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今日の1枚:イザイ《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集》ハーン

イザイ:6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Op.27
ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
Deutsche Grammophon, 4864176
録音時期:2022年11月1日ー12月19日

 ヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンの新譜はウジェーヌ・イザイ(1858-1931)の無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全6曲です。2023年はこれら6曲が完成して100周年にあたるということで、その記念盤として録音・リリースを企画した旨、ブックレットに掲載されたハーン自身の文章に記述がありました。
 ヒラリー・ハーンというと、筆者は「剛腕」という言葉をまず思い浮かべます。近代の難技巧を要求する作品を見事に弾き切るばかりでなく、もはや古典となった過去の名品においても、確信を持って細部を明確に音にし、その曖昧のなさと生まれ出る音楽の強靱さで聴く者を否応なしに説き伏せてしまう。そんなイメージを筆者は勝手に抱いているのです。
 どうしてそのようなイメージを持ってしまうのか。いちばんの理由は、彼女のヴァイオリンが聞かせる強靱な響きにあるでしょう。彼女のヴァイオリンは鋭いアタックが要求される際に、発音の最初の瞬間のみに強さが集中するということがなくて、音価いっぱいにその強さが持続するように感じさせる弾き方をします。アタックそのもののインパクトは多少減じるかもしれないけれども、その音符やフレーズが全体として曖昧さなく前面に押し出されるので、音単位ではなくもっと大きな、楽句単位・フレーズ単位の強さを感じさせる。このイザイで言えばソナタ第1番第1楽章冒頭にあらわれる重音の連続がまずそうです。また第2番第1楽章の冒頭は、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番の引用で始まることで有名ですが、他の多くのヴァイオリニストがバッハの引用とイザイのオリジナルの部分とをドラマチックに対比させることに意を用いているのに比べると、ハーンはことさらに両者の対比を誇張するようなことはしない。全体の流れの中で両者が融合し、ひとつの音楽としてクライマックスを迎えるさまを描こうとしているようで、さまざまな起伏のある中で、やがて張りのある響きが大きな高揚を呼び込むさまは聴き応えがあります。そうした押し出しのよさも、またハーンの「剛腕」ぶりを伝えるものと言っていいでしょう。
 ただし、そのような一面ばかりを強調してしまうと、このイザイで聴かせるハーンの美点の多くを聞き逃してしまうことになります。例えば重音が連続する際の、流麗で淀みないフレージングは唖然とするほどです。それは有名な第3番《バラード》全編を通じてあらわれる速く技巧的なパッセージに顕著ですけれども、それ以外でも、例えば第2番第2楽章「マリンコニア」の、狭い音域の中でのふたつの声部の二重奏を、速めのテンポで事もなげに、まるで本当に二人で弾いているかのようにさらりと歌い上げるのには唸らされました。また、第5番第1楽章「曙」冒頭の、緩い旋律の動きを満たす緊張感と歌い口の美しさ、続く第2楽章「田舎の踊り」の、遅いテンポでやや重く、それでいてお祭り的な高揚感も大切にしたスケール大きい弾きぶりは、楽曲の深い理解を感じさせて心に残ります。
 見事な演奏です。

(本文1255字)


Ysaye Hilary Hahn

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