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己のTシャツに責任を持て チェ・ゲバラ編

チェ・ゲバラの『ゲバラ日記』を読んで胸を熱くし、また『斜陽』のなかの一文「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」にむやみに感動したりするようなちょっとアレな女子高生だったわたしは、10代の頃からチェ・ゲバラの肖像が描かれたTシャツを着ていた。きわめて小さな頃からやたら義侠心の強い子供だったため、娘が革命家のTシャツなど着始めた時には、母はさぞかし心配だったことと思う。

泥酔した上、アイスクリームを振りかざしながら実存主義がどうのこうのと謎のアジ演説のようなことをして、何度もアイスを落とし、友達が拾ってくれてもまた振りかざして落とす、というようなことをしていた20歳の頃も、いつもゲバラのTシャツを着ていた。まさに恋と革命の青春であった。

そうしてぼけぼけしているうちに30代になり、さすがにそこまでの阿呆さは影を潜めたが、わたしは相変わらずの気概を持ってゲバラのTシャツを着つづけた。だが、いまいち、自分の中での説得力が足りない。こんなにゲバラを着続けるには、自分はまだ甘ちゃん過ぎる。

こんなに長らくゲバラに憧れておるのだ。キューバに行くしかないではないか。そう思い立った2015年の秋、アエロメヒコのチケットを握りしめ、メキシコ経由でハバナに飛んだ。

キューバのビザ取得はあまり大変ではなかった
ビザを取るだけでへとへとになるのはあの国だけである

ハバナの空港は思いのほか新しくてきれいだった。市内へ向かうタクシーで、運転手さんに何気なく「フィデルの家はどこ?」と言ったら、運転手さんは振り向き、わたしの顔をじっと見ながら「なんでそんなことを知りたいの・・・」と言うではないか。なんだか洒落にならない雰囲気だったので、「あ、明後日ローマ法皇が来るね!」と話を変えた。

ホテルに荷物を置き、モヒートを飲むよりダイキリを飲むより先に、前のめりな心で向かったのが革命博物館だった。

キューバ革命以前は大統領府だった建物
ゲバラとカミーロ・シエンフエゴス
まあどんな写真も男前で何よりである
ホセ・マルティ像の後ろの壁には弾痕が残っていた

近頃の日本はどこもかしこも多言語表記だが、キューバは硬派だ。スペイン語表記しかない。ましてや“英語”など表記するものか。
ゲバラやキューバに関する本を当時だいぶ読んでいたので、スペイン語しか表記がなくてもなんとかなった。記念館は見応え十分で、キューバ革命の時にゲバラやカストロが乗ってきた船、かのグランマ号そのものも展示してあり、まさに感動に震えた。

心地よい気温のハバナをそぞろ歩き、美しいクラシックカーやコロニアル様式の古い建物の写真をたくさん撮った。夜にはカバーニャ要塞の大砲の儀式を見に行き、旧市街に戻って、有名なバーを梯子してダイキリやモヒートを飲み、パパ・ヘミングウェイと写真を撮ったりして、遅くまで街角でキューバ音楽に耳を傾けた。旧市街は非常に治安が良く、小さい体躯の東洋の女が23時ぐらいまで一人で酒を飲み歩いても全く問題がないのだ。

有名なホテル「アンボス・ムンドス」ヘミングウェイの定宿
フロリディータでフローズンダイキリを飲む。写真を頼んだらカウンターの中に招き入れられた
パパ・ヘミングウェイとわたし
そこまでファンじゃない割に、ヴェネツィアでもゆかりの店に行ったりした
みんな歌って踊っている
カバーニャ要塞の大砲の儀式

滞在中はあの有名な革命広場にも行った。ゲバラの邸宅記念館にも行った。
ゲバラの邸宅に行くときにクラシックカーをチャーターしたのだが、運転手さん(歯の欠けた大男)が非常に愉快な人で、美味しいレストランに連れて行ってくれた。なぜかおじさんも一緒に食事を食べ始めたので、え?わたしの奢りなの?とびっくりしたが、どうやらお代は割り勘らしかった。なんて砕けた接客なのだ。とても楽しい思い出ができた。

これがみたかった
かの有名な機関紙「グランマ」を売るおじさん
一部買ってきた
ローマ法皇が来るというので街中ポスターだらけ
この車をチャーターした
ドライバーのおじさん(話したら年下だった)
えっ。なんで一緒にご飯食べるの?友達だったっけ?
ビールを注いでくれた
チェ・ゲバラの邸宅
男前でなによりだ

どのお店に入っても、キューバ人はみんな感じがよくて、どこに行ってもリラックスできた。これまでは、住むならモロッコ!マラケシュに住みたい!と思っていたが、ハバナも捨てがたいと思った。が、住むのは多分大変だ。第一、物が売っていない。店員さんはものを売る気もなさそうだ。棚に並んでいるのは同一銘柄のものばかりで、どれも埃を被っている。タクシーの運転手さんなどは、みんな暑さで服を捲ってお腹をだして談笑している。
なんというか、非常に弛緩しているんである。フィデルとゲバラの革命は成功したけれど、この国民性じゃ、みんな働かなくなるよなあ、という感じであった。

ともあれ、キューバ人の優しさは今まで訪れた国々の中でも屈指である。当時、少しく思い悩んでいることなどがあり、夜のテラスで生演奏を聴きながらぼんやりお酒を飲んでいたところ、演奏が終わったおじさんが席に来て「どうしたの?悲しい顔だね。笑顔!笑顔!」と声をかけて去っていった。キューバ人は、こんな感じで優しいのだ。この出来事は、思い出すといつも涙がじんわり溢れる。あの時のおじさん、ありがとう。

声をかけてくれたのはヴォーカルのおじさん

お土産屋さんの品揃えも押し並べて乏しく、本当にゲバラのTシャツと葉巻ぐらいしかない。いつもみうらじゅんばりに超絶くだらない土産物を買ってくるわたしも、この旅ではこれぐらいしか買い物できなかった。

Tシャツはたくさん買ってきて、友達に配った
ちなみに、友達が着ているのは見たことがない
寝巻きにしているのだろうか

行ってよかった。愛すべき都市、ハバナ!
おかげで、胸を張ってゲバラTを着ることができる身分となった。
めでたしめでたし、である。

(己のTシャツに責任を持つための旅はまだつづく)


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