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今日の1枚:デュリュフレ《レクイエム》ほか(レイトン指揮)

デュリュフレ:レクィエム Op.9
プーランク:悔悟節のための4つのモテット
Hyperion, CDA68436
スティーヴン・レイトン指揮ケンブリッジ・トリニティ・カレッジ合唱団
フロリアン・シュトルツ(バリトン)
キャサリン・グレゴリー(メゾ=ソプラノ)
ハリソン・コール(オルガン)
ミルティーユ・エツェル(チェロ)
スメイ・バオ=スミス(ソプラノ)
録音時期:2022年7月15-20日(デュリュフレ)、2021年7月31日(プーランク)

Duruflé Requiem Layton

 モーリス・デュリュフレ(1902−1986)の《レクイエム》といえば、近代フランスの宗教音楽としてはフォーレの《レクイエム》に次ぐ人気を誇る作品であり、かつそのフォーレの作品から大きな影響を受けたとされていることで有名です。「されている」と書きましたが、これはデュリュフレ自身が「音楽評論家には私がフォーレに影響されたという者がいるが、彼らはその見方についてまったく説明を果たしていない」と言明していることを受けてのもので、ふつうに並べてみればフォーレ作品との類似は明らかです。それは選ばれた典礼文が(細かいテクストの取捨選択は別として)同一であり、続唱「怒りの日」を欠きながらもその最終節「ピエ・イエズ」を聖体奉挙のモテットとして残していること、本来は追悼ミサの後に行われる赦祷式から「リベラ・メ」「楽園へ」を採用していること、そしてテクストの同じ箇所、デュリュフレの章立てに従えば「ドミネ・イエズ・クリステ」と「リベラ・メ」でバリトン独唱を、「ピエ・イエズ」で女声独唱(ただしフォーレがソプラノであるのに対してデュリュフレはメゾ=ソプラノ)を起用していること、これらの点を偶然の一致と説明することは難しいでしょう。
 しかし、2曲の間には大きな違いもあります。いちばんの違いは、デュリュフレの《レクイエム》が、グレゴリオ聖歌の《レクイエム》を旋律素材として採用している点です。聖歌の引用から始まり、その後に聖歌を自由に変容させたり、あるいは対位法的な書法の中に組み込んだりといった創意工夫は見られるものの、素材としてはほぼ全面的にグレゴリオ聖歌に依拠していると言っていいでしょう。グレゴリオ聖歌を再現する際に問題となるリズムや拍節の扱いも、基本的には当時正統とされていたソレム修道会の歌唱法に則っていて、デュリュフレが恣意的に創作したものではありません。
 そして何より、フォーレの《レクイエム》より半世紀あまり後の1947年に第1稿が完成されたデュリュフレの《レクイエム》は、フォーレよりもはるかにモダンな和声にあふれています。例えば「ピエ・イエズ」、メゾ=ソプラノの独唱が淡々と歌いつつ、チェロのオブリガートを伴って少しずつ高揚していく場面、その高揚に合わせて伴奏の和声の動きが緊張を高めていきますが、このような和声の扱いはフォーレには見られないものです。こうした和声の動きが顕著に感じられるのは「ドミネ・イエズ・クリステ」で、不協和音の効果的な響かせ方も相まって、フォーレの音楽とはまったく異なる、劇的な音楽が繰り広げられていきます。
 デュリュフレの《レクイエム》には、大編成の管弦楽を伴う1947年の第1稿のほか、オルガンのみの伴奏(任意でチェロ独奏が追加される)による翌年の第2稿、オルガンと小編成の合奏による1961年の第3稿と3種類の楽譜がありますが、私は個人的に第2稿が、そうした和声の面白さをもっとも明確に伝えてくれるような気がして好んでいます。
 古楽から現代音楽まで幅広いジャンルで活動するスティーヴン・レイトンも、ここでは第2稿を採用しています。ちょっと面白いのは、パリでも有数の大きさを誇るサントゥスタッシュ教会の会堂を利用した録音が、従来の同曲録音の多くと異なり、オルガンにかなりの比重をかけていることです。間接音も豊かで、合唱の細部が不明瞭になる場面も多々聞かれるのは困りものと言えるかもしれません。しかしここでは、オルガンの動きを前面に出すことで、前述した和声の動きの面白さ、曲の秘めた動的・劇的な性格が非常に際立っています。デュリュフレの《レクイエム》というと、素材がグレゴリオ聖歌であることにつられるのか、古風で静的な性格を音楽に付与することで、平板な場面の連続に終止してしまう録音が多い中で、レイトンはオルガンをよく聴かせつつその和声・対位法の動きを通じて音楽の方向性を明確に示して、生気に満ちた、それでいて毛羽立つところのない演奏を繰り広げているのがすばらしい。こうした解釈はデュリュフレ自身の「オルガンには副次的な役割しかない。合唱を支えるために参加するのではなく、いくつかのアクセントを強調するために参加するのだ」という言葉にそぐわないものではありますが、冒頭に引用した通り、この曲についての作曲者の発言は、うっかり鵜呑みにはできないものがあります。そうでなくとも、これだけ説得力の高い、魅力的な演奏を引き出せたのであれば、レイトンの解釈はよしとするべきでしょう。
 併録はフランシス・プーランク(1899−1963)の《悔悟節のための四つのモテット》。人数をやや多めにかけた上で、音の立ち上がりの勢いや静と動・強弱の対比に重点があって、なかなかにユニークな演奏と言えそうです。

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