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貧スパの日々

土曜の午後、自転車でご近所の親しい先生のお家に遊びに行った。
可憐なお雛様や可愛い吊るし雛、奥様の指ぬき(シンブル)のコレクションを見せていただいたり、先生の圧巻の蔵書やレコードライブラリーを拝見し、素晴らしいスピーカーでベートーヴェンを聴かせてもらったりして、非常に豊かな土曜の午後を過ごした。

文化的には非常に豊かな午後だったが、朝ご飯を遅めに食べたせいでお昼を食べていなかったため、交響曲に合わせてお腹もぐうと鳴りはじめた。そして次第に「カラヤンによるウィーンフィルとわたしの演奏」になってきたので、さすがにお暇することにした。

家まで自転車で5分。とにかくお腹が空いた。さっさとなにか食べたい。
すぐ食べたい。包丁もまな板も出したくない。

そして、数年ぶりに、禁断のあれを作った。
その名も『貧スパ』である。

貧乏スパゲティ

パリに留学していた時、わたしは激烈に貧乏だった。
肉屋さんの前でローストされている回る肉を見るといつもくらくらした。朝は、たくさんの野菜と得体の知れない肉でできたハムみたいなものを安いパンに挟んで登校しながら(つまり歩きながら)食べたり、安い小麦粉を練ってだんごにして湯掻いて食べたりしていた。お昼は専らソルボンヌの学食だ。回数券を買うと確か1食2ユーロぐらいで、パンもメインもデザートもお腹いっぱい食べられるので、とてもありがたかった。

フランスの食料品は安いので、夜はいつも自炊だったが、特にパスタはやたら安いのでよく食べた。

中でも鉄板だったのがこの「貧乏スパゲティ」である。材料は、スパゲティ、塩、バター、レモン汁、焼き海苔のみ。海苔はパリで買うと高いので時々母に送ってもらっていた。

作り方は簡単だ。
スパゲティをたっぷりの塩でアルデンテに茹で、バター多め、レモン汁もたくさん入れる。最後に海苔をちぎってたくさん入れる。

それだけなのだが、これが滅法旨い。

パスタはスパゲティ一択だ。リングイネもフェトチーネもいけない。
そしてレモンは、決して無農薬などのいいレモンを絞ったりしてはいけない。あくまで瓶入りの100%レモン果汁がよい。また、色気を出してこれ以外の調味料や具材を入れることは罷りならぬ。ペッパーやにんにくも不要。ましてや、柚子胡椒を入れてみたり、生ハムを入れてみたりするとひどく後悔する。本当に美味しくなくなるのである。

このレシピはなに由来のものだったか、自分がアレンジしたものだったか、今となっては全く定かではないが、とにかくたった一つのコツは「いかにも貧乏人らしい感じ」で作ることである。衒ってはならないのだ。

パリで住んでいたのは民営の女子寮みたいなところで(Foyer de la jeune filleという)、半地下に共同のキッチンがあり、いつもそこでいろんな国から来た子たちが自炊をしていた。わたしは片手鍋で炊いたご飯(riz rondという箱入りの安い米が一番日本米に近かった)に生卵をかけて食べて、みんなに「オエー!気持ち悪い!」「ノー!アイは蛇なの???」などと言われたりしていた。サルモネラ菌が危ないので日本以外では生卵を食べてはいけない、と知ったのは帰国してからだが、一度もお腹をこわしたことがないのだから、わたしに限っては問題ないだろう。

そのキッチンにはよくねずみが出て、夜中にうら若き女子がみんなでねずみを追いかけ回したり、逆にねずみに突撃されて悲鳴をあげたりした。夏にはゴキブリの大発生も経験した。パリ6区の、築400年ぐらいの石造りの建物なのだから仕方あるまい。昔は修道院だったそうで、階段の窓はマリア様のステンドグラスだった。衛生的にはなんとも信じられない環境であったが、わたしにとっては本当に大切な、思い出の詰まった場所だ。

GoogleMapで見つけた。
この半分埋もれている窓こそがキッチンの窓。

貧スパを食べながら、もう20年以上前のパリの半地下キッチンでの各国語訛りのフランス語によるおしゃべりや、20代だったみんなのきらきらした笑顔を思い出した。

授業がない午後、誰もいないキッチンで半地下の窓から差し込む白い光と、通行人の影をぼんやり眺めながら食べた貧スパは美味しかった。

あの時の貧乏は確かにそのあとの自分にとって大きな糧になった。あの時の「前向きな貧乏」は、いつもお腹が空いていて、蚤の市で山になった古着しか着ていなかったけれど、楽しかった。
わたしはパリに勉強をしに行ったのだけれども、同時に貧乏をしに行ったのだと言ってもいいのでは、と今になって思う。

「貧乏は、するもんじゃありませんな。味わうものです。」
(古今亭志ん生)



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