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日記、2023,01,17。

 いつの間にやら一月も半ばを過ぎている。吃驚だ。年を喰うと時間が経つのは遅く感じられるが、日々は飛び去るように過ぎる。
 ゲームのどうぶつの森をやり直していると書いたような気がするけれど、「あつまれ」ではなく、「とびだせ」の方だと明記しただろうか。いや、他人にとっては何方でも良いに違いないのだが、このゲームに関心があるひとなら興味が湧くかも知れない。
 『あつまれどうぶつの森』を辞めたひとの意見の殆どが、毎日同じことの繰り返しでうんざりした、道具が壊れる、必要なものを一気に作れない、である。まったく以ってその通りなのだが、毎日同じことをするのは「とびだせ〜」の方も同じだった。
 つまり、道具が壊れ、まめに作り直さねばならず、金を貯めれば買えた家具が「レシピ」と「材料」を揃えないと手に入らないので面倒臭いのだ(売っている家具もあるが、さして魅力的ではなかったり篦棒に高かったりする)。大変なのが愉しいと云うひとも居るだろうが、前作をやっていた者からするとこれらの「仕事」はストレスでしかない。
 以前にも書いたが、あつ森ではとび森の問題点は改善されている。私信を公開しなくなったし、頼みごとをする際も低姿勢で、追い剥ぎのような要求も無くなった。元々わたしは住民との交流を求めていなかったので、その辺りは難有い改変だった。妙に安い海産物の値段も地味に改善されている。
 が、上下に分かれた場所を開墾し、毎日まいにち樹を揺すり、石を叩き雑草を抜き、花を穿くり返す為だけに半時間以上も掛かるのだ。愉しいことなどひとつもない。とび森の方は村なので面積はそこまで広くなく、時間もストレスも掛からない。ゲームの中でまで鬱陶しいルーティンワークをしたいと思う人間は、そう居ないのではなかろうか。
 しかもどうぶつの森は実際の時間に即して進み、長時間放置するとペナルティが課せられる。まあ、たいしたことではない。住民が居なくなったりゴキブリが出たり、気が狂うほど雑草だらけになり花が咲き誇ったりするだけだ。
 機械で時間は弄れる。しかし、それではずるをしているようだと躊躇し、授業が終わってから、仕事が終わってから隙を見つけて無理に毎日やるとなったら、もうそれは義務でしかなかろう。義務は普通、愉しくない。
 実態はよく知らないが、子供はとっくに飽きていると思う。達成感がなさ過ぎるのだ。とび森は割と達成するポイントが幾つもあり、それが困難を極めると謂うほどでもないし、先づ、ひとりきりでも到達出来る。
 此処なのだ。
 あつ森に対する不満点は、他人とネットで取引をしなければ慾求が満たされない、と謂う、現代の恐ろしい社会を反映していることである。何もこんな媒体でまで社会の暗部を見せつけなくても良かろう。実際、手に入らない果物や家具をあげるからと、犯罪すれすれのことをする輩も居たらしい。
 わたしはゲームはひとりでやりたい。カードゲームですらそうだ。画像に向かってゲームをする人間は、他人とあまり関わりたくない性格をしていることが多い。繋がりたくないのに繋がらないと達成出来ないゲームは、やはりつまらなくなってしまうのだ。
 多分もう、二度と『あつまれどうぶつの森』をやることはないだろう。そこにSwitch(lite)がある、と意識するだけでもう、多大なストレスなのだ。ひとり暮らしなので判らないところへ仕舞うことも出来ない。とび森だけで満足していれば良かったのだ。後悔頻りである。

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