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ミミックAI

「ものまねをする人」「ものまねをしない人」
世の中の人は2つのタイプにカテゴライズすることができると常々思っている。する人はいつもしているが、しない人は一切しない。

わたしは「ものまねをする人」の方だ。
こどもの頃から、いつも身近な人の口まねをしている。
ただし、そこには、対象を見下した気持ちやデフォルメは一切ない。
聞こえた音、耳に残っているセリフを忠実にアウトプットしているだけである。

そして、「ものまねをすること」が目的なのではなく、その人がこう言っていたよ、というようなことを言う時に、自然に「その人のまね」で言ってしまうのだ。むしろ、まねをしないと話が出来ない。一体これは何なのだろうか。

小中高大と、先生の口まねをしては友達を悶絶させていた。
幼なじみのO川くんやYっちゃんやSんちゃんのものまねも大の得意だ。
パリに留学していた時には、大家さんのマダムのものまねをして各国の住人たちに大絶賛された。

まねる時は口まねだけではなく、動きも顔もまねる。
我ながら、なかなかのクオリティである。
また、「まだその人が言ってないのに絶対に言いそうなこと」を想像してまねるのも得意だ。雇い主である教授がこう言いそう、ということを想像してあらかじめまねてみて、本人がほぼ同じことを発話したときの達成感と言ったらない。

さらに、ものまねは、口まねだけではない。
物の状態などを説明する時も、全身を使って、やや情熱的にまねてしまう。やろうと思ってやっているというよりは、ついついやってしまうのである。
例えば、前に「食パン生地に混ぜ込まれて四角く焼かれてしまったねずみ」の写真を見て衝撃を受けたわたしは、ねずみ嫌いの友の前でそのねずみのまねをしてしまい、友を恐怖のどん底に突き落とした。

野菜がこういう感じだったよ、などという時にも、
「それでね!たけのこが、キョーン!てなっててさ!」とか言いながら、たけのこがキョーンとなっているその形状のまねを全身でしてしまう。

もはや、病である。

この病は、多分母由来のもので、母もいつもそんな調子だった。
そして、奇しくも、一緒にお店を切り盛りしている従弟も同じ病だ。しかも彼のものまねのクオリティは間違いなく最高ランクである。わたしより全然上手い。だからと言って、二郷家全員がそうかというとそうでもない。むしろ、ものまね師はこの3人ぐらいしかいない。だから3人でしゃべるのはいつも楽しかった。今も、いとこ同士で仕事の打ち合わせをするときはそんな調子だ。「昨日、〇〇さんがこう言ってたよ」という話をするときには必ずまねが入る。なので、当店の顧客各位は概ね、愛と誠に愛に溢れた口まねをされていると思っていただけたらと思う。

そういえば、ひとのまねはするが、ひとにまねをされたことがあまりない。もしかして、わたしは何の特徴もないつまらない奴なのだろうか。

誰かに「愛ちゃんのまね」をされてみたい。

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