二郷 愛

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こころにうつりゆくよしなしごと 文学 クラシックロック 芸術 映画 歌舞伎 落語 古楽 酒 骨董  旅

最近の記事

高見沢俊彦生誕70年祭記念・寿ぎの言葉

2024年4月17日、愛してやまない高見沢俊彦が70歳になった。古希である。 Facebookには「思い出」という機能があって、何年前の今日の投稿というのが見られるのだが、今日の「思い出」は高見沢俊彦への寿ぎが連綿と綴られている。これはこれでなかなかの読み応えであったため、ここに纏めておこうと思う。誰得と謗るなかれ。ただの、わが心の軌跡である故。 寿ぎの記載はFacebookを始めた2011年から、今年まで。記載がない年もあったが、ほぼ毎年なにか書いている。今年の分から次第

    • 貧スパの日々

      土曜の午後、自転車でご近所の親しい先生のお家に遊びに行った。 可憐なお雛様や可愛い吊るし雛、奥様の指ぬき(シンブル)のコレクションを見せていただいたり、先生の圧巻の蔵書やレコードライブラリーを拝見し、素晴らしいスピーカーでベートーヴェンを聴かせてもらったりして、非常に豊かな土曜の午後を過ごした。 文化的には非常に豊かな午後だったが、朝ご飯を遅めに食べたせいでお昼を食べていなかったため、交響曲に合わせてお腹もぐうと鳴りはじめた。そして次第に「カラヤンによるウィーンフィルとわた

      • バー ルパンの夜

        (2023年2月24日 Facebookに載せた文章を再掲) 遂に行った。 こどもの頃から憧れていた、あのルパンだ。 興奮。 もっとすごく入りづらいお店だと思っていたので、あまりの盛況ぶりに驚いた。でも、誰もそんなに文豪に興味なさそうだった。 わたしはずっと、ここで飲むものを決めていた。実に35年ぐらい前から決めていた。坂口安吾が飲んでいたゴールデン・フィズだ。 文庫本は、太宰かオダサクか安吾、どれを連れて行こうかと悩んだが、安吾にした。中学生の時に胸を熱くして読

        • 己のTシャツに責任を持て 伊丹十三編

          伊丹十三ぐらいかっこいい人はいない、といつも思っている。 生きていると、人は、目玉焼きを食べたり、スパゲティを食べたり、サラダを食べたり、マニュアル車を運転したり、靴下を履いたりする。 わたしはその度毎に、伊丹十三のことを思い出す。しかも、たいていは、伊丹さん、今日はちょっとダサいことになっちゃったけど許して、という気持ちで思い出す。エンジンブレーキをあまり効かせないままブレーキランプを点灯させてしまった緩い坂道や、寒い朝に分厚い靴下を履くときなどに、ああ、これ伊丹さんに

        高見沢俊彦生誕70年祭記念・寿ぎの言葉

          己のTシャツに責任を持て チェ・ゲバラ編

          チェ・ゲバラの『ゲバラ日記』を読んで胸を熱くし、また『斜陽』のなかの一文「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」にむやみに感動したりするようなちょっとアレな女子高生だったわたしは、10代の頃からチェ・ゲバラの肖像が描かれたTシャツを着ていた。きわめて小さな頃からやたら義侠心の強い子供だったため、娘が革命家のTシャツなど着始めた時には、母はさぞかし心配だったことと思う。 泥酔した上、アイスクリームを振りかざしながら実存主義がどうのこうのと謎のアジ演説のようなことをして、何度

          己のTシャツに責任を持て チェ・ゲバラ編

          己のTシャツに責任を持て 某国編

          「人は己の着ているTシャツに責任を持て」という名言がある。 つくづく名言だなあ、と思うのだが、残念ながらご存じない方もいることだろう。 名言だが、認知度はまだそれ程高くないようだ。 なぜなら、それを言ったのはわたしだからである。 わたしは人がちょっと引くぐらい「好きなものが好き」なため、ローリングストーンズのベロTシャツを道行く若人が着ているのを見ると、気になって仕方がない。一度、うちのお店に来た若い男の子がベロTを着ていたので「あっ!ストーンズ好きなの?わたしストーンズ

          己のTシャツに責任を持て 某国編

          ミミックAI

          「ものまねをする人」「ものまねをしない人」 世の中の人は2つのタイプにカテゴライズすることができると常々思っている。する人はいつもしているが、しない人は一切しない。 わたしは「ものまねをする人」の方だ。 こどもの頃から、いつも身近な人の口まねをしている。 ただし、そこには、対象を見下した気持ちやデフォルメは一切ない。 聞こえた音、耳に残っているセリフを忠実にアウトプットしているだけである。 そして、「ものまねをすること」が目的なのではなく、その人がこう言っていたよ、という

          ミミックAI

          鋼のメンタル・バズカット

          2020年8月12日にFacebookに投稿した文章。 3年前の夏はまだ坊主で、分子標的薬の点滴にも通っていました。 いかにも自分らしい内容だったので、ここにも残しておこうと思います。ご一読ください。 ‪もう、どこに行くのも坊主で平気。‬ 今日は朝から分子標的薬の点滴でした。 診察の時、主治医が目を細めて「もうウィッグも帽子もやめたんだね〜!いいじゃないですか、カッコいい!」って言ってくれて嬉しかった。 先生がガンジス川沐浴経験者だって分かってから、ますます友達感覚。

          鋼のメンタル・バズカット

          ガンジスで沐浴するような女 その伍(終)

          こちらのつづき。その伍、最終回です。 生きているとお腹がすく 沐浴後のカリーは滅法旨かった。チャパティも3枚も4枚も食べた。 キングフィッシャービールは、頼まなくてもお店のお姉さんが持ってきてくれるようになった。 あの日、かあさんが亡くなった夜だって、わたしはちゃんとごはんを食べた。かあさんとシェリを思ってわんわん泣いた日だって、お腹はすくんだ。 昔、かあさんがしてくれた話を思いだした。 「あたしさ、18歳の頃、東京で下宿をしながら映画のフィルムを運ぶ仕事(『ニュー

          ガンジスで沐浴するような女 その伍(終)

          ガンジスで沐浴するような女 その四

          こちらのつづき。その四です。 バラナシで、大の字になってわんわん泣く 沐浴を終え、ホテルに戻って入浴をした。非常に入念な入浴だ。 しかし、もはや水を飲んだのだから、いくら外側を洗っても意味がないような気もして、なんだか笑えてきた。体の内も外もガンジスまみれである。 一応、胃腸薬やら正露丸やら下痢止めやらは持ってきたのだが、実はこれまで、どこで何を食べてもほとんどお腹を壊したことがない。モロッコの屋台で手づかみで魚のフライを食べても、ケニアで土壺に入ったらくだ肉を食べても

          ガンジスで沐浴するような女 その四

          理由書で文豪ごっこ

          (これは 2017年7月10日にFacebookにUPした文章の改定版です。丁度6年前の文章ですが、今読んでもちょっと面白かったので転載しておきます。) -------------------------------------------------------------------------------------- 2017.7.10 先週の鹿児島出張の朝、仙台駅からの空港アクセス線が停電の影響で運休していたんですよ。 で、教授とうちの学生2人、金研の教授、わた

          理由書で文豪ごっこ

          ガンジスで沐浴するような女 その参

          こちらのつづき。その参です。 古代インドの宇宙観のような宇宙に浮かぶ 旅行前に調べてみた時には「とにかく日本人には沐浴をお勧めしない」という話しか見つけられなかった。赤痢になった人、腹痛で帰りの飛行機に乗れなかった人などの怖ろしいエピソードも読んだ。だが、この優しい家族に混ぜてもらっての沐浴は安らぎしかなく、水への恐怖心もどんどん薄れた。 そして、おずおずと、飲んでみた。 無味無臭。かすかに砂っぽいような気もした。 シェイクスピア『マクベス』の魔女の有名なセリフを思い出

          ガンジスで沐浴するような女 その参

          ガンジスで沐浴するような女 その弐

          こちらのつづき。その弐です。 理不尽なビザ取得と現地移動の手配 インドへ行くと決めたときからインドの旅は始まっているとわたしは思う。理不尽にrejectされることが多いビザ取得は、此度も一度rejectされた。しかも、通らなかった理由は絶対に教えてくれないのだが、もしかしたら、証明写真の顔の角度が微妙に良くなかったのかもと思い、撮りなおしたらあっさり取得できた。この肩透かし感、さすがはインドである。 そして、今回は沐浴が一番の目的なので、念のため現地ガイドとドライバーを

          ガンジスで沐浴するような女 その弐

          ガンジスで沐浴するような女 その壱

          自由への道 ひとり旅が好きだ。 無論、誰かと行く旅も楽しいものだが、いつからかひとりで出かける方がよくなった。 ひとりの利点は色々あるが、日程や予算のすり合わせをしなくてよいこと、興味のない場所に行かなくて済むこと、そして、無理なスケジュールを組んでも誰にも文句を言われないことが何より大きい。 初めてひとりで海外に行ったのは確かパリだった。何度目かの渡仏の際にひとり旅を敢行し、そのあまりの快適さに、ひとり旅を止められなくなったのだ。20代の頃は、3泊5日みたいな弾丸スケジ

          ガンジスで沐浴するような女 その壱

          愉しき骨董

          ようやく最近、「骨董が趣味です」と人前で言ってもいいぐらいにはなったような気がしている。 はじめて東照宮の骨董市に行ったのは18歳の頃だと思う。 森永牛乳と書かれたレトロなコップを買って、しばらく牛乳を飲むときに使っていた。それは、骨董とまでは言えない、昭和デッドストックみたいなものだった。 20代の頃は旅行でパリに足繫く通っていたので、クリニャンクールやヴァンヴの蚤の市によく行った。そのあとに留学をした際には、いつもヴァンヴに行って普段使いの食器や洋服を買っていた。その

          愉しき骨董

          シェリのこと

          6年前、2017年2月22日にFacebookに載せた文章。 これまでここに載せたエッセイとは少し毛色が違いますが、自分の中で残しておきたい内容だったので、転載しておきます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「シェリのこと」 (ながいこと、すこしずつ書きためていたものなので、ひどく長いです) ようやく、母に関するいろいろなことが落ち着いて来ました。 お家の整理もまだ時間がかかりそうですが、叔父、伯母、いとこ、たくさんのお友達のおかげで、なんとか目途が立ってきまし

          シェリのこと