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貧困日記、壱。

 八月の半ばに鬱へ突入、或いは没入し、もう半月ほど経とうとしている。何度か呟きや記事を書いてはみたが、夜中に酔っ払って書くと、当然のことながら碌なものにならない。なので、すべて削除した。
 わたしの場合、適切な処置はしていないものの躁鬱病(双極性障碍)なのではあるが、これは発達障碍の副産物で、発病した頃はこうした症状の医学がまだ発展途上の段階だった為、適切な判断、処置がされなかった。
 現在では、地方でも子供の発達障碍のクリニックは増えてきたが、大人を扱う医療機関はまだまだ少ない。わたしが通院しているところも、発達障碍を専門にはしていない。
 しかし、医師に対する信頼と安心感があればいいのではないかと思い、以前と同じ医師の許へ、片道一時間半掛けて通っている。交通費も馬鹿にならないが、月に一度なのでなんとかやっている。

 さて、ほぼ引き篭もりの生活を送っている訳であるが、何をしているかと云えば、相も変わらず読書とゲームである。熱中していたどうぶつの森、とびだす方もあつまる方も、それなりにこなしている。
 以前も書いたが、あつ森の人気が定着した頃にとび森を始めた。そして半年ほど経ってから、既に人気が沈静化しつつあるあつ森を購入したのだ。当然、新しい方をやり込む。
 わたしはどんなゲームであろうと、それに釣りの要素があれば、ひたすら釣りをする人間である。モンスターを避けながらでも釣りをしたほどの強者だ。で、どうぶつの森は、釣りゲームとして非常に優れている。釣りだけしていても楽しめるくらいだ。
 特にわたしは住人との交流を極力避けたいので、好感度云々の縛りがなければ、ただ釣りをするだけのゲームとして遊んでいただろう。実際、魚を釣ることしか考えていないので、木の幹にとまっている高額な虫を蹴散らかして歩いている。
 とび森の方では、一億貯めると郵便局から送られてくる(ポストに!)ATMが最終目標なので、住民に「倹約家」と厭味を云われつつも、殆ど何も買わず、無料で手に入る海産物などを売却して、コツコツ貯金している。
 兎に角、此方は費やす時間が短い(化石の発掘等、ルーチンのみを行っている)ので、その場で対応出来る要求しか応えないようにしている。時間を決めての訪問や、獲得するのが難しい依頼などは悉く断る。
 とび森で苛々することが多いのは、住人の傍若無人さなのであるが、これはわたしの心が不寛容な所為ばかりでないことは、あつ森で気になっていた部分が改善されていることでも明らかである。
 譬えば、住人から誰それへ荷物、或いは詫びの品などを渡して慾しいと頼まれる。大抵が今日中にとの依頼なのだが、これは謂わば「特急便」扱いの要請だ。午前中ならまだしも、夜でも「今日中に」と求められる。しかも「そんなに急がねえけど、今日中に持ってってくれりゃいいからよ」(いいからよじゃねえだろ! それがひとにものを頼む態度か)とか、ハキハキ男など荷物を渡して「よーい、ドン!」などと巫山戯たことを吐かすのだ。
 ただでさえ筋肉馬鹿を嫌悪しているのに、甲高い声でこんなことを得意そうに云われると、脳の血管がブチ切れそうになる。
 しかしこれがあつ森になると、「急がせて悪いんだけど、今日中に」「わがまま云ってばかりで悪いんだけど云々」と下手に出て、夕方以降には「もう遅いから、明日でもいいよ」に変わった。変わったということは、前回の対応は多くのひとに不評だったのであろう。
 もうひとつ、わたしが我慢ならなかったとび森の慣習は、住民から今ある物の代わり、或いは他の住民から部屋を馬鹿にされたので何か手頃な家具を探してきてくれ、という依頼である。普通は「いいよ」「いやだ」などの選択肢が現れる筈なのだが、これに関してのみ、一方的に要請が押しつけられ、こちらに選択の余地がないのだ。
 当然、約束を果たさなければ好感度は下がる。理不尽極まりない。

 ゲームの内容ばかり書いていても、やっていないひとにはさっぱりだろうから、少し視点を変えてみる。
 とび森の方は、主に室内のインテリアを充実させ、鰻のような容貌のカワウソのホンマさん(嘘で本当ってな)に聞く点数をどんどん上げていき、ランクアップするのが目標と云える。ただし、点数など気にせず、好きに飾りつけても罰則はない。
 取り敢えずとび森の方は、わたしとしてはもう、やるべきことがなくなった状態である。インテリアのランクも最高まで行ったし、金のジョウロも手に入れたし、化石もコンプリートした。魚と海の幸も季節が巡れば完璧を記するであろう。虫は、諦めた(夜にやらなくなってしまった故に、タランチュラとサソリが捕まえられない)。
 ということは、もうホンマさんのムカつく言葉を聞きに行く必要もなければ、小ダヌキの店で買い物もしなくていい。服など常にマリンスーツを着用しているので、買うどころか手紙を書いている頃は住民に送りつけて処分していた。現在は手紙などいっさい出さず、喫茶店のアルバイトもせず、無償で手に入れたものを売り払って貯蓄に励んでいる。
 食事をせずともよく、持ち家なので家賃はなく、何故か光熱費も固定資産税も掛からない。あつ森ほど効率は良くないが、今や一千万以上の預金がある。現実ではないので虚しいだけなのだが、数字が増えるのはなんだか嬉しい。
 しかし、ゲームとはいえ、真理が此処にある。
 必要なものをすべて手に入れ、或る程度の評価も得、完全に満足した(もしくは飽きた)状態になれば、何かを手に入れようという慾求は殆ど無くなるのだ。

 ああ、それか。知ってる。持ってる。持ってた。もういいや。

 この域まで達すると、支出は格段に減る。
 しかもわたしの場合、ゲームの中ですら他人を排斥している。すぐにやれること以外は悉く要求を撥ねつけているのだ。もう、好感度もへったくれもない。
 究極の節約術が此処にあったのだ。だが、現実でこれと同じことはやれる筈もない。一般人が生きてゆく以上、収入と支出はほぼ同じなのだ。

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