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図書センターディスカッション

(注)「東六区図書センター』は、明良が父の後を継いではじめて手掛けた企画である。開館して三ヶ月ほどは老人や主婦の利用者がちらほら来るだけだったが、インターネットや口コミで若者の利用者が増えていった。五階建ての建物の裡は一階が受附、事務所等に使われ、二階が書籍関係、三階が映像、音楽関係、四階がミニシアターになっている。

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 ディスカッションは上条グループ本社ビル三階の、第三会議室で行われた。集まったのは十代後半から二十代前半の若者ばかり、二十五名である。午間なので窓のブラインドはすべて開けられ、その明るい陽射しが射し込む部屋へ、先づ若者たちが通され、銘々好きな処に座っていった。
 窓を背にした椅子が二脚、他から離されて置かれていたので、誰もその椅子には座ろうとしない。五分ほど経ってドアが開き、若い女性が紅茶を配り、「失礼致しました」とお辞儀をして出ていった。シンプルな白いカップから湯気を立てている紅茶を眺め、若者たちは落ちつかない気分で社長が来るのを待った。
 更に五分ほどして再びドアが開き、背の高い男性とその後ろから、かなり背の低い男が這入ってきた。その小柄な男は白髪を自然な感じに後ろへ流し、サングラスを掛けている。一見、老人のように思われるのだが、よく見ると二十五、六の青年だということが判った(実際は三十才だったのだが)。背の高い男が小柄な男を導くようにして歩いて例の窓際の椅子の片方の背を引き、小柄な男はさも面倒くさそうに腰を降ろした。
「お待たせ致しました。今回、皆様のご要望を受けて本社との折衝を担当した、上条護と申します。此方が上条グループ代表取締役の上条明良です」
 紹介されて、若い社長は皆に向かって軽く「どうも」という感じに手を上げた。若者たちは暫くざわめいていた。「あのひとが?」とか、「ミュージシャンみたい」とか、「カッコいい」という囁き声が漏れ聞こえる。
 場が静まったところで、上条護(カナギシ)がアキラに何やら耳打ちした。アキラはふんふんと頷き、おもむろに集まった若者たちを見渡した。緊張した空気が漂う。
「あー、今紹介された通り、おれはまあ、此処の天辺に据えられてるもんだがね、君たちがこうして集まったのは図書センターについてだっていうけど、何か問題でもあったの」
 アキラは拍子抜けするような気安い口調で云った。
 暫く室内は静まり返ったが、ひとりの青年が手を挙げた。
「どうぞ」
 弄んでいた紅茶のスプーンでアキラは青年を指した。青年は立ち上がって、
「ぼ、ぼくは図書センター存続委員会のコバヤシと申します。巷で図書センターは近いうちになくなるとか、失礼な云い方ですけれども、若社長が道楽でやっているだけだから長続きしないといった噂が後を絶ちません。そこでぼくらは本当のところを伺いたく、こうして集まりました。こういう場を設けて下さった社長には感謝しております」
 ぺこりと頭を下げ、コバヤシ青年は落ち着きなく腰を降ろした。
 アキラは頭をぽりぽり頭を掻いて、「なるほどね」と云い、紅茶をひと口飲んだ。
「そういった噂がネットなんかで流れているのは知っている。まあ、それはあくまで噂であって、真実じゃない。センターをおれが道楽でやっているという話もな。企業ってのはひとりの人間の意見で動くほど生易しい世界じゃない。それに、利益に繋がらないことはやらない。大勢の人間の生活を保障しなきゃなんないんだから当たり前の話だろ。あー、で、問題の図書センターがなくなるんじゃないかという件だけど、まあ、君たちからすれば市の図書館も閉鎖されて、あんな前時代的な施設はやっていけないんじゃないだろうか、と思うのは尤もだと思う。でも、あそこは古い本や映像、音楽のデータをただ貸し出してる訳じゃない。センターはうちにとって消費者の嗜好の傾向、方向性を調べる役割を果たしてんの。だから会員制にして、IDの登録以外にアンケートのようなもんにも記入して貰っている。そこから得た様々なデータをあらゆる角度から検討していく。そうすると、うちのグループの各企業に有益な情報を割り出せる訳」
 ひと息に喋って疲れたのか、アキラは紅茶を飲んで椅子の背凭れに体を預け、隣のカナギシに向かい、小声で「これでいいか?」と訊ねた。カナギシは「大丈夫です」と静かに答える。若者の裡からくすくす笑い声が漏れた。
「で、他には?」とアキラは皆を見廻す。ひとりの女の子が手を挙げた。アキラはまたスプーンで彼女を指して、「どうぞ」と云った。
「あの、今の話を伺って本当に安心しました。それで、今後センターを増やそうという計画はないのでしょうか。東六区は市の中心から外れているし、旧市に一番近い処なので、ちょっと恐くて行きづらいんですけど……」
 女の子は左右をきょろきょろ見ながら座った。殆どの者が一斉にアキラの方を見遣る。当人は背凭れに身を預けたまま腕組みをして下を向いている。カナギシが腕を軽く叩くと、やっと顔を上げ「寝てたんじゃないよ」と云った。若者たちはどっと笑い声を上げた。
「うん、今の彼女の質問だけど、当分そういった計画はない。悪いけど」
 アキラはあっさり答えた。若者たちは「どうしてですか」「なんで」と口々に云った。ざわめきが収まると、アキラはまた頭をぽりぽり掻いて、
「なんて云えばいいかな……。東六区のセンターだけで、我が社としては充足している訳。これ以上増やすと損失が出る可能性の方が高い。君らなら判っていると思うけど、図書センターに集められているものはかなり偏っている。ネットでは得られないデータも多い。東六区のような蔵書やCD、DVDを揃えるのには、かなりの時間と金が掛かった。まあ、おれが個人的にガキの頃から集めたものも倉庫代わりに置かせて貰ってるんだがな。場所のことだけど、この企画がスタートした時に空いてた物件で、あそこが一番安かったから、そんだけ。それにあそこまで足を運ぶなら、本当にああいった施設が必要とされているんだってことが判るしね」
 紅茶をまたひと口飲むと、カナギシに向かい、「ぬるいを通り越して冷たいぞ、これ」と云った。「我慢して下さい」とカナギシは静かに窘めた。再びくすくすと笑い声が広がった。
「お次の質問は?」アキラが促すと、ひとりの少女がおずおずと手を挙げた。アキラはやはり彼女をスプーンで指すと「どうぞ」と云った。
「あの……、図書センターにはまったく関係なんですけど……。社長は何故サングラスを掛けていらっしゃるんですか」
「失礼なこと訊くなよ」「なに云ってんだ」周囲から非難の言葉が飛び交い、少女は泣き出しそうな顔をして椅子に腰掛けた。アキラがカナギシの方を向き、「本当に関係ねえな」と云うのを聞いて、少女に怒りの眼差しを向けていた者たちも含め皆一斉に笑い出し、場の空気がなごんだ。
「あー、失礼。慥かにこういう席でサングラスなんか掛けているのはマナー違反で、彼女が疑問に思うのも無理はないから責めないでやって。おれがこんな黒眼鏡を掛けているのは、単に目が紫外線に弱いから、そんだけ。今日は天気が良いし、この会議室は一番狭いから窓からの光だけでいいかな、と思ってね。省エネも兼ねてな。君らの裡でこの黒眼鏡で気を悪くしたひとが居たら謝るよ、悪かった」
 このアキラの言葉に若者たちはざわめいた。「謝らなくていいです」「すみません」といった声も上がる。
「あー、ちょっといいかな」アキラが声を掛けると、ぴたっとざわめきが収まった。
「悪いけどちょっと席を外させて貰っていいかな。ニコチンが切れた」
 皆、きょとんとした顔をしていたが、やがて「此処で喫って下さい」と、口々に云った。「悪いね、ごねんね」と云い、アキラは上着のポケットから煙草を出して、ちらっとカナギシの顔を伺うように見る。彼は無言で、アキラを睨みつけていた。「おお、こわ……」と呟いて、それでもアキラは煙草に火を点けた。カナギシは、灰皿は持って来させませんよ、とやはり静かに云った。若者たちはふたりを興味深げに見ている。
 灰皿がないので、アキラは煙草の灰を冷めた紅茶の中に落とす。カナギシは手元の書類を整えたり捲ったりしながら溜め息をつく。
「ごめんね、気にせず次の質問どうぞ」悪びれた様子もなくアキラは云う。眼鏡を掛けた青年が手を挙げる。アキラは今度は喫いさしの煙草で彼を指し、「どうぞ」と云った。
「図書センターの本のことなんですが、先程も仰っていたんですけど『上条蔵書』という判が押してあるのは、すべて社長のものなんですか」
「ああ、あれね」と、咥え煙草で返事をする様子を見兼ねたカナギシは、机の下でアキラの太腿を思い切り抓った。
「痛えなあ。なんだよ、おまえ」と云いながら、アキラはカナギシの方をを向いた。恐らくサングラスの奥で睨みつけているのだろう。カナギシは静かに、「咥え煙草で喋るのは、あまりにも失礼な態度です」と云った。
 そのやりとりを見て、若者たちは笑い出した。アキラは若者たちの方に向き直り、「このひと、抓ったよ」と云った時には、笑い声は更に大きくなった。腹を抱えて笑っている者まで居る。カナギシは冷たい声で、「質問に答えて下さい」と云った。
「ああ、質問ね。……なんだっけ」
 頭をぽりぽり掻きながら、アキラは煙草をティーカップに放り込んだ。「ああ、そうだ。上条蔵書の判子の件ね。あれが押してあるのは慥かにおれんとこの本。親父が買った本に必ず押してたんで、ガキの頃おれも面白がって押してたんだけど、もう習慣になっちまったんだな。あの判子が押してある本のうち、半分以上が親父ので、後はおれのかな」
 アキラは新しい煙草を弄びながら、「次の質問、どうぞ」と云った。学校の制服なのだろう、ブレザーに襞スカートの女の子が手を挙げた。アキラは火の点いていない煙草で彼女を指す。
「どうぞ」
「あの、また図書センターに関係のないことなので皆さんの顰蹙をかっちゃうかも知れないんですけど、学校でも図書センターがきっかけで上条社長のことが話題になっているんです。でも、ネットで検索しても曖昧な情報しか出て来なくて、上条グループのホームページにも社長についてはいっさい記述がないんですけど、それはどうしてなんですか」
 制服の少女は周囲を伺いながら、腰を降ろした。今度は誰も文句を云わなかった。皆そのことに関して興味があったのだろう。
 アキラはやっと煙草に火を点けると、深く喫ってわざと護に烟りを吹きかけた。彼はさも迷惑そうに手で烟りを払う。アキラは机に肘をつき、頭を支える恰好でカナギシの方へ向き、「どうしてだって」と云った。「答えればいいでしょう」とカナギシは冷淡に返した。
「だっておれ、知らねえもん。おまえらが勝手におれを謎のひとにしたんだろ」
 アキラはそう云ってまた烟りを吹きかける。
「あなただってひと前に出ようとしないじゃないですか。マスコミをシャットアウトしているのは社長なんですよ」
 相変わらず冷静にカナギシは答えた。
「やりにくいなあ……」
 頭をぽりぽり掻いて姿勢を元に戻し、「今の質問はすごく答えにくいんだけど」煙草の烟りを吐きながらひと呼吸おき、「うーん、おれの仕事は会社を運営することであって、それ以外の個人的な情報は公表する必然性を感じないからかな」と、また頭をぽりぽり掻きつつ云った。
「でも社長のルックスはすごくカッコいいですし、写真とかネットにあげたら会社のイメージもアップすると思うんですけど」先程の少女が座ったまま云うと、若者たちは少々戸惑った顔をしていたが、半数くらいが彼女に同意するように頷いている。
 アキラは首の後ろで両手を組み、頭を仰け反らせて「なんだよ、それ」と呟いた。少ししてから姿勢を元に戻し、考え込むように腕を組んでアキラは漸く口を開いた。
「あー、そうだな……。こうした場を儲けたことはこれまで一度もなくて、おれとしても正直戸惑っているんだけど、君ら、おれとこの隣に居る男がこの部屋に這入ってきた時、どっちが社長だと思った?」
 アキラは逆に若者たちへ質問を発した。皆、困ったように俯いたり左右の人間の顔を伺ったりしている。
「これはおれの勝手な想像なんだけど、殆どのひとがこいつを社長だと思ったんじゃないかな」そう云ってアキラはカナギシの方を見た。兄は、はじめて感情を顔に表し、困ったような悲しいような表情をした。
「おれは背が低いし、見ての通りアルビノだ。日本語だと白皮症とか、これは今では差別用語になるんだけど、白子とか謂うんだけどな。兎に角、こうした人間は太古の昔から差別され続けてきた。人権どころか、扱いとしては珍種、疫病、呪い薬の扱いで殺害された。それも近代に至るまでだ。おれも散々云われたが、アルビノの人間の眼はすべて赤いと誤解しているひとも居るだろうけど、色素の含有率で個人差がある。色素がまったく無いと、光彩も薄赤くなる。血のように真っ赤にはならない。おれの場合は光彩が薄青くて、瞳孔が赤い。色素がないんで血管が透けて見える訳。光彩が薄青いってことは、多少色素はあるんだろうが、何故か見ての通り、他は真っ白だ。こういう一般の人間と違った容姿をしていると、他人から好奇の眼で見られたり余計な同情をされたり、まあ色々ある訳。おれは化けもの扱いされるのも可哀想がられるのも御免でね。第一、奇異な姿をしている人間の会社が信用されるとも思えない。親父が早死にして取り敢えず跡を継ぐ形になったけど、こんな青二才が経営してると判ったら取引も不利になるしね。だから必ずこのでかいのを連れてって、最初の折衝はこいつにさせる。こいつの方が頭良いし」そう云ってアキラはにっと笑った。若者たちは悪いことを訊いてしまった、という顔をしている。
「辛気くせえ顔すんなよ」椅子にふんぞり返り、アキラは三本目の煙草に火を点けた。暫くなんともいえない空気が部屋を覆いつくし、アキラの吐き出す煙草の烟りだけがふわふわと漂い、螺旋を描きながら天井に昇ってゆき、空気清浄機に吸い込まれていく。
「もう質問ないの。品切れ?」アキラは煙草をティーカップに放り込んで云った。痩せた青年が手を挙げた。「はい、どーぞ」とアキラは手のひらを彼の方へ向けた。
「図書センターのデータは殆どインターネットで配信されていないものなんですけど、どうやって集めたんですか」
「知りたい?」アキラは悪戯っぽく答えた。皆、揃ったように頷く。「教えない」その言葉に全員がくすくす笑った。
「当たり前だろ。なんでそんな企業秘密を教えなきゃならねえんだよ、常識で考えろ」アキラは火の点いていない煙草をくるくる廻しながら、呆れたように云った。
 そして思い出したように右手の腕時計を見て、「予定時間オーバー。みなさん、ご苦労さんでした。最後にひとつだけ、君らは個人で来ているひとも居るけど、先刻資料を見たら団体さん? の方が多い。君らの年頃だったらネットでブログを開設したり、SNSに投稿するひとも多いだろうけど、今回の集会について、それらの媒体で公開するのは一向に構わない。好きにやって。なに書いても怒んないから」
 ひとりの青年が手を挙げて立ち上がった。
「本当にいいんですか。ビルの受附では、通知書類とIDの確認をされて、この部屋に這入る前に荷物はすべて預けて下さいって簡単なボディチェックまで受けました。だからこのことは極秘にしなければいけなのかと思って」
 煙草に火を点けてから、「あれはセキュリティー上、誰にでもやることで、君たちに限ってやった訳じゃない。それに君たちはおれと話し合いがしたかったんであって、それを録音したり写真を撮ったりしたかったんじゃないだろ」灰をティーカップに落とし、アキラは青年の方を見ながら云った。
「はい。本当は映像か、せめて音声に残したいと思っていたんですが、社長の話を聞いたらその必要がないことが判りました」
 アキラは微笑を浮かべ、「聞き分けがいいねえ、君たちは」と云った。
「じゃあ、今日はこれでお終い。解散してくれ」そう云ってアキラは煙草を持った左手を軽く上げた。若者たちはぞろぞろとドアから出ていく。集会の感想を興奮気味に喋っている女の子も居る。そして全員が出ていったのを確認して、カナギシはゆっくりドアを閉めた。

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「どうでしたか、この集会は」カナギシは資料を揃え、封筒に入れながらアキラに訊ねた。
「疲れた」
「ちゃんと応対してたじゃないか」
 アキラは自分のカップが吸い殻だらけなので、口をつけていなかったカナギシの紅茶を一気に飲んだ。
「なんだか訳の判んねえ奴らだったな。図書センターに興味があるのか、おれに興味があるのか、どっちなんだ」
 鞄の中を整理しながら、「どちらにも興味があるんじゃないのかな。だいたい今時、本やらDVDを貸し出す商売自体が珍しいんだから。映画だって音楽だってネット配信が主流なのに、あんなアナクロな場所作ったら、これを思いついたもの好きは誰だろうって思うよ」と、カナギシは云う。アキラは煙草に火を点けて、そんなもんかねと烟りを吐きながら呟いた。カナギシはアキラの左手から煙草を取り上げ、「喫い過ぎだよ」と、軽く睨む。
「この後のスケジュールは?」アキラは椅子から大儀そうに立ち上がって護に訊ねた。「四時から会議がありますので、時間まで此方に居て下さい」カナギシが冷静な声で応えると、
「仕事ね、仕事かあ……。なんかあいつらと喋ってる方が草臥れたな」と云って、アキラはうーんと伸びをした。カナギシはブラインドをひとつひとつ降ろしていった。

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白皮症について。

「眼皮膚白皮症」→皮膚、毛、目のメラニン色素が欠損している。このタイプは更に二十種類に分けられる。
「眼白皮症」→症状が現れるのは目だけである。多くの場合、皮膚と毛は正常に見える。
 その他、「ヘルマンスキー・パドラック症候群(HPS)」と関連した白皮症もある。HPSに罹病した者は、紫斑、出血を起こし易い傾向にある。このタイプのものはプエルトリコに集中しており、一八〇〇人にひとりの割合で発症している。
 メラニン色素は日光(紫外線)から皮膚を守る為にある。それが欠損していると、日焼けどころか炎症を起す。皮膚癌にもなりやすい。皮膚を保護する為の服(日光の反射率が高い白っぽいものが良い)を着用しなければならない。日焼け止めを塗る時はSPF値が高いものを、日光に晒される三十分前、及び、その後も二時間ごとに塗り直す必要がある。
 光彩の中にある色素は通常、光が必要以上に瞳孔に入るのを防ぐが、白皮症の人間の光彩はごく薄い灰色か水色、茶色(完全にメラニンが無い場合は無色で、網膜の後ろの血管が透けて見え、薄紅色になる)で大量の光が入ってしまう為、痛みや炎症が生じる。その対策として鍔の広い帽子やUVカットのサングラスが用いられる。日中でなくても、暗い中のヘッドライト、紫外線を含んだ電灯なども通常の人間より眩しく感じられる。
 白皮症は普通、目に異常をきたす。症状のひとつが、網膜と脳を繋ぐ神経の異常である。その結果、脳神経と視神経が正しく連動せず、遠近感が損なわれることがある。この症状は「斜視」と呼ばれる。
 もうひとつの症状は「眼振」、つまり無意識に眼球が小刻みに動くことも白皮症の症状のひとつである。これが酷くなると視力障害に至ることもある。斜視は矯正手術で治療が可能だが、眼振の場合は眼鏡やコンタクトレンズで視力障害の矯正は出来ても根本的な解決にはならない。眼振の場合、視覚が左右に揺れる為、縦書きより横書きの方が読み易い。こういった症状がまったく現れない場合もある。
 この症状は特定の国や人種に限ったものではない。突発的ばかりではなく、白皮症を引き起こす異常遺伝子は、兆候が現れないまま何世代も受け継がれてゆくこともある。
 アルビニズムという言葉は、十七世紀にポルトガルの探検家が人間の肌には黒い色と白い色があることに気づき、肌の黒い者を「ニグロ」、白い者を「アルビノ」と呼んだことから由来すると云われている。ポルトガル語でニグロは 「黒」、アルビノは「白」を意味する。
 アフリカに於けるアルビノたちは、その特異な容貌により古くから差別され、偏見の目で見られる一方で、超自然的な特殊な存在としても見られている。あるものは彼らを死霊のように恐れ、村社会から追い去ってしまう。
 タンザニアではアルビノたちの境遇は最悪で、政府の取締りにも関わらず、彼らの体の一部が魔法の儀式に威力があるという迷信の為に、手足や臓器目的の殺害が多発している。
タンザニアでは、2008年からだけで62人が殺害され、十六人が襲われて手足を切断され、十二人のアルビノの遺体が掘り出されて解体された。タンザニアにはアルビノが五千人居る
 
(注)「尋常性白斑症」とは違う症状である。

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東六区図書センターについて。

 図書センターは明良が考案、企画した。例に依って例の如く、側近の幹部のみで会議を重ねたが、すべての情報がインターネット、ブロードバンドで配信される世の中で、わざわざ出向いて行ってまでデータを借りようとする者が果たして居るのか、という根本的な問題点に戻ってしまう。明良が練り上げた企画書だけにその点についても不備はない。
——が、これを本社の会議に掛けなければならなかった。明良が発案したのではなく、カナギシと十数人の側近達が考えだしたものとして。やはり此処でも同じ点が指摘された。しかし、明良があれこれ考えているうちから一緒に携わっていたカナギシは、保身に廻ること、他人の案にケチをつけることしか出来ないような者らをあっさり片づけた。
 ただし、「五千万しか出さない、スパンは一年、それで結果が出なければ即座に撤退して貰う」という条件がついた。
 明良はそれを別室でモニターしており、その話が出た時にはくすくす笑って、「そんなに余裕くれんの、案外優しい奴らだな……。カナギシの演技力のおかげか?」と云っていた。
 スパンが一年というのは逆に厳しい場合もある。鳴りもの入りで登場しても、半年でピークを迎え、一年後には見向きもされない、というのはよくある話である。
 明良は敢えて東六区という、ひとびとが出向き難い場所を選んだ。広告も最小限に留め、アナクロニズムと云っていいほどのチラシ、 ポスターを若者が利用する場所に配布したのみである。はじめの数ヶ月は近所の主婦や老人しか来なかったが、たまにチラシなどを見てやって来る若者も居た。
 そして、頼みもしないのにネットで情報が交わされ、話題となり、定着した。明良が企画書を出したのが二十五才、センターが東六区の古いビルを改装してオープンしたのが二十七才の時である。早い展開と云えるかも知れない。
 センターの利用者アンケートに「Macでも使えるソフトが少ない」「MacでWEBサイトを簡単に作りたい」と、MacでMacでという書き込みが多かったのは、センターで使用しているコンピューターがすべてマッキントッシュだったからであろう。これらのソフトはあるにはあったが、「簡単に」「お洒落で」 「動画音声つきで」「安く」という我が儘放題な意見だった。
 という訳で、明良が二十九才の時、現在普通に手に入るようなデータは最良の状態で配信し、 WEBデザイン、ソフト開発をする「天馬企画」をスタートさせた。これはすんなり企画が通った。明良が企画まで手掛けたのはこのふたつのみである。
 図書センターの所蔵品のアナログなものはすべてデータ化されているので、どちらの形態で借りるかは自由(値段は同じなので)。ただし、入会時にID カードのデータを提出しているので、返却しないとえらいことになる。
 データはコンピューターに直接転送するのではなく、メモリー・カードのようなもので貸し出す。これは小さすぎると失う可能性が高く、CDのような大きさと薄さでは破損の恐れがあるので、その間をとってMDの少し小型の薄っぺらいのかなーとぼんやり考えている。ケースに入っているから頑丈なんじゃないかと……。
 返却期日を一日でも過ぎると登録したコンピューターと携帯電話のアドレスに、「返却期限が過ぎております云々……」というメールをガンガン送る。大抵の人間は (あまりに鬱陶しい為に)それで素直に返す。尚かつ一ヶ月返却せずにおくと、借り出した人間のコンピューターと携帯電話のデータがすべて丸っと消えてしまう。
 コンピューター・ウイルスの類いではない。通称「ホワイト・ボム」。
 借りたまま引っ越しても、携帯電話、コンピューターのメールアドレスを変えようと、本体を変えようと結果は同じ。入会時に提出したIDカードの情報だけでそれくらいの追跡は軽々とやってのけてしまう明良である。
 「ホワイト・ボム」を体験したのは過去三人のみ。そのうちのひとりはコンピューターが駄目になるのを覚悟の上で試した。仕組みを解析しようと思ったのだが、何ひとつ手掛かりはなく、借りたデータは普通に再生され、他のデータも入力可能だった。こんなものを考えるのもやはり明良である。

 さて、亮二が何故採用されたかであるが、面接試験に長い髪のままで行って目を惹いたというのは勿論ある。で、調べたところ、図書センターの女子事務員の恋人だということが判り、それなら信用出来る人間だろうと判断した訳だ。センター内では既に、清世ちゃんの彼氏はクールなバンドマンだ、ということは知れ渡っていたので(もの凄い誤解だが)アサコさんも太鼓判を押してくれたのである。
 実際話してみたらかなり面白い性格をしていることが判り、古い映画について知っている人間が兄以外に居らず、その兄とも仕事の話しかしなくなっていたので直接的に洗脳した訳である。それまで亮二は映画にまったく関心を払っていなかったが、なにしろ社長から直々にあれを観ろこれを観ろと勧められ、次に会った時には感想を訊かれるので、殆ど宿題のようにして観ていたのである。酷いことをするものだ。
 明良は亮二が入社した二年後に死んでしまったのだが、閑さえあれば顔を出していたので彼に強い印象を残した。余程亮二のことが気に入っていたらしい。亮二の裡では、「社長は映画オタクでもの凄く変なひと」というイメージで捉えられている。まあ、社長とはほど遠い口調で話し、アルビノで、一六三センチとかなり小柄だったから「変」と思われても仕方がなかっただろう。
 明良が彼のやっている音楽をどう受け止めていたかというと、「暗えなあ、明日にでも自殺すんじゃねえのか」というものである。そもそも、彼はクラシック音楽の中でも特に静かな室内楽のようなものしか好んで聴かなかったので、バンドがやる音楽についてはよく判らなかったのだ。
 しかし、のほほんとした性格である青年の(外見は違うが)いったい何処にこんな暗い部分が潜んでいるのだろう、と余計に興味を持ってしまった。ナナシの曲がライブラリーに追加された際、センター内の職員全員がそう思ったのだが、明良が死んだ時に彼の繊細な一面が現れた。
 それに気づいたのは同じ三階の「映像、音楽」担当の草村紘である。亮二が休み時間も食事をしないで応接室でぼんやり煙草を吹かしているのを見て心配になった彼は、二階の「書籍、絵画」担当の杉下桂子に相談したのである。彼女は清世と一番親しい社員だった。
 二週間くらいで元に戻ったが、飯も喉を通らないほど落ち込んでしまった亮二の姿を見て、周囲の人間もやっと彼が普通の神経も持ち合わせてることに気づいた。清世も、母親から祖父が死んだ時に同じように落ち込んだと聞いてはいたが、実際目の当たりにするまで、それがどんな状態だったか想像も出来なかった。
 別に仕事に支障を来すような落ち込み方ではない。普段通りに振る舞っていたし、巫山戯たことを云って笑ったりもしていたのだが、気を抜くとぼーっとしてしまうのである。
 明良は敵の多い人間ではあったが、図書センターの職員だけは全員彼を慕っていた。それでも、亮二ほど落ち込んだ者は居ない。特に目を掛けられ、親しく話したりしていたからだろうが、そこまで落ち込んでしまうとは誰も思わなかった。まあ、ただの社員がそこまで明良と話したことはそれまでなかったのだから、当然といえば当然なのだが。
 図書センターが出来たのが明良が二十七の時なのだから、清世は最初に採用された社員な訳である。亮二が入社した時は三十才。その年にディスカッションが行われた。三十にもなってあんな喋り方で、兄貴に窘められたり抓られたりしていたのだ。大胆な野郎も居たものである。

 図書センターを中心に、文章に出て来る人物の殆どがリンクしている。水尾たちだけ時代が違うように感じられるが、実は微妙に繋がっている。彼らは明良よりひと周りくらい上なのだが、今井とエミの双子の子供たちの時代には、既に馴染みのある場所であった。そして、これは設定だけなのだが、glass tubeの長海君の就職先は、『ワインと枝豆』『ひぐらし』の石田初子が勤める会社なのである。


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