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「いつも通り」の安心

幡野広志さん、大西勇史神父、小杉湯 菅原理之さんの鼎談イベント。
言い出しっぺのわたしが言い出したのが、昨年の12月。開催が決まり、すてきな出会いに恵まれて、企画が走り出しました。イベント当日まで1ヶ月をきって企画が詰まってきていた矢先、開催の延期を決めました。
本来ならイベント当日のはずだった3月14日も過ぎて、次があるからこそ、今の思いを書き残しておこう。そう思い立ち、まずは自分の気持ちを収集して整理して。文章にするまでには時間がかかってしまいました。

延期からはじまった、いろんな気持ち

延期を決断した3月下旬。イベントまで2週間と少し、残された準備期間に緊張と高揚を覚えていました。そんななかで、じわりじわりと身近になってくる新型コロナウイルスの感染拡大。なんとか開催できたら…という思いと、もし何かあったら…という思いが入り混じりました。

たのしみに集ってほしい、おもしろいイベントにしたいという思いで企画をすすめてきたからこそ、安心して来てもらいたい。そのための延期。
いろんなことがいつも通りのペースを失っていくなかで、わたしたちの方向性を決められた安堵感、そして、リベンジに向かう新たな気持ちが湧きました。

とはいえ、消化しきれない気持ちがあったことも、確かです。
悔しさ、かなしさ、不安、喪失感、手持ち無沙汰な感じ。
今のわたしのほんとうの気持ちは、どれだろう。
いろんな気持ちが織り混ざって湧いてきて、自分の気持ちに惑わされる日々を過ごしました。

いま、ようやくわかりはじめているのは、どれもほんとうにわたしの気持ちなのだということ。その日に向けて準備していたからこそ悔しいし、喪失感もある。でも、企画している立場としては何かあったらと思うと不安。どれもほんとうの気持ちでした。

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「いつも通り」をみつけた安心感

いろんな気持ちが交錯いているのは、きっとわたしだけじゃない。いつも通りを少しずつ崩さなくてはいけない世の中で、多くの人がそう感じているような気がします。

今、なにができるのか。まだリベンジの時期さえわからないときに、なにができるのだろう。
考えはじめたのはいいものの、答えを見つけるのには思いの外、時間がかかりました。動き出せずに悶々としてる方がよくないし、もったいないぞと焦るばかり。

わたしが動き出せずに焦っているときにも、毎週更新される幡野さんの人生相談が公開されました。
大西神父の連載も、予定通りに公開されています。
「小杉湯となり」も、プレオープンを迎えて毎日たのしそう。

未曾有とか非常事態と言われる日々に終わりがみえず、もうこれが日常になってしまうのではと思ったときに「いつも通り」をみつけた安心感。この安心を味わってやっと、今できること、今すべきことに気づきました。

いつも通りを、丁寧にすごすこと。

いろいろな場面で「いつも通り」を手放さなくてはいけないからこそ、丁寧に扱ってみる。もしかしたら、こんな時でも握っておける「いつも通り」が見つかるかもしれないし。

「いつも通り」って、何を求めているんだろう。わたしは何を失いたくないのだろう。自分がこんなにも「いつも通り」に寄りかかって生きていることに驚きます。


「いつも通り」に守られた、9年前

未曾有という言葉を再びよく聞くようになって、9年前の東日本大震災を思い出します。当時もわたしは東京にいて、中学三年生。中学を卒業して高校に上がる春でした。あの年によく聞いた未曾有という言葉を再び耳にして、あのときは子どもで今は大人なんだ、と思うことがあります。

東日本大震災のときを振り返って母は、「ほんとうに辛かった」「恐ろしかった」と言います。家族の無事を案じたり、わたしたち子どものその後の生活に神経を使ったり。大変でなかったはずがありません。
一方わたしは、震災のことを思い出しても、母が言うほどには大変だったという感情が伴いません。中学卒業をひかえた時期に登校できない手持ち無沙汰で残念だった気持ちは覚えているものの、大変さや不安な気持ちはそれほど思い出されないのです。あえて言うなら、計画停電の夜くらい。ストーブの赤い火だけが部屋の真ん中でぼんやりと灯る、見たことのないリビングの風景。

ほとんど同じ場所で同じ非常事態の日々を過ごした母とわたしの記憶が、なぜこんなにも違うのか。それはきっと、大人として振る舞った母と、大人に守られたこどものわたし、という違いなのだと思います。

東日本大震災がおこったとき、わたしは学校にいました。
携帯で連絡したものの誰にも連絡がつかないと泣きつくわたしに対して、そんなの当たり前、わかってるから大丈夫、とつっぱねるように平気な顔をしてくれた先生。
取り乱した様子もなく当然のように迎えにきてくれて、早く妹たちを迎えに行きたいはずなのに、友だちのことも送り届けてくれた母。
その翌日から学校は休みになったものの、いつもと同じの時間に起きて、食べて、計画停電の合間を縫うように友だちを招いてお好み焼きパーティーもしたりして。

今更ながら、非常事態にもかかわらず、できるかぎりの「いつも通り」を整えてもらっていたことに気づきます。今は、それがどれほど大変だったかということも、すこしはわかっているつもり。

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蕾の時期だと思うことにする

朝の電車は空いているし、帰りの道は深夜かと思うくらいに閑散としている。未曾有で、非常事態で、自粛の日々を、わたしは蕾の時期だと思って過ごすことにしました。今は、咲く季節をたのしみに栄養を蓄えるとき。

わたしにそう思わせたのは、もうすぐ咲きそうにふっくらした蕾が可憐な、一輪のアネモネ。
花瓶に活けて寝た翌朝、ぱーっと咲いたアネモネは、蕾のときよりひとまわり大きくなったようで、花びらの濃いピンクと雌しべの黒のコントラストが想像以上に華やかでした。

蕾が、咲いた。
「いつも通り」が、ここにもあった。

こうなるだろうという予想を裏切られない安心。見通しが立っている安心。
「いつも通り」がなくなると不安になるのは、信じていたものが崩れていくから。なにを信じたらよいかわからなくなるから。

蕾の時期を過ごすにあたって、どんなことで蕾をふくらませようか。そう考えていて行き着いたのが、思う存分、夢をみること。空想をふくらませること。
夢ばかりみていたって…と思うこともあるけれど、先が見えづらいなかでさまよい、不安に苛まれるくらいなら、思い切り夢をみるのもいいかもしれない。今はちょっとだけ調子にのって、たのしくおもしろくいろんな可能性を考えていてもいいんじゃないか。


鼎談イベント開催まで、もうしばらくは蕾の時期。
咲く季節がきたら、ぱーっと咲けるように、こうなったらうれしいな、こうしたらおもしろそう!というのをたくさん集めていたいなと思います。

どんな話がきけるんだろう。
誰と行こう。
どこに寄り道しようかな。

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