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【九鬼神道】蘇民将来の子孫とスサノオ【孝安天皇】~古書から日本の歴史を学ぶ~

※このnoteはYouTubeで視聴することも出来ます。

こんにちは、今回は九鬼神道とバアル信仰についてお話しさせていただきます、宜しくお願い致します。


伊勢神宮周辺や京都の祇園、広島湾周辺や沖縄など、日本列島各地には古来から「蘇民将来」という物語が伝承されています。


書物でいうと、吉備真備が書いた[簠簋内伝](ほきないでん)や[日本書紀]の注釈書と云われる[釈日本紀]、室町時代に記されたとされる[公事根源]、[備後国風土記]逸文、古史古伝の[九神文書]、朝鮮半島の[契丹古伝]などにも蘇民将来の伝承が残されています。

各書物によって微妙な違いはありますが、ざっくり要約すると、
※蘇民将来の詳しい物語は「天照大神」のnoteをご覧ください

家の門に目印があるものを神様が助けるという物語です。

この時の神様というのは牛頭天王又はスサノオであり、助けられた民というのは牛頭天王に寝床と食べ物を提供した蘇民将来とその子孫たちです。


この伝承から、伊勢や祇園では木片や紙に「蘇民将来子孫之守」という文字と六芒星のダビデ紋を書いて、1月の14日と15日に家に飾っておく風習があります。

蘇民将来の伝承によれば「後の世に疫病があれば、蘇民将来の子孫といって茅草の輪を腰につけると疫病を免れるであろう」と伝承されており、木片のご利益は疫病や災難の魔除けと云われています。

蘇民将来の伝承は日本や朝鮮半島だけに伝承されたものではなく、そのルーツを辿ると、アラビアの遊牧民族であるベドウィン族やユダヤ人などにも同じような物語が伝承されています。


「旧約聖書]にある家の門に羊の血を塗ると災いを免れる、という過ぎ越しの祭りは、蘇民将来伝承の祖型にあたります。

先程、伊勢地方では1月の14日と15日に蘇民将来之子孫のしめ縄を家に飾っておく風習があると言いましたが、この1月14日というのは旧約聖書[エジプト記]によれば、すべての神々に審判を行う日であり、柱に小羊の血が塗られた家は過ぎ越されて、初子の命が助かると記されている日です。

ベドウィン族というのは中東の砂漠に住む遊牧民の総称で、「ベドウィン」という言葉はヘブライ語を通して「アラブ」の語源になったとも云われています。
ベドウィン族の伝承は紀元前3000年以降になるとディルムンと呼ばれた海洋王国や、マガンやメルッハ又はマラ族、パレスチナのテルアビブに位置したサマリア、エブスなどの海人によってマレー半島を越え、さらに現在のタイ(バンチェン)から中国西南部に伝承したものと、マレー半島から海路を北上して朝鮮半島や九州に伝承したものにわかれます。

現在の日本では九鬼文書を伝承している九鬼家が蘇民将来の子孫と称して、古来から鬼神を祀っています。

この蘇民将来伝承とほぼ同じルートを通ってワニだまし神話が日本まで到達しています。

ワニだまし神話は、マレー半島ではソロモンの命によって鹿が海の上を渡る神話となっていますが、どちらもバアル神話から派生したものです。

ソロモン神殿と日本の神社には共通点が多いですが、ソロモンはユダヤ教の神ヤハウェを祀っていたのではなくバアルを祀っていたというお話しを「スサノオとバアル」の動画でお話ししました。

バアルというのは頭に牛の角をもっている牛頭神です。
[九鬼文書]によれば、九鬼神道の最高神は鬼門大金神という神で、その次が牛頭天王としています。

牛頭天王とはスサノオであるとともにバアル神のことなので、その上位にくる鬼門大金神とは、バアルの父ダゴンまたはエルのことではないかと推測できます。

[九鬼文書]の中には最高神を太元輝道神祖と記している箇所があり、この太い元の神はダゴンと読むことができ、さらに別のところでは、「宇志採羅金神」とも書かれ、大本教はこれに「艮(ごん)」の字を当てて国常立尊や天之御中主神と同一神としています。

九鬼の伝承は後世になり密教を取り入れたため複雑に錯乱していますが、密教のインドラはダゴン又はバアルのことで
(詳しくはスサノオとバアルのnoteをご覧ください)

密教では、大日如来のまわりにインドラ(金剛手菩薩)以下の八菩薩を配置しているのに対し、[九神文書]では主神である鬼門大金神のまわりに天照大神、豊受姫、スサノオ、月夜見、大国主、埴安姫、岩裂神、根裂神という八神をおいています。

スサノオは[日本書紀]では、息子のイソタケルノカミと共に新羅国のソシモリにまします、とありますが、ソシモリの「ソ」は朝鮮語で牛、「モリ」は頭という意味なのでソシモリは牛の頭ということになり、蘇民将来の一族は牛頭神バアルの一族、つまりバアルを祀っていた頃のフェニキア人ではないかと考えられます。

フェニキア人とは古代最大の通商航海民族であり[旧約聖書]ではノアの3人の息子のひとりでるセムの子孫であり、広義のユダヤ人です。

古代の日本で宮廷の祭祀に携わっていたのは中臣や卜部、阿比留などの氏族ですが、彼らは元来、金官加羅や駕洛国、東表国などと呼ばれた王家の子孫であり、日本史でいう孝安天皇の王朝がこの王家にあたります。

孝安系の王族は西暦3世紀末に猿田彦を先導として現在の兵庫県に入り、その後伊勢地方に入っています。
伊勢や熊野に残る蘇民将来伝承はこの時の王族が持ち込んだものと思われます。

[契丹古伝]では牛の角を持つ契丹族のシャーマン、キリコエという人物が蘇民将来の伝承を持っていたと記してあり、契丹人の祖にあたる箕氏朝鮮やさらにその祖にあたる殷の一族はベドウィン族の伝承に近い、テントに血を塗るという蘇民将来の祖型となる伝承を残しています。

契丹民族の蕭(しょう)という氏族は耶律氏と並ぶ重要な氏族で、契丹王家の皇后は、ほとんどが蕭氏であったと云います。

この蕭氏は牛神をトーテムとしていて高句麗の第8代新大王の時代には濊族と扶余の一部と共に半島南部から沖縄へ遠征しています。

キリコエは、後に沖縄で聞得大君(きこえおおきみ)と呼ばれますが、契丹族は自ら箕氏朝鮮の子孫と称し、キリコエの信仰をもっているので元来牛神信仰は箕氏朝鮮の信仰であり、その流れを汲む金官加羅や駕洛国、東表国と呼ばれた国やその分国にあたる新羅に伝承されたものと思われます。

伊勢神宮外宮の神官である渡会氏の祖先は乙乃古命(うるのふるのみこと)だとあります。

この乙乃古命は[古事記]や[日本書紀]にも登場し「おつのこみこと」または「おとのこみこと」と読んでいますが、言語学者の川崎真治氏によれば、「ウルノフル」は楔形文字の古代シュメール語で「牛(ウル)の都(フル)」となるので、渡会氏の祖先はメソポタミア地方でバアルを祀っていたのではないかと考えられます。

乙乃古命は現在の兵庫県辺りに位置した但馬から伊勢に移り、さらに熊野、志摩半島を回って伊勢湾沿岸にたどり着いたと云われています。

伊勢地方の名産は伊勢牛であり、伊勢から南西に位置する松阪市の名産、松阪牛は伊勢牛の中から特に優れた肉牛としてブランド化されたものです。

この牛のルートと渡会氏の祖先の移動ルートが重なっています。

というのは、松阪肉のオリジナルである神戸肉の原産は但馬牛であり、この牛のルートと乙乃古命のルートは重なっていて、さらに御神鏡の移動経路もこれと同じルートだと云われています。

そもそも外宮の御祭神である豊受大神は、元々丹波・但馬地方の神であったと[古事記]などで伝承されており、これらの地域には蘇民将来が伝承されています。

九鬼神道は鬼神を崇拝し、スサノオを主神としていますが、この鬼神は南海ルートで日本へ入り、これが後に「鬼道」と呼ばれ、神道となります。

この南海ルートとは別に中国大陸を通って来た鬼神もありますが、元々は同じ信仰です。

※鬼神と鬼道については、「邪馬壱国」の動画をご覧ください。

鬼道は古代において、華南・華北・満州から朝鮮半島の全域にわたって信仰された宗教であり、林邑と呼ばれた現在のベトナムでも鬼神の信仰がありました。

このような広域宗教であった鬼道とは、複数の神々を信仰し、天神や日月神のほか、王朝の祖王も含まれていたことが
[後漢書](韓伝・濊伝)
[晋書](馬韓伝)[魏書](高句麗伝・弁辰伝)
[隋書](百済伝・新羅伝)などからわかります。

鬼神の信仰は中国では原始道教として行われ、朝鮮半島では後に檀君教と呼ばれ、日本では神道として残っています。

これらの元を辿れば、古代オリエントで流布されていた牛頭神バールに行き着きつきます。

今回は[九鬼文書]の蘇民将来伝承や九鬼神道から、神道の起源について見ていきました。

古代史には膨大な学説がありますので、今回の内容はそのうちの一つだと思っていただいて、ぜひ皆さんも調べてみて下さい。

下記の参考書籍もぜひ読んでみて下さい。
最後までご覧いただきありがとうございました😊💖

📖参考書籍📖
吾郷清彦「九鬼神伝全書 中臣神道・熊野修験道」
鹿島曻「神道理論大系」「日本神道の謎」「史記解」
安倍雅史「謎の海洋王国ディルムン-メソポタミア文明を支えた交易国家の勃興と崩壊」
ジョフレー・ビビー 他2名「未知の古代文明ディルムン―アラビア湾にエデンの園を求めて 」
R.ドゥ ヴォー「イスラエル古代史」
日本聖書協会「旧約聖書」
木村鷹太郎「旧約聖書日本史」
中村啓信「古事記 現代語訳付き」
筑摩書房「古代オリエント集」
鳥越憲三郎「古代中国と倭族」
三笠宮崇仁・赤司道雄「フィネガン古代文化の光」

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