AI

何をするために生まれてきたのか? 何のために生きるのか? 風の時代の今だからこそ、自分…

AI

何をするために生まれてきたのか? 何のために生きるのか? 風の時代の今だからこそ、自分の人生を見つめなおす。 そんなブログです。

最近の記事

私の人生のテーマ

ズバリ 「賢く生きる」こと だと、今朝ふと思った。 冬はやっぱり視界がクリアになる。 会社員だろうが個人事業主だろうが 独身だろうが子供産んでようが 関係ない。 私は未知の領域にどんどんチャレンジしていきたい。 知らないことをいっぱい知りたい。 気の赴くまま、流れのままに 新しいことにチャレンジし続けたい。 その結果、たまたま人の役に立てたら良いんだと思う。 それが私の特性。 やっとわかった。 アリストテレスの言葉、フィロソフィア。 人間の本性は

    • 7歳でADHDやーめた!

      私の小学校低学年時代。 <小学1年生> 授業中、消しゴムをむしり続ける。 イスの下にはむしった消しゴムの破片の山。 担任の先生はそれをあえて残しておいて 母親を呼び出して見せたそう。 <小学2年生> 担任の先生が優しかったため ついに授業中うろうろ歩き回りだす。 ヒドイときは、教卓の横に寝転がったりした。 授業に出ずに保健室ばっかり行ってたかな。 いよいよ問題が表面化して末期… こんな状態だったため、小学校2年生の時は 母親が精神的にきつそうだった。 対して、私は叱ら

      • おそらく私ADHDだった

        心理の勉強を始めようと思ったときに、色んな先生の動画を見て はじめてこの言葉を知った。 内容を見たときに、小学校低学年の時の私じゃん!と思った。 だから、息子を見ててもそんな気はしてて… だって過去の自分を見せつけられてるようだったから(^^;) 息子が正式に保育園から発達検査を受けることを勧められて ようやく引導を渡してもらえた感覚。 でも、そのあと襲ってきた感情は 「私も適切な支援を受けられていたら人生違ったのかな…」 というなんとも言えない、後悔のよう

        • 幼稚園の疑問

          私は3歳1ヵ月で幼稚園に入った。 はじめて親元を離れる不安も大いにあったけど… それよりも幼稚園ではみんな一斉に同じことをするのが 不思議でしょうがなかった。 「おうたを歌いましょう」 「はい!」 「席に着きましょう」 「はい!」 なぜ答えが「はい」しかないのか不思議。 本来なら「はい」か「いいえ」か選べるはず。 私は3歳で既に社会の違和感を感じていた。 今でも覚えている。 あれから30年、ようやく正面から感じて、取り込んで、表現している。 もちろん

        私の人生のテーマ

          ブログをはじめて思うこと

          「自分の感動した体験を言葉にするのは羞恥を伴う作業である」 こんなような言葉が、高校生の時の現代文のテストの文章に書いてあった。 33歳になった今でも覚えているほど当時その言葉に電撃が走り 深く共感して テストの問題文なのに文章に入り込んでしまったことをよく覚えています(笑) ブログを書くことがまさにそんな感じで、 私が日常のどの場面を切り取るか?に 私の個性が大いに発揮されるわけで さらけ出す羞恥と、共感してもらえるのかという恐怖が 長い間ありました。

          ブログをはじめて思うこと

          感情って何のためにあるの?

          高校生の頃、テスト勉強の度に思っていた。 「感情って何のためにあるんだろう?」 感情さえなければ 眠い!とか、やりたくない!という気持ちと戦わずに 計画した時間きっちり勉強できて、先生の言うように右肩上がりに成績が伸びていくのに。 ロボット化スイッチがほしい! そう思ってた。 「感情」の意味について知ったのはその18年後。 この高校生の時の感覚・感情がなければ、「感情」の意味を知ったときに こんなに感動することはなかっただろう。 今では色んな方に感情の扱い

          感情って何のためにあるの?