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今日の1枚:ファリャ《ペドロ親方の人形芝居》、チェンバロ協奏曲ほか(エラス=カサド指揮)

ファリャ:歌劇《ペドロ親方の人形芝居》全曲、チェンバロ協奏曲
ストラヴィンスキー:《プルチネルラ》組曲
Harmonia Mundi, HMM902653

バンジャマン・アラール(チェンバロ)
ペドロ親方:アイラム・エルナンデス(テノール)
ドン・キホーテ:ホセ・アントニオ・ロペス(バリトン)
口上:エクトル・ロペス・デ・アジャーラ・ウリベ(ボーイ・ソプラノ)
パブロ・エラス=カサド指揮マーラー室内管弦楽団
録音時期:2023年2月

 パブロ・エラス=カサドとマーラー室内管弦楽団は先にマヌエル・デ・ファリャの《三角帽子》と《恋は魔術師》で鮮やかな名演を世に送り出していましたが、まさかこのコンビでファリャ作品の第2弾があるとは思いませんでした。しかもプログラムは、傑作ながらあまりにも知名度の低い2曲、《ペドロ親方の人形芝居》とチェンバロ協奏曲という、非常にマニアックな選曲になっています。もちろん、ファリャの合奏作品自体が非常に少ないので、作品集で2枚目を出そうとすればこうなってしまうのかもしれませんけれども、意欲的なアルバムであることは間違いありません。
 《ペドロ親方の人形芝居》は有力なメセナとして知られたポリニャック公爵夫人(ウィナレッタ・シンガー)の委嘱により、彼女のサロンで上演できる人形劇のために書かれ、1923年3月23日にまず演奏会形式で、その後6月25日に予定通りポリニャック邸にて人形劇として初演されました。
 この劇の台本はセルバンテスの『ドン・キホーテ』後編第25−27章(特に第26章)に由来します。旅の宿で隻眼の興行師ペドロ親方(実はドン・キホーテとの間に因縁がある)に出会い、彼が各地で演じている人形劇『メリセンドラの救出』を観るようにと誘われる。お芝居の内容は、高名な騎士ドン・ガイフェーロスが妻メリセンドラを助けに行くというものだが、ドン・キホーテは口上を務める少年に散々ダメ出しをした挙げ句に芝居の内容に興奮して割って入り、使われていた人形を端から壊して親方に大損害を与えてしまう。この物語をファリャは人形劇に仕立て上げました。つまり、人形劇を行う親方、観るドン・キホーテも人形であるという、二重の人形劇になっている訳です。これはさすがにお芝居として手が込みすぎていて、初演はファリャの意図通りに行われましたが、その後は親方、口上、ドン・キホーテは人間が演じ、その中で人形劇『メリセンドラの救出』が執り行われる、という演出が多いようです。
 ちなみに、YouTubeにはこの歌劇全編をビデオに収録したものがアップされています。初めてご覧になる方はシャルル・デュトワが指揮したものを観るのがよろしいでしょう。これは以前アリシア・デ・ラローチャが独奏する《スペインの庭の夜》と併せてLDやDVDになったこともあるもので、外側の劇を歌手たちが演じているほかはほぼ台本通りの演出で始めつつ、人形劇の部分には操り人形による芝居に生身の人間による仮面劇をとり混ぜることで、乱入して暴れるドン・キホーテを無理なく舞台に組み込んでいるのが秀抜です。
 さて、この音楽は初めて聴くとなかなかに手強いかもしれません。小編成の器楽合奏と歌との交替を基本に芝居が進められていくのですが、歌の部分はときに伴奏すら伴わず、歌謡的な抑揚を排した朗唱が採用されているので、起伏に乏しく感じられる向きも多いことでしょう。しかし、その一見単調な音遣いの中に込められた独特の節回しが妙に味わい深く、また歌と交替する合奏が、ローカルで鄙びた味わいを打ち出しながらもシャープで、アンティックでありながらモダンであるという、実に不思議な音楽となっていて、なかなか聴き手を飽きさせません。
 その個性的な音楽を前に、エラス=カサドとマーラー室内管は、先の《三角帽子》同様、ローカル・カラーを抑制しつつ響きの尖鋭さを前面に出して、古びた彫像を磨き上げたかのような演奏を繰り広げています。そう書くと味気なさそうですが、弱音の表現には前回のアルバム以上に神経を通わせていて、清澄でありながら懐の深さを感じさせる好演となりました。
 チェンバロ協奏曲もなかなか演奏機会に恵まれませんが、これは原曲が現在では用いられない20世紀初頭の楽器を想定している上に、管楽器・弦楽器合わせて5人という極小編成の管弦楽を起用していることが大きな理由でしょう。作品は古えのスペイン音楽を参照しつつも、余計なものを削ぎ落とした厳しくもアグレッシヴな響きを築き、抽象絵画のような趣をたたえています。委嘱したワンダ・ランドフスカはファリャの書法に馴染むことができず、初演後はこの曲を採り上げなかったため、ファリャ自らチェンバロの奏法を学んで再演し、録音まで行ったという、ある意味曰く付きの作品でもあります。
 この曲では前述のように、想定されているチェンバロが現代広く流通しているような古楽器ではなく、いわばモダン・チェンバロの祖先のようなものに該当します。ランドフスカが弾いていたのはプレイエル社製の「グラン・モデル」と呼ばれた楽器で、ここでは彼女の弟子だったラファエル・プヤーナがグラナダのマヌエル・デ・ファリャ財団に寄贈した楽器が用いられています。ファリャ自身が独奏を務めた録音で弾いていた楽器は、よりピアノ寄りの音色とかなりの音量を備えたもので、それに比べるとはるかにチェンバロらしい音色を立てる楽器と言えますが、やはり私たちがこんにち馴染んでいるチェンバロとはひと味違う、豊かな響きが特徴的です。そして、ここでもエラス=カサドの解釈が実に面白い。既出盤のいくつかがローカル・カラーと抽象性との兼ね合いを目指すことでむしろ曲想の把握を難しくし、聴き手を遠ざけている感があるのに対して、彼は前者を思い切りよく切り捨て、部分間のコントラストの作り方に意匠を凝らすことで、ドライであると同時にメリハリのよい音楽を丁寧に作り上げていきます。第1楽章、主要主題がマルカートで登場するときには躍動感を抑え気味にし、反対にレガートで奏されるときにはその流麗さを際立たせる、という演出に、そのエッセンスが示されていると言っていいでしょうか。特に、今までこの曲を聴いたことがあるけれどもピンときたことがない、という向きにはぜひ聴いて欲しい演奏です。
 併録はイゴール・ストラヴィンスキーの《プルチネルラ》組曲。室内管弦楽団らしい薄い響きの中で、遠近の出し入れに気を配って立体的な音響を作り、その中に一抹の哀愁を散らして印象的な演奏になっています。


Falla & Stravinsky : Heras-Casado

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