにぷくりと泡が生じては消え、娘の着物の端がゆっくりとねばりつくような水面に引き込まれるところを、村人たちが合掌し乍ら目を凝らし視詰めていたという。
 当時のひとびとはこの沼を「ふたえ沼」と呼んでいた。女の黒髪のような水草が十重二十重にうねうねと靡き、魚すら居着かなかったからである。
 だが、今の村人たちで、沼の名前など覚えている者はもう殆ど居ない。この生け贄の儀式も、いつの間にか形式を遺すだけとなり、盆の中日に悪しきことを遠ざける為、熊笹の船に白い布を巻きつけ茅で作った人形を乗せて流すのみである。

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 さて、沼の傍に住む川津老人であるが、彼は村人が云うように、完全な部外者である。この土地には縁もゆかりもなく、ただ、沼の畔に誰のものとも知れず建って居た廃屋を二束三文で買い取り、住み着いたのだった。猫の額のような荒れた庭を開墾し、細々と作物を作っていた。
 田舎者特有の排他的であり乍ら詮索好き、といった女郎蜘蛛の巣にも似た村人の網の目にも、彼の前身は引っ掛かって来なかった。取り立てて無愛想ではなく、近隣のひとに出会えば挨拶をするし、作っている野菜が素人だけあって少々変わっていたからか、それを一番近くに住んで居るわたしの処へ持って来るようになった。
 持ち重りのする花のような形をしたのはアーティーチョークといって、そのまま塩茹でして、花びらのような部分をしごいて食べるとのことである。その通りやってみたが、まあはっきり云って面倒くさかったし、取り立てて旨くもなかった。
 レストランなどのサラダによく出てくるルッコラや、胡瓜のような形であり乍ら南瓜の一種であるズッキーニなどもよく持って来た。ズッキーニの花を持って来られた時には、花瓶にでも生けろというのだろうかと思ったが、雄蕊、雌蕊を取り除き、花の中に挽き肉にみじん切りの玉葱と大蒜を炒めて詰め、蒸し焼きにして食べると美味しいのだと教えてくれた。
 わたしとこの老爺は、斯うして野菜と料理を介して親しくなった。わたしはこの村の出身なのだが、長いこと都会に居り、母の死を契機に早期退職して実家へ戻った。ひとり暮らしにはあまりに広い田舎家に引っ越して来て、その半年後にその老爺が来たのだ。まあ、村人からすれば、お互い余所者にしか思えなかっただろう。
 或る日の午後、川津老人がつやつやした表皮の赤とオレンジのパプリカを笊に入れてやって来た。これはサラダにもいいし炒めてもいいし、酢漬けにしても旨いんですよ、という言葉に、
「川津さんは料理人でもやっていらしたんですか」
 と訊ねた。その言葉に少し顔をこわばらせ、俯いた川津さんの姿を見て、ああ、こんな詮索するようなことを口にした以上、わたしと爺さんの関係ももう終わりだな、とまで思った。
 しかし老人は笑みを浮かべ、「いいえ、料理が趣味なんですよ」と答えた。はぐらかされた気もしたが、川津さんが「この間のチェスの雪辱戦をしたいですな」と意気込んで、この話は終わりになった。
 いつの間にやら川津老人が我が家を訪ねてくると、何故か囲碁でも将棋でもなく、チェスを戦わせるようになっていた。お互い、それ以外はトランプのババ抜きと七並べしか知らなかったのである。チェス盤は川津老人が持ってきた。というのも、わたしはそういった遊興用品は引っ越す際に凡て処分して来たからだ。
 そのチェスの駒は、普通と少し違っていた。
 通常ならば白と黒の駒が、白と赤なのである。訊ねてみたところ、それは幼くして亡くなった彼の娘の遺品で、特別に誂えた物だということだった。
「娘は、有名な英国の童話の『不思議の国のアリス』が大好きだったんですよ。たまたま不思議の国と鏡の国の二冊の絵本が古本屋の書棚にありましてね。洋書で誰が売り払ったものやら、かなり古びた物でしたが、せがまれるまま買ってやりました。そして、拙い語学力を駆使して話してやったのです。けれども、あの話は言葉遊びが多くて難儀しましたがね。その後、日本語のものを与えたのですが、取り憑かれたかの如く、何度もなんども読み返していました。まあ、普通だったら絵本を集めるとか関連する雑貨を集めるとかで済むのでしょうが、娘は『赤の女王』『白の女王』に魅入られて仕舞ったんですね。読めば判ると思うんですが、赤の女王はヒステリックで、気に入らない者が居るとすぐに『首を刎ねよ』と云うのです。残酷な人物ですが、チェスもそういった側面があるようにわたしは思いますね」
「どういったところがですか」
「譬えば、すべての駒は王を守る為に動きますね。城も女王も、王より有利な動きが出来ます。そして、これは将棋と同じなのですが、指し手はすべての駒を犠牲にして王を守るんですよ。現実にはちょっと考えられない話じゃないですか」
 そう云われてみればそうだな、と思い、わたしは頷いた。
「まあ、レディ・ファーストという考え方は、アメリカ開拓時代に生まれたものですけれども、古来、城まで犠牲にする、というのはあまりない考え方ですね。最後の砦、と云うくらいで、『城を空け渡す』のは、すなわちこれ、敗北を意味するのですから、王が生きて居ようが死んで居ようが、勝ち負けは本来そこにあると思うんですよ。ですから、わたしはこのゲームにとても興味を唆られるのです」
「そう云えば、最弱のポーンは相手の最終陣地に至るとクイーンに成りますよね。あれも、意味深ではありますね」
「そうです、そうです」
 川津さんは、嬉しそうに何度も頷いた。
「王は絶対的な存在なので、ひとりしか居ません。ですが、女王は何人でも、それこそ小姓の裡からでも立身出世して現れるのです」
「お嬢さんとチェスをすることはあったんですか」
「それはなかったですね。娘は体が弱くて寝てばかりいたのですが、本が好きな子でした。十七で死んでしまったんですけどね」
「そんな若くに亡くなったんですか。他にお子さんはいらっしゃらなかったんですか」
「ひとり娘でした。妻もそれからほどなく体を壊してしまって、後を追うように亡くなりました。以来わたしは、ずっとひとりです。料理もそんな暮らしなので自然とやるようになったんですよ」
「そうなんですか……。ぼくもひとり暮らしが長いんですけど、此処に戻ってくる前は料理なんかしませんでしたねえ」
「あなたは此方の出なんですか」
「ええ、この家で生まれ育ちました。此処を出るまでは、こんな田舎は厭だいやだと思っていたんですけど、離れてみると良い処だったと思いましたね」
「此処は良い処ですよ。隠居するにはもってこいの場所です」
「川津さんは、此方にまったく縁がなかったんですか」
「ないですよ。ただ、家の近所の沼のことは民俗学の本で読んだ記憶があります」
「ああ、あの沼……。彼処はこの村では禁忌というか、触れてはならない場所でしてね。結構悲惨な歴史があるんですよ」
 そう云って、聞き伝えの沼の伝説を話した。
「独眼隻脚にするのは、神に近づく為なんです。日本の民間伝承に於ける神は、片目片足の事が多いらしいんです。そうでなくても、躓いて樹の枝で目を突いたり、事故で片足になってしまったりして、無理矢理そういった状態にさせてしまうんです。これは恐らく、ゆきずりの外来者を排斥した際、村人たちがそうしてしまって殺したりして、その霊を慰める為に祀ったのが神と畏れられ、やがて豊作や平安を祈るようになったんじゃないでしょうか」
「なるほど、なかなか興味深い話ですね」

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 或る夏の暑い日、川津さんが持ってきてくれた野菜を台所へ持ってゆき、冷蔵庫を見ると冷やしてあるのが水しかなくて、仕方なくそれを出したら、
「あなたの飲み水は、いつも店で買ってくるミネラルウォーターなんですか」
 と、ひとくち飲んで訊いてきた。
「ええ、街に居た時の習慣で……。それに此処の水、沼の所為なのか不味いでしょう」
 老人は微笑みを浮かべて、
「そうですね、此処の水は田舎なのに不味いですね」
 と云った。
「多分、あの沼の所為だと思うんですよ。水道水以外は山から清水を引いてそれが直接出るようになっていますからね」
「清水が不味い訳はないですね。水源は何処なのですか」
「川津さんの家の裏にある山の天辺に泉が湧いているんですよ。そこの水が伏流水になっているらしいんですけど、地下で沼と繋がっているのかも知れませんね」
 その翌日、わたしは家で出来る仕事を遅くまでこなして、起きたのは午近くだった。目を覚ましたのは、扉をどんどん叩く音の所為であった。この辺りのひとびとは玄関に鍵など掛けない。回覧板を持って来たひとが扉をぎしぎし開けようとして吃驚したくらいだ。
 激しいノックの主は警察官だった。
 寝ぼけ眼で相手を見遣ると、
「ご無事ですか」
 という言葉を相手は口にした。思わずわたしは「は?」と云った。寝起きで相手が誰だかも判らない。しかし、緊迫した雰囲気は判る。それくらい彼の顔は青褪めていたのだ。
「先刻、寝たばかりで……。何かあったんですか」
 彼は少し口籠ったが、
「村のひとびとが全員、今朝亡くなったのです。匿名の電話かあって、事情が判らずこんな時間になって仕舞ったのですが……」
 若い警官は、自分の不始末を悔やむように下唇を噛み締めた。
 村の人間が全員死んだって?
 十人や二十人じゃないんだぞ。
 眠気は一気に吹き飛んだ。
「本当に、全員なんですか」
「ええ、あなたを除く凡てのひと達です」
 そこにはわたしを疑う風な感じも無きにしも非ずであったが、わたしは夕べ、ひたすらコンピューターのキーを叩き、仕事を失った後に契約した会社の書類と取っ組み合っていたのだ。書類が出来上がったのが午前の四時半で、インターネットで社へ送り、念の為保存し、更にプリントまでしたのだ。
 脳味噌がすっかり疲れていたが、そういう時に限ってなかなか寝つけない。ジンロックを飲んで、布団に潜り込んだのが朝の六時近くだった。
「川津さんは、川津さんも亡くなったんですか?」
 警官は、不思議そうな顔をして、かわづさん? と呟くように云った。
「それはどなたですか」
 自分の家に一番近い村はずれに住んで居る老人だと説明すると、警官はぽかんとして、
「あの廃屋には誰も住んで居ませんよ」
 と、抑揚のない声で答えた。
 納得がいかなかったわたしは、警官とともに川津老人の家へ向かった。崩れ掛かった茅葺き屋根が見えて来た。
 その家屋を目の当たりにして、何故かわたしは身体中が冷えびえとしてくる感じがした。古びた板戸は崩れ落ちている。庭には雑草がぼうぼうと生え放題で、そこには畑など陰も形もなかった。家の裡に這入ると、黴と何かが腐ったような臭いが充満していた。畳は湿気を吸って波打っており、平衡をなくした床の為に押し入れの襖が仆れている。
 そして——。
 二段に分かれた押し入れの上の段に、白装束の美しい少女が横たわって居た。よく見ると、右目に中国刺繍の(スワトウと云うのだろうか)ちいさな白いハンケチが乗せてあった。警官が恐るおそるその布を取り去ると、目蓋ごと刳り貫かれた眼窩が現れた。
 ハンケチを取り除いたのが切っ掛けでもあったかの如くに、娘は、ぐずぐずと腐敗していった。本当に、腐ってゆく音がしたのだ。腐敗が進むごとに、沼に生える水草が彼女を取り巻いた。水草は餓えたように娘にぐるぐると巻きついてゆき、完全に包み込んで仕舞うと、ずるずると畳を横切り、廃屋を出て沼の中へ消えていった。
 ぼくたちは現状を目の当たりにしながらも、何も云えずにいた。何が起きたか認識することが恐ろしくて、体を硬くして、ただひたすら口を閉ざしていた。夢であればいいと思うが、そうでないことも判っていた。
「あ、あれは……。なんだったのですか」
 狼狽した警官はわたしの肘を摑み、半泣きで訊ねて来た。
「そんなこと、判る訳ないじゃないですか」

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 この事件は、「津山事件を超える不気味な大量殺人」「二十一世紀の八つ墓村」と騒がれた。当然のこと乍ら、生き残ったわたしは厳しい取り調べを受けた。真っ先に取り上げられたのが、川津老人が指摘したようにわたしが「ミネラルウォーター」しか飲まないことだった。
 住民全員は、清水を飲んでいたのである。水道水もあったが、やけににカルキ臭く、村民は無料で供給される清水を何にでも使っていたのだ。そして、村人を殺した毒は、その、本来ならば清らかな水である清水に流されていた。
 しかし、わたしに村民全員を恨む要素がひとつもない上に、清水に混入された毒物を購入した形跡もなかった為、疑いは晴れた。犯人扱いされたことで白眼視するひとびとがすべて鬼籍に這入っていたことに、わたしは不敬乍ら感謝した。
 川津と名乗る老人は現れなかった。駐在所は隣村との境にあり、いちいち村の動行を検閲している訳ではない。老人を知るのはわたし以外では村のひとびとだったのだが、それが凡て居なくなって仕舞ったのではどうにもならない。
 わたしとチェスをして、ポーンやナイトを盤上で動かしていたのは誰だったのか。変わった西洋の野菜をいつも持ってきてくれた、あの穏やかな笑顔の老人は何処へ行って仕舞ったのか。あの、沼に取り込まれていった少女は誰だったのか。
 村はずれの廃屋は取り壊されることもなく、そのまま放置された。誰の所有なのか調べたりはしなかった。いずれ立ち腐れて跡形もなくなるだろう。それを記憶する人間はわたし以外誰も居ない。老人はそこに居なかったのかも知れないが、わたしの記憶の中には存在する。消す事は出来ない。押し入れの中で死んでいた少女は、川津さんのアリスが好きな娘だったのかも知れない。
 彼の娘は、神になったのだろうか。それがあの老人の望んだ事なのだろうか。たった十七年しか生きなかった娘を、神に祀り上げたかったのか。
 もしかしたら、アリスが好きだというのは作り話で、彼はまだこの村のひとびとが沼に生け贄を捧げていた頃に、娘を差し出さねばならなかった親たちの嘆きが実体化したものなのかも知れない。そんなものが何故わたしの許に現れたのかは判らないが、何かを現代の人間に伝えたかったのかも知れない。
 誰も居なくなってしまった村に留まるほど酔狂な人間はないので、家を引き払うことにし、街に戻る前日の午後、わたしは沼の畔まで行った。どんよりと腐ったような緑色をして、水面には揺らめきひとつない。何故か、山の中まで息を潜めるが如く、物音ひとつしなかった。

    +

 街に戻って、知人の伝手を頼りに民俗学を研究している人物と会うことが出来た。井頭盧楼蔵という、変わった名前の男だった。民俗学を研究しているとはいっても、それは趣味でやっているだけで、本業は広告関係の会社に勤めるサラリーマンである。
「別に民俗学にそう詳しい訳でもないから、たいして役には立たないと思うけど、それでもいいかな」
「構いませんよ。ぼくも突き詰めて詳しいことが知りたい訳ではないし、自分の考えたことを誰かに補足して慾しいだけなんです」
「ああ、そう」
 わたしは彼に、故郷の村のこと、わたしが体験したことを話して聞かせた。
「独眼隻脚の神っていうのは、慥かに柳田國男が書いている。あんたの推論はそう間違っちゃいない。ただし、神話にはそんな神は出てこない。柳田國男は地方の口碑や伝聞を採集した人間だからそこから参照するに、あんたが遭遇したのはどちらかというと妖怪に近い」
「妖怪ですか」
「ひとつ目小僧とか、唐傘のお化けとか居るだろ」
「ああ、唐傘のお化けは片足ですね」
「独眼隻脚の神は主に田畠に現れる。あんたが云うように、麦で目を突いたり樹の枝で目を突いたりして片目になる。足は挫いたり転んだりして怪我をする。切り落とされたりはしない。伝えられている話の中ではな。神と畏れる存在を故意に損ねたとは云い辛いだろ。でも、恐らく実際のところは他所者を寄って集って小突き廻して殺しちまったのを、祟りを畏れて神に祀り上げたんだろうな。その後の風習も生け贄を捧げたり踊りを奉納したりして、兎に角怒りを鎮めることに心砕いている。神というよりは鬼神に近い。荒ぶる神ってやつだ。まあ、洋の東西を問わず、神様ってのは怒りっぽいからな」
「怒りっぽいんですか」
「そうだよ。自然災害はすべて神の怒りの所為ということになっている。人知の及ばない出来事はそうした方が納得出来るだろ。怒りや悲しみの持って行き場がないから、神を創り上げたとも云える」
「神は人間の創造の産物なんですか」
「当たり前じゃないか。そんなもん、居る訳がない」
「なんか、身も蓋もないですね」
「全知全能の存在が居たなら、世の中もっとましになってるよ」
 そう云われてみればそうだ。わたしにしても、子供のように神が存在すると思っていた訳ではない。ただ、田舎では、ごく普通に神や仏に対する信仰心を誰もが持っていた。取り立ててそれに疑問を抱いたことはなかったのである。
 井頭盧とはその後数度会ったが、川津老人については、判らないと云うだけだった。
「あんたにしか見えていなかったんじゃないのか。村のひとは無視していたんじゃなくて、その爺さん自体が存在していなかったのかも知れない。ひとり暮らしだった母親が死んで、都会の生活に疲れてたあんたは、その老人と交流することで精神の均衡を保ってたんじゃないのかな」
 そうなのだろうか。自分がそれほど想像力豊かな人間とは思えないが、無意識のことならばなんとも云えない。それは夢で普段なら想像もつかないものが現れたり、現実には有り得ないようなことを経験するのと同じなのだろう。だが、現実とは思えない廃屋の少女を見たのはわたしひとりではなかった。

     +

 結局、わたしが体験したことには納得出来るような説明は与えられなかった。そして一寒村で起こった出来事など、世間のひとびとはじきに忘れて了った。
 一年経って、わたしは村に帰ってみた。駐在所に顔を出したが、若い警官はもうそこには居なかった。村の家々はそのままだったが、ひとの住んで居ない家屋は驚くほど早く荒廃してゆく。村全体が荒れ果て、うら淋しい雰囲気に包まれていた。
 川津老人の住んで居た廃屋は荒廃の度が進み、ほぼ腐れ落ちていた。庭へ廻ると丈の高い雑草が生い茂っている。そこに暫く佇んで居たら、四方に枝を伸ばした大きな柿の木に一羽の鴉がとまった。人間のような声で「ああ、ああ」と啼いていたが、ばさばさと音を立てて羽ばたくと、雑草の中へ舞い降りた。暫く出てこなかったが、やがて飛び立ち、途中で何かをぽとりと落とした。
 気になって落ちたものを見に行くと、草むらの中にチェスの駒が落ちていた。赤のクイーンだった。
 これは、川津老人のチェスの駒だ。見間違える筈はない。特別に注文したと云っていたから、他にある筈もない。彼はやはり現実に存在したのである。煙のように消えてしまった理由も、居宅が廃屋になった訳も説明はつかない。だが、此処にまぎれもなく彼が存在した証がある。だが、それはわたしにだけ判ることであって、ひとに証明は出来ない。
 わたしは廃屋の裏の山に茂る熊笹の葉で船を作り、その駒を乗せて沼に浮かべた。流れのない緑の水面に笹船はいつまでも浮かんでいた。

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