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【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~(全9話)+あとがき

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「犯人はあなただ!」「さあ、聖杯を取り出せ」「紫式部になりたい!」限界まで潜ったその先にある、指先に触れたものをつかみ取れ。あなたは書くために生まれてきたのだから。
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【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第1話

   第1話  窓の外は、とめどなく雪が降り続けている。  真っ黒な空には、雪雲がどこにあるのかさえわからず、いつ止むとも知れない。  雪は音を吸収する。ペンションの中は奇妙に静まり返っていた。部屋に集まった数人の男女が、時おり息を呑む音さえも伝わってくる。 「……やっぱりわたし、行ってきます」  沈黙を破ったのはオーナーの妻だった。全員の視線を受けた彼女は一瞬だけためらうと、 「この雪でも、なんとか麓に辿り着くことはできると思うんです。そうしたら、助けを呼ぶことも

【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第2話

   第2話 「あのぉ……愛馬センパイ、ちょっといいですか?」  定時まであと五分を切ったところ。開いたパソコン画面は単なるカモフラージュで、明日提出することになっているデータはもう保存済み。心の中ではカウントダウンの準備が始まっている。  時計が定時を知らせれば、ゲートを開けられた競走馬のようにロッカーに向かい、真っ直ぐに家に帰るだけだ。  それなのに、このタイミングで後輩から声をかけられるとは、嫌な予感しかしない。ましてこの後輩は、ハッキリ言って仕事ができない。

【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第3話

   第3話  洞窟の天井に開いた穴から、銀色の月明りが差し込んでいる。  夥しい石筍は、巨大な怪物が闖入者に向かって牙をむき出しにしているようだ。月明かりが足元の水たまりに反射し、壁に不気味な影を貼りつける。  影は集まって大きな闇を作り、得体のしれないなにかを包み隠そうとする。男たちは言葉を失い、立ち尽くした。じめじめとした空気がひやりと肌を撫で、洞窟の入り口の仕掛けで仲間の一人の首と胴が離れた時の衝撃を生々しくよみがえらせる。  男たちは自然とひと固まりになり、

【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第4話

   第4話  ピーンと勢いよく弦を弾くような音に心臓を射抜かれ、文字通り飛び上がる。スマホが受信を告げていた。  洞窟や銀色の月明りは瞬く間に消え失せ、代わりに小さなアパートの部屋が現れた。テーブルの上には、箸を乗せた食べかけのコンビニ弁当が置いてある。ひらめいたイメージをひとまずメモしておこうとパソコンを開いたのは、そういえば食べている途中だった。  LINEの送り主は実家の母だった。 『あんた、お正月には帰ってくるんでしょう?』  たったそれだけの短い文章が、心

【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第5話

   第5話 「それでヤツがさ、急に『ちょっと話がある』ってマジな顔したと思ったら、うちと『別れたい』って言うわけよ。なんかムカついて、『別れるのは構わないけど、理由くらい教えなよ』って言ってやったのね。そしたら、『なんとなく、前から思ってたんだけど、俺ら合わないような気がする……』とかぼそぼそ言い出したの。 『前っていつよ?』って聞いても『ちょっと前っていうか……』ってハッキリしないの。『それって、つまり最近なの? 今年、それとも去年?』ってガンガン追求してやったらさ……

【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第6話

   第6話  最寄りの駅で電車を下りる。改札を出たところで外を見ると、細かい雨がぱらぱらと降り出していた。鞄から折りたたみ傘を出し、夜の歩道を歩き出す。  雨足はどんどん強くなっていく。どんなに水溜りに気をつけても、パンツの裾が濡れていくのがわかった。時おり足首に貼りつき、たまらなく不快な感触がする。 『ちゃんとそういう趣味があるっていいですね』  雨で街の音が遮断され、代わりにさっきのイケメン錦戸の言葉が耳の奥に響いた。あのひと言で、ふわふわと浮かれていた気持ちが

【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第7話

   第7話 「ほら、なにぼんやりしてんだい」  鋭い声に、一瞬にして夢想が弾けた。手にしていた算盤が銭桝にぶつかり、音を立てる。  帳場格子の向こう側に、額に汗をにじませた母の姿があった。その横には、小上がりに置かれた背負子が見える。  母が戻ったことにちっとも気づかなかった。慌てて駆け寄り、小上がりに腰かけて手のひらで顔を扇いでいる母の横で、背負子から次々と本を出していく。 「お母ちゃん、これどうだった」  腕に抱えていた中から、一冊を手にして母に向けた。あねさんか

【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第8話

   第8話  がくんと身体が揺れ、テーブルについていた両肘が横に滑った。パソコンに頭を突っ込みそうになり、その反射で今度は背中の筋がばねのように縮む。  押し出された空気が声帯を震わせた。悲鳴ともつかない、おかしな音が口から洩れ、それが声が耳から入ってきたことで、しびれたようになっていた肉体に感覚が戻った。ここはどこ? わたしは誰?  たった今見たものは、ただの夢なのか。妙に鮮明で、生々しい感覚が身体に残っている。  小さな貸本屋の薄暗さ、古い本のかびの匂い、手にし

【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第9話(最終回)

   第9話(最終回) 「愛馬センパイ、ちょっといいですかぁ……?」  昼休み残り五分。パーテーションに囲まれた誰もいない会議室で、靴を脱ぎくつろいだ格好で本を読んでいると、後輩のリナが入ってきた。 「あー、お邪魔してごめんなさい、読書中でしたか」 「いや、別にいいよ。どうしたの」  本を閉じて脇へ置いた。今度は一体、どんなミスをやらかしたっていうんでしょ。 「なに読んでるんですかぁ?」  珍しくリナがそう言って、本の装丁に目を走らせる。 「『ディアトロフ峠の真相』

【短編小説】徒労の人 あとがきのようなもの+おしゃべり

 このたびは短編小説『徒労の人』をお読みいただき、ありがとうございました<m(_ _)m>  こちらの作品は、2011年に書いたものを大幅に加筆修正したものです。  その頃は文章サークルに通っておりまして。わたしが参加していた教室は基本的にどんな作品を書いてもOKでしたので、提出されるのは小説、エッセイ、旅行記などさまざまでした。  しかしこの時は、 「みなさん、次は『なぜ書くのか』をテーマに書いてらっしゃい」  珍しく先生がおっしゃったのです(*^-^*)  テ