1年間通ったつもりの保育園は、たったの2ヶ月弱だったらしい話
こんにちはanne です。
見出し画は神社での兄と私です。
たぶん私1歳と数ヶ月。
私の仏頂面が蹴飛ばしたくなるくらい可愛
げないので頭はカット!
話によると着物には不釣り合いな大きな赤いバックを取りあげようとしたけれど、絶対に離さなかったそうで、それが面白くなかったのだろうと。
なら何故にそんなバックを持たせて家を出たのかも謎なんだけど。
今日は私の幼少期の話です。
他人にとっては、どうでもいい話をします。
え?何故って?
モテない私のモテ期自慢だ。
...。違うよ。
最近になって母の話が私の記憶と余りにも違いすぎて驚愕したよって話です。
2年保育幼稚園に入る前年のこと。
3歳なのか4歳なのか計算するのが面倒なので大体それぐらいということで勘弁してもらいましょ。
3人兄妹の末っ子の私。
夏休みが終わったお盆明け頃、何だかワケもわからず毎日グズる私に大人たちは大変手こずっていたらしい。
どうしたのと聞いてもグズグズ言うだけでワケがわからなく困る母。
どうやら兄や近所の子供達が夏休みの終了とともに一斉にいなくなり、日中1人ぼっちになったせいではないかと。
同い年の子供たちも保育園だったので夏休みが終わると園に通い出したそうで。
え?私気づくの遅くない?
それなら春には寂しくなってグズるはず。
当の本人は全く記憶がないので真相はわからないまま。
見かねたお向かいのオバサンが
『どれ、そしたらうちの息子と一緒に連れていってみるかい?』と。
そうして私の保育園通いが始まったそうだ。
保育園と言っても中心部から外れた農村地帯のお寺の本堂で、併設されていたわけでもなく、農家さんの繁忙期の春から秋にかけての期間のみ子供達を預かっていたお寺の保育園。
初日のことは全く覚えてはいない。
お寺では先生も園のお兄ちゃんお姉ちゃんたちも、あんちゃん、あんちゃんと可愛がってくれたので楽しい思い出ばかりなのだけど、記憶していることはとても少ない。
普段何をしていたかは全く覚えていない。
お絵かきしていたのか、歌を唄っていたのか、運動していたのか、まるで記憶はない。
朝の合掌
お寺なので本堂で正座をしてなむなむする。
なむなむ(南無南無)=仏様に手を合わせる
これ福岡ではまんまんちゃん あん。というらしいよ。
あ!以前に昭和を懐かしむnote さんも記事にしていて、はじめましてなのに思わずコメントしちゃったんだった。
∇詳しく書いてあるから、よかったら読んでみてね
可愛いですよね?まんまんちゃんって。
あん。も可愛い!
結構広範囲で使われている幼児語なんだね。主に西日本ではこう言うのかな?
ランチ後のつまんない時間
ランチのことは一切覚えちゃいない。
給食だったのかお弁当持参だったのか?
ランチ後は本堂でお布団敷いてお昼寝タイム。
なぜにみんなこんな所でグッスリ眠れるんだろうと不思議でならなかった。
寝たふりして大人しくしていなきゃならないのがつまらなかった。
お漏らししちゃった思い出
替えのパンツがなくて、親の代理人が届けてくれるまで本堂の後ろの暗い部屋で先生と過ごしたことは鮮明に覚えていて、届けてくれたのが親じゃなかったのが悲しかった。
うちの両親て自動車免許持ってないの。殿様だから(笑
ところで、なんで漏らしたんだろ?
ファストパスか?順番待ちで並ばなくてもいいのよ姫だから
外には公園のような遊具があった。
ある日、ブランコの順番待ちをしていたら、歳上のお姉ちゃんが『あんちゃんが待ってるんだから早くよけてあげなさいよ、あんちゃんは小さいんだからね』と。
え?大丈夫だよ?私、待てるよ。
と思ったけれど声に出す勇気はなく、譲ってもらったブランコに乗る。
ちゃんとお礼は言えていたのだろうか。
きっと恥ずかしくて声に出せていなかったはずだ。
そんなことが何回かあったのを覚えている。
譲れと言われた子は、私のことが嫌いだっただろうな、ごめんね。
なんであの子だけ特別扱いされるの?と思っていたに違いないよね。
特別扱いしてくれない男の子
帰りは路線バスに乗って市街地まで帰る。
誰もが一番に乗車して最前列に座りたいから毎日順番こに整列してバスを待つ。
今日は私が一番先頭だ!
ウキウキしてバスが来るのを待つ。
バスが目の前で停車して、プーという音と共にドアが開く。
さぁっ!と、一歩踏み出した途端に後ろの男の子がグイっと私を避けて足早にバスに乗り込んだのだ。
『あーん、Kちゃんずるーい!』
と言ってももう遅い。
最前列の席は彼に奪われてしまうのだった。
そう、彼は私の家のお向かいに住む、一歳年上の幼なじみ。
最初に、お寺に連れてきてくれたオバサンの息子である。
誰もが私を特別扱いしてくれるのに、彼だけは違った。当たり前だ。毎日顔を合わせていてお互いの家を自分の家のように気楽に出入りする兄妹のような仲なのだから。
楽しい田舎の学芸会
学芸会のような行事があった。
広い本堂に子供達の家族が集まっていて重箱にご馳走を詰めて持ち寄り田舎のお祭り騒ぎみたいな感じ。
男の子たちは、カウボーイの出で立ちで、なんかの動物の子もいたような。え?それって??
女の子は着物を着て踊る子たち。
私はバレリーナみたいなサテンのツルツルのドレスを着て、マリオネットなんちゃらとかいうのを躍らされた。
我ながら誰よりも可愛いと思い込んでいるアホな子供だった。
最後はまたもや私である。
なぜか大勢の前で1人っきりでおうまのおやこを歌わされたのがとても嫌だった記憶がある。
おそらく普段はめちゃくちゃ1人で得意気に歌いまくっていたのだろうと思われる。
それをいつも見ていた先生が1人で歌わせてみようと思ったんじゃないのかな?私可愛いし(アホ!
観客は小さな子供から大人、おじいちゃんおばあちゃんまで、みんながコチラを見ている。
覚えている。
あの時のことはハッキリと覚えている。
盛大な拍手と大歓声の中、中央のマイクスタンドの前に立たされる私。
圧倒された。
何が何だかわからない。
恥ずかしくなってモジモジする私。
その時かわいー!!という声が次々に聞こえてきた。
すっかり気を良くしたアホは覚悟を決める。
舞台の袖で見守っていたのは先生なのか家族なのか向かいのオバサンなのかは覚えちゃいないけれど、誰かによし!行くよ!とコクりと頷いた記憶がある。
こうなったら歌わねば!
伴奏があったのかどうかはわからない。
♪おーうまーのおーやーこーは♪
と歌い出す私。
本堂は大爆笑の渦に包まれる。
なぜ笑われているのか全くの謎である。
しかし、歌い出したら最後まで歌いきるしかない。
謎の爆笑の中、歌いきった私は子供ながらに偉かったと思う。
楽しかった学芸会が秋に行われていたことも知らなかったが、それが卒園式だということも最近になって母に聞いた。
正確には卒園式というよりも、その年のお別れ会みたいな感じだろうか。
翌年に小学校に上がる子供たちもいれば、また春になればお寺にお世話になる子もいるから。
楽しかったお寺の保育園。
大人も子供もみんなが私に優しくしてくれて楽しい1年だったなぁ。
なんて母と話していたら、あんた何言ってるの?あれは1ヶ月か2ヶ月くらいのことよ。
え?そうなの?
冒頭で書いた通りである。
お盆を過ぎた辺り、もしかしたら9月に入ってから農家の稲刈りが終わったあとまでのことなのだから。
そんだけちょびっと?
ほら、と写真を見せてくれた。
集合写真には卒園式と書いてあった。
私のマリオネットなんちゃらの様子は実に楽しそうである。
横1列に手をつないで躍っているのに1人だけ、とびきりの笑顔で飛びっきりに跳ねている。
うわぁ両サイドの子達、嫌だっただろうなぁ、めちゃくちゃ引っ張られてるじゃん!
クソ生意気なガキだわ。
無敵過ぎて自分だとは思いたくないわ。
しかし一番の笑顔で一番可愛いやね(アホ
おうまのおやこは?
歌い出す前の姿は、お尻丸見えであろう丈のワンピースの裾を握り、おそらく舞台袖にいる誰かに向かって『いやー!こんなん歌えませんて~、先生助けて~!』て顔してる。
しかし、笑顔ではある。
歌唱中のは、めちゃめちゃいい気分で大声で歌っている様子も伺えるいい写真だね。
記憶とは大違いだなぁ。
横から撮られた写真では、見ている大人達もみんな笑っている感じ。手を叩いて笑っているであろう姿もある。
こんなに大人達を笑顔にさせてる私は天使なんじゃない?
(音程外しまくっていたので爆笑されていただけと予想される)
あー今の自分に半分くれないかなぁ、その無敵な無邪気さを。
と思ったお話でした。
この後、男の子に憧れていた私は自分のことをボクと言い、ショートカットにしてくれと懇願したそうで、ツインテールの長い髪をバッサリ切りモンチッチみたいなサル顔で幼稚園の入園式の集合写真に写っている。
当然、農村地帯では持て囃されたツインテールの女の子は市内中心部の幼稚園で初めて自分は主役ではないと思いしらされることになったとさ。
おわり
今日も読んでくれてありがとう
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