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必ずしもポジティブが正ではないことについて(「映画 刀剣乱舞−黎明−」)

2023年3月31日に、第2作目である実写版「映画 刀剣乱舞−黎明−」が公開されました。私は2015年から審神者をやっており、ミュージカルも舞台も、映画の1作目も観ている刀剣乱舞のファンです。

この記事はネタバレもしないし本編には言及しない、オタクの独り言です。

率直な感想を言うと、私はこの映画が好きになれませんでした。理由を言うとネタバレになりそうなので言いません。
刀剣乱舞の思い入れがなければコキ下ろしていたかもしれないぐらいに、好きではないです。全然楽しめなかった。刀剣乱舞ではなかったらそもそも最初から選択しないタイプの映画です。

でも私は、それはただの自分の感想だし良いと思っています。好きな気持ちも好きじゃない気持ちも、一人の人間の感情です。その感情を盾に、見える所でボロカスに映画を貶すのは褒められたことではないですが、それでも「この映画を面白いと思う奴は馬鹿だ」などと、他人を貶すような発言されしなければ、作品への「貶し」もまた一つの感想だと思っています。

私がガッカリしたのは、Twitterで「批判したい人は何でわざわざ見えるところに書くの?もっと作品を愛する心を持たなきゃ!(意訳)」と言われていたことです。
私は、刀剣乱舞を愛する心と、黎明を愛する心は別だと思っています。また、いくらファンでも、全てのものを盲目的に愛することは難しいと思っています。私は今まで触れてきたメディアミックスのほとんどは好きですが、今回の映画とアニメ花丸に関してはnot for meでした。だからといって、刀剣乱舞が好きな気持ちは変わりません。

私はサブスクでの自宅鑑賞を含めて年間100本ぐらいの映画を観ていますが、その中でもやっぱり「これイマイチだったな」という映画もたまにあります。けれど私は、イマイチだった映画も一つの「映画体験」として損をしたとは思っていません。黎明に関しては、私にとっての「これイマイチだったな」の一つに過ぎません。
Twitterでの誰かの一言は、私の「イマイチだった」という気持ちすら否定されたように感じて釈然としません。知らない誰かの一言ではあるけど、感じたものは私のものなので、それを否定する権利は誰にもないと思うわけです。

もちろん、黎明が誰かにとっての大事な作品になったこともあるでしょう。私もそれは否定しないし、その人がそういう作品に出会えたことは喜ばしいことだと思います。
お互い距離を取って生きていくべきなのでは?と思った次第。おそらくそのツイートをした人は、自分にとって大事な作品が、知らない他人に批判されていたことをよく思わなかったのでしょう。
少し深呼吸してみてください。
こういう時に、自分と他人を分けることができるおまじないを教えてあげましょう。

河田は河田、赤木は赤木ってことだ。
俺は誰だ?
俺の名前を言ってみろ。
俺は誰なんだよ。

ともあれ、映画第3弾もあるといいですね!