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今日の1枚:リスト&ジャエル、ピアノ協奏曲(ベンサイード独奏)

マリ・ジャエル:ピアノ協奏曲第1番ニ短調
フランツ・リスト:メフィスト・ワルツ第3番S.216、ピアノ協奏曲第1番変ホ長調S.124
NoMadMusic, NMM119
セリナ・オネト・ベンサイード(ピアノ)
デボラ・ヴァルドマン指揮国立アヴィニョン=プロヴァンス管弦楽団
録音:2023年

Sarklight Bensaid
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 フランスでは近年、19世紀から20世紀前半にかけての女性作曲家の作品が多く蘇演ないし初演されて話題を呼んでいます。この流れは昨日今日の流行ではもちろんなくて、ここ数十年、探索と啓蒙を積み重ねて来たことの成果といっていいでしょう。
 1980年代頃まで、フランスの女性作曲家で多少なりとも名を知られ、また作品が演奏されていた者といえば、リリとナディアのブーランジェ姉妹、ピアノ小品で名を成したシャミナード、それに6人組のひとりとしてとにもかくにも名前を残したジェルメーヌ・タイユフェールくらいだったでしょうか。(ハープの世界に目をやれば、アンリエット・ルニエのような大物もいましたけれど。)しかし80年代末から90年代にかけて、生前高い評価を受けたり、あるいは音楽史の1ページを賑わしたりしたものの忘却の淵に沈んでしまった作曲家たちに光があてられるようになります。ルイーズ・ファランク、オーギュスタ・オルメス、メル・ボニスといった人たちです。
 そして、この10年ほどの間に突如として脚光を浴びるようになった女性作曲家たちがいます。交響曲嬰ハ短調の100年ぶりの初演をめぐる経緯が1冊の本にまとめられて話題を呼んだシャルロット・ソイ Charlotte Sohy (1887−1955)、ピエール・ルイスの詩による大部の歌曲集《ビリチス》が名歌手ジャーヌ・バトリによって初演されたことで名を残したリタ・ストロール Rita Strohl (1865−1941)、サクソフォン・アンサンブルのために大量の作品を遺したフェルナンド・ドクリュック Fernande Decruck (1896−1954)らの作品がこのところ立て続けに演奏・録音され、フランスの音楽界に多くの話題を振りまいているさまは、壮観といっていいほどです。
 彼女らにはひとつの共通点がある。それは作品が出版に恵まれなかったことです。ファランクやオルメスの作品が生前に多く出版されたのに対し、彼女たちは作品が初演されはしても、楽譜を世に出すことはなかなか叶わなかった。ストロールはパリ社交界を嫌って地方に住むという狷介さも仇をなしたし、ドクリュックは出版を担っていた夫と離婚したために楽譜を世に出す術を失ってしまった。ソイの楽譜も大半が手稿のままに残され、1974年になって孫のフランソワ=アンリ・ラベがようやくその整理に手をつけ、浄書した楽譜を音楽家が手にすることができるようになったのはこの数年のことといいます。
 マリ・ジャエル Marie Jaëll (1846−1925)も、そうした埋もれた女性作曲家のひとりです。彼女は生前優れたピアニストとして名を成しました。1893年にフランスで初めてベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を開いたり、サン=サーンスの全5曲のピアノ協奏曲を一夜で演奏したり、また晩年に秘書を務めたフランツ・リストについても、その死から5年後の1892年に、パリで6夜をかけて彼の独奏曲全曲演奏会を行っています。このときサン=サーンスは「リストを弾くことのできるピアニストは世界にたったひとりしかいない。それがマリ・ジャエルだ」と激賞しました。彼女のリスト演奏は他国でも高い評価を得ていたようで、かのヨハネス・ブラームスも惜しみない賛辞を送っています。
 一方、作曲家としてのジャエルは、まず教育音楽の分野で知られていました。当時勃興しつつあった神経学や心理学の知見を採り入れたメトードを開発して、ピアノ演奏の教本をいくつも完成させています。なかでも『タッチ:生理学に基づくピアノ教育』(1899)は現在でもフランスで用いられているそうです。
 しかし、純粋な創作の分野では、彼女は女性であることの壁にぶち当たり、跳ね返され続けました。彼女はこう書き記しています。「才能のあるなしを問わず、女性はほとんどすべての力を男性に奪われ、男性はその力を創作に注ぐ。男性は女性から命を奪うのだ。女性であるという、ただそのことのためだけに自分の夢が潰えるのを、私は何度目の当たりにしたことだろう?」じっさい、彼女がもっとも親しく交流していた作曲家であったフランツ・リストはその創作について「楽譜に男の名前があれば、その楽譜はすべてのオーケストラの指揮台におかれるだろうに」とまで述べていました。
 ジャエルの作曲した楽曲は多くが未出版のままに残され、今世紀初頭まで見ることもかないませんでしたが、現在はストラスブール大学図書館がアーカイヴを電子化して閲覧可能とし、その一部はネット上でも公開されています。また録音は、ブルー・ザネより管弦楽曲・ピアノ曲集として3時間弱の音源がリリースされ、充実した解説と共に、歌曲やピアノ曲の他、愛らしいチェロ協奏曲や力作である2曲のピアノ協奏曲を耳にすることができるようになりました。
 そんな訳で、当盤はジャエルのピアノ協奏曲第1番の、史上ふたつ目の録音となります。演奏は独奏がセリナ・オネト・ベンサイード、共演はソイの交響曲を初演したデボラ・ヴァルドマン指揮する国立アヴィニョン=プロヴァンス管弦楽団です。ベンサイードはこれまでも自らが録音に参加するアルバムの大半でプログラムに女性作曲家の作品を入れるなど、女性作曲家の啓蒙を自身のテーマのひとつとして意欲的な活動を展開しているピアニストで、かつ安定した技巧の持ち主でもあります。
 ここに収められたジャエルの協奏曲第1番は1877年の作品で、後年の第2番がより自在な形式感を追求するのに比べると古典的な性格が強いと言えます。ヴィルトゥオーゾとして鳴らしたジャエルの作品としてはピアノの活躍が期待ほどではなかったのか、当時の批評では「ピアノ協奏曲というより交響曲」といった評が多かったようですが、今聴くとピアノ独奏は管弦楽と協調しつつもきちんと自己を主張して十分な見せ場を作っており、音楽としての不足は感じられません。見かけは「古典的」ではあっても、けっして古典派的なフォーマットをそのままに継承している訳ではなくて、豊かな想像力に満ちている。スケール大きい抒情を歌い上げる第2楽章、ドラマチックな力を持つ第3楽章も聴き応えがあるけれども、何より第1楽章がすばらしい。ソナタ形式のふたつの主題は共に特徴的な付点リズムを含みつつ鮮やかな対比を描き、その扱いも楽章全体を通じて杓子定規なところがなく、展開には聴き手を惹きつける力があります。たとえばメンデルスゾーンやウェーバーの協奏曲と肩を並べて演奏会のレパートリーに入っても、少しも見劣りはしないだろうと思います。
 この協奏曲の初録音はヨセフ・スウェンセン指揮国立リル管弦楽団とロマン・デシャルムによるものでした。この手の珍しい曲ですと、どうしても初録音より後続の録音の方に分があります。デシャルムのピアノはタッチの明快さに恵まれていて、クリアな響きが魅力的ですけれども、管弦楽にはちょっと細部の整理が行き届いてない感がある。それに対して当盤ではまずヴァルドマンの指揮が、メリハリのよい表現を落ち着きのある進め方に乗せて気持ちよく、またベンサイードのピアノも管弦楽との間に適切な距離感を保ちつつ、やや陰のあるタッチを駆使して力強い音楽を築き上げて見事です。
 併録はリストがジャエルによる演奏を激賞し、彼女に献呈した《メフィスト・ワルツ》第3番と、同じリストのピアノ協奏曲第1番。協奏曲は管弦楽が透明感ある響きと自発性豊かな管楽器のソロを軸に主導権を握り、ピアノはそれに寄り添うというアンサンブル重視の演奏で、なかなか面白く聴かせてくれます。
 なおベンサイードは、同じジャエルが1894年に出版した長大な連作、ダンテの『神曲』に基づく《地獄で聞いたこと・煉獄で聞いたこと・天国で聞いたこと》も録音しています。こちらは既に後期ロマン派から一歩先へと踏み出した、シンプルでありながら意欲的な音世界が繰り広げられています。


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