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【悩み】私たちは誰の人生を生きているのか

👩‍🎓前置き


大学の講義に出てきた、1人の女性の話が印象的かつ共感したため、ここで紹介したいと思う。


👩‍🎓とある大学生Aさんの話

Aさんは、世間的に優秀とされる大学に通う学生。

そんな彼女を、人々は「将来はいい会社に就職できる」だとか「努力してきた優秀な人だ」などと思うだろう。

そんな彼女には悩みがある。

それは『やりたいことが分からない

彼女は、小・中・高で『今』に焦点を当てた学びをした経験がなかったらしい。つまり、当時やりたかったことや好きなことは置いてけぼりにして、

〜小学生・中学生のとき〜
良い中学、高校に入るために勉強しなさい

〜高校生のとき〜
良い大学に入るために・・・

〜大学生のとき〜
良い会社に就職するために・・・

と言われ続け、その通りこなして今に至るそうだ。

そのため、今までは『やりなさい』と言われていたのに、急に『将来何がやりたいの?』と言われても、当時の自分の興味を優先される経験がなかったがために、何がしたいのか分からなくなっている。

ほとんどを『やらなきゃ』とこなして来たAさんにとって、『やりたい』と考えるようシフトチェンジするのには、経験不足で難しい。

Aに『やりなさい』とアドバイスをした親や先生は、Aの将来の『幸せ』を思って言っていたのだとは思う。けれど、Aが何を『幸せ』と捉えるかは他人が干渉するものではないだろう。その幸せの選択肢を与える立場を取りたいのならば、多くの経験をさせて、『幸せな人生のレール』以外にも様々な道がある、ということを教えることが、本当に当人の幸せを思っての行動だと思う。

『これをこなせば、あなたは将来幸せになれる』と社会に敷かれたレールを歩ませようとする行為は、他人の人生に過干渉していると言える。更に言うと『当人に自分の人生を歩ませてあげられていない』→『じゃあ誰の人生を生きているの?』となるだろう。

挙句は、家業を継ぐ等ではない限り『あなたはどんな仕事がしたいの?』と急に他人行儀になって本人の今まで押し殺させてきた意志(もはやそれすら無いのかもしれないが…)をいきなり尊重するような姿勢を取るのだ。そんな突然に突き放すような態度を取られても、今までそういった生き方をして来なかった、来ざるを得なかった当人は混乱してしまうだろう。


このような話を聞いて、少し私の人生と分かり合える部分があると思った。私自身、そこまで親から「勉強しなさい」と言われたことは数少ない。けれど、上の兄姉(全員大卒)がいる影響で、「私もお兄ちゃんお姉ちゃんのように大学に行くんだろうな〜」と漠然と思って育っていた。

それもあってか、『自分が何がしたいのか』が分からない。好きなことはあるが、それを仕事にしたいのか?と考えるとそうでもない気がする。

👩‍🎓私の悩み💭

また私は、『今なに食べたい?』という質問に答えられない。いつも適当に「イタリアン」だとか「和食」だとか「中華」と言うけれど、自分が何を食べたいのかすらも分からない。他にも、『今なんの口?(=何食べたい?)』も分からない。偏食でもないし、美味しければ何でもいいと思っているから、何でもいいと思ってしまう、、、、これに共感してくれる人はいないだろうか😤


以上!読んで頂きありがとうございました!
みなさんは、今何が食べたいですか??