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かわいいでは形容できない私へ

拝啓、いつかのわたし。
お元気ですか?今を生きていますか?

現在は2021年の4月13日、火曜日。0時26分。
深夜に考えつくことはどうしようもないことばかりばから、
間違いなく寝たほうがいいのだが、
現在の私は、”書く”という行為で何とか保っているようなので、
いつかの私に向けて、手紙を書きたいと思う。

ちょっとだけ、今の私を自己紹介。
私は宮城出身の都内在住、26歳OL。
中学、高校、大学まではいわゆる進学高に属して、
浪人はしたものの、そこそこに勉強はできたので、
なんだかんだ普通に歩み、国立大でのんびり暮らした。
社会人のタイミングで上京をし、いまだにWEB広告の仕事をしている。
最近はもっぱらK-popとかHIPHOPとかが好きで、
特に強めな女の自己賛歌ソングに、グッときてしまう。
相変わらずチーズケーキが好きだが、
最近のブームは近所の八百屋で買う、
あまおうイチゴだ。


先日まで、特段仕事で成功したわけでも、
恋愛でいいことがあったわけでもないけど、
自分の機嫌とりがうまくていっていて、
端的にいって調子が良かった。
コロナでのテレワーク環境が、
私には、ストレス軽減に働き、
自分の生活リズムを整えることにつながった。
社会人2年目のあたりは、
軽度の適応障害状態になり、
仕事を辞めるか悩んだこともあったので、
そのあたりから比べるとかなり元気になった。
世界的には、ずっと憂鬱な日々で、
テレワークではない仕事の方には
感謝しきれない。

上京してから丸3年が経ち、
社会人も4年目となった。
2021年4月、整ったと思ったリズムが少し狂い始めているようだ。

理由は明確ではなく、
全部欲しくて、何か満ち足りてなくて、
欠落している感覚と焦燥感。
でも誰に甘えていいかわからず、
いつも1人で宙ぶらりん。
少しだけ楽になればと思った結果、
書いて整理することにした。


私は現在、顎変形症という病名のもと、
矯正治療を行っている。
端的にいうと、骨格的な問題を抱えた矯正治療。
矯正器具だけではかみ合わせを治すことができず、長い目で見て、歯や体全体の健康に悪影響を及ぼすといったものだ。

治療しないと今すぐ死ぬ!という病気ではない。
審美の面とも大きくかかわってくるので、
健康はもちろん、
見た目のストレスからの解放を求めて、
治療する人も多い。

骨格的な問題、ということで手術が必要になる。
うまくいけば、予定では今年の12月末に手術予定。
手術っていうけど、内容はわざとあごの骨を骨折させて、
適切な位置に動かし、固定する。
といったなんともむごいものである。
うん、そりゃあこわいんだよなあ。

事故を顔面で、
しかも自ら予定してくらいにいくので、
ふと怖さでズーンとする。
自分で決めたから、あまり嘆くこともできず、
たまに涙がでる。
これは悲劇じゃない。
悲劇じゃないけど、やっぱり怖い。
「手術直後は地獄だと思ったほうがいい、
しっかりと地獄を想定しておいて。」
同じ症例の経験者にいわれた一言だった。

客観的な数字に落とし込むと、
顎変形症って年間4,000人ぐらいの人が
手術を受けているようだ。
日本の人口が、現在1億2,500万人程度なので、割合にすると、0.0032%程度。
交通事故でなくなる人は、
年間で同じく4,000人程度。
負傷した人を含むと、普通に交通事故にあう確率のほうがはるかに高い。

結構、勇気がいることのように感じてきた。
いち早く手術を受けたい気持ちと、
どこに向かっているかわからない気持ちで、
いたたまれなくなる。

別に治療をしなくても死なないし、
治療を受けても女優になれるわけでもない。
高校生の頃に診断され、
高校、浪人、大学のライフステージで、
何度も治療を迷った。
いつも手術が怖くて、そこまでする必要はないと、踏み切れなかった。

私はあごの形が、いわゆる受け口という、
下あごが発達した形の為、
下あごを8~9mm程度後ろに下げ、
上あごを1~2mm程度上に動かすらしい。
詳細はこれからだし、立体的な動きなので、
数字に落とし込んでも
あまり意味をなさないんだけど。
でも命を懸けた、結構を大きめな勇気をもってしても、変わるのはmm単位の世界だ。

きっと手術が終わっても、
やれ顔の肉が余るだ、麻痺が残るだ、
気になることはとめどなく続く。
なんせ、目が小さかったり、
顎の骨全体が男性的だったり、
いろいろ気になる点はある。

私が受ける手術は、歯並びの問題がない人でも、
整形として受ける人もいる手術である。
(有村藍里さんが一時話題にあがったが、
彼女も同じ症例の1人だ)

顎変形症は整形それとも矯正?の議論は、
いにしえから続く論争だし、
呼び名は正直どっちでもいい。
手順と、料金と、目的とがちょっと違うだけで、
みんなきれいになりたいという
根底は一緒だなあと思う。

実はセカンドオピニオン的に、
美容整形の先生にも診断してもらったのだが、
"かわいくなる"という整形の域まで考えたら、
私が現在予定している矯正手術だけでは足りないので、お受けしない可能性が高い。といわれた。

絶望した。
命を懸けても、一般的にかわいいとはならないらしいのだ。
いや、もうかわいいってなんだ?

思えばこの「かわいい」って言葉、
ものすごく苦手で、憧れで、疎ましい。
幼いころから、「かわいい」という評価軸は、
自分になかった気がする。

でも決して、恵まれてこなかったわけではなくて、
両親はかなり愛情をもって私を育ててくれたし、
虐待されたことだってない。
明日のごはんがないことを心配したことも、ない。
それに、かわいい以外の他の要素で、
「あたまがいい」とか「運動ができる」とか、
そんなんで、すごいね!の搾取は行ってきた。
すごい!に慣れてしまうと、大人になったとき少し生きにくい。

総じて、別にとびきりかわいくなくても
生きてこれたし、
たくさんちゃんと頑張ってきたし、
人にも経験にも環境にも恵まれていて、
すでに感謝すべき人生だ。
きっと私をかわいいと表現してくれるひともいるし、
私がうらやましいと思う人だって、いる。

それなりに自分の把握ができるほうなので、
顔の割には、といっちゃなんだが、
友人関係でも困ったことはなく、
”尊敬できる、大切だ”と、
声を大にして言える親友たちもたくさんいる。
みんなかわいらしく、尊敬できる子達で、
本当に支えられている。

なのに、なんで?
治療しなきゃ、だめ?
母が泣きながら、手術以外の治療を模索する姿が浮かぶ。

いろいろなタイミングで、
ああ自分はかわいくないのだと
思い知らされたことがある。

高校時代、教室で吹奏楽の練習をしていると、
わざわざ覗きに来た男子生徒がいた。
「アレはかわいくないわ(笑)」と嘲笑しながら廊下を去っていった。

卒業アルバムの撮影では、何と形容したらよいかわからない私の顔だったのか、自分の撮影のタイミングはなぜか静まりかえった。
私の前の子は、「かわいい~~」が飛び交っていた。

卒業式や成人式の晴れ着姿が、
たのしかったことやうれしかったことは、
一度もない。
高い金を出して、高画質でとった写真は、
いやな部分が浮き彫りになるだけだ。

大学の卒業式では、なぜか急に
「Aちゃんの横に、よく居れるよね。」
といわれていることを、告げ口された。
ただの顔見知りの男の子から聞かされた。
Aちゃんは、大学のミスコンに選ばれるような子だが、
高校・浪人など苦楽を共にした親友の一人で、
かわいさだけのつながりなんかで
一緒にいたわけではなかった。
でも、赤の他人から見るとそうらしい。
あ、この世で一番嫌いなのは、
「悪口言われてたよ」と伝えてくる第三者。
実際に言っている本人より、立ち悪い正義感過ぎて、自分は絶対にしたくない。

社会人になると、なお一層、
”かわいい”の壁が立ちはだかった。
WEB広告業界ということもあり、
業界的なこともあるかもだが、
周りの男女は華やかさを極めていたし、
それが憧れでもあった。
勉強ができたって何の役にも立たず、
ニコニコとお酒を飲めるほうが生きやすいのだと、何度も思った。
「あいつブスじゃん」といってくるしょーもない先輩に、悩まされた。

、、、とこんな感じで、些細なナイフを突きつけられたことは多々。
当の本人からすれば、息を吸って吐くくらい、
傷つけようと意識していないこともあるのはわかっているんだけど、
やっぱりふとした時に、疼くこともある。
客観的な容姿への評価を自負しつつ、
それでも浮かない程度のおしゃれとか、
センスとか、そんなんでカバーしながら、
気づいたり気づいてないようなふりをして、
うまいこと生きてきた。
かなり、偉い。

悲劇のヒロインぶりたいわけではない。
たいていの凡人女子が、
人生一度は免れられない、
その経験の1つだ。
かわいいという表現は、最もわかりやすく判断しやすいので、口に出しやすい。
だからこそ傷つく世界もある。それだけだ。

コロナになって、毎日、
自分と会うという感覚が強くなった。
私の会社は95%くらい在宅だったし、
平日のほとんどは、知り合いに誰にもあわないなんてことが当たり前になっていった。

26年間、毎朝、毎日、私は自分に会っているんだけど、
他人の目線というノイズが少し減ることで、
自分が気付かなかった部分に目を向けられるようにもなった。

目は小さいけど、下まつげは長く大人っぽいし、
眉毛はきれいに整えてみると、ふさっと流れてイイ感じ。
小学生ぶりに前髪を伸ばし、おでこをだしてみたところ、
色気があると評判がいいし、
元々すごく太っているというわけでもないから、
ちょっと筋トレをすれば、体のラインも整えやすかった。
脚は自慢のチャームポイントである。

絶世の美女でも、ピカイチかわいいわけでもないが
私、ちゃんといいところもある。美しい。
そう思える日が少しずつ増えた。

それと同時に、この喜びや自信を、
表情でしっかり伝えたい。
笑顔を作りたい。とも思った。
骨格上、どうしても笑顔が不自然になってしまうことがコンプレックスで、そこはコロナ環境でも変わらない感情だった。
口元を覆うことが日常になった今だからこそと、
2020年の夏から計画をすすめ、
ついにやっと矯正器具をつけるに至った。

私が自らを、もっともっと美しいと表現できるように。
他人のかわいらしさを素直に受け止められるように。
26歳、遅いかもしれない。
そんな場合じゃないのかもしれないけど、
今日も私は頑張っている。
矯正の為に歯をぬき、
今の歯がない笑顔は小学生みたいだが、
それがかなりかわいいといってくれた友達を、
私は生涯忘れない。

めちゃくちゃ綺麗に笑えるようになったとき、
また1つ何かわかるのだろうか?
そのころには、自分をもっと愛して、
そんなわたしを愛してくれるひとも
増えていたらいいね。
私ならきっと大丈夫。
自分の美しさにも、他人の美しさにも、
かわいいで表現しきることができない美しさに
気づける大人に、
また一歩ずつ近づけたらいいなと、そう思う。

この春は、矯正器具を付けた笑顔を楽しみたい。
コロナで口元を隠すことが多いし、人にも会いにくいけれど
会えた時には、ちゃんと笑顔で楽しみたい。
まだ不格好な笑顔かもしれないけれど、
きっと来年の春はもっと美しくなっているし、
その次の春は満面の笑みで日々を過ごせてますように。

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#日記 #コラム#手紙#顎変形症#矯正

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