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学術論文が公刊されるまで

学術論文の公刊はたいてい査読制度による査読審査受理認定を前提とする。そのことが個々の学術論文や全体的な公刊論文の学術的な質を担保するとされている。総論的には異論はなかろう。しかし・・・である。現実には、論文査読者は原則匿名であることからいろいろな問題をはらむ。
 特定の論文分野内容・研究者やグループに対して、その真の理由を隠蔽して、想像を絶するような批判や中傷、言いがかりが査読結果の講評として表明されることがおうおうにしてある。まったく建設的でない、応えようのないこのような無責任で時として人を小ばかにしたような煩瑣な批判に対してどのように対処すればいいのか、という現実問題が個々の研究者にとって大きく立ちはだかる。多くの研究者は、多大な時間とエネルギーを費やさなければならないこのような不快な局面をしばしば経験するのである。誠実で良心的な研究者ほど、この精神消耗性の袋小路に悩まされるのが現実であろう。これが学問を修めた人間のすることか、と思われるようなことが人文社会科学、数学や理論物理学を含めた自然科学のあらゆる専門領域の世界で一般的に横行しているのが現実である。
 平身低頭に言い訳になってない言い訳をうまく作文して査読者の言いがかりを切り抜けることができることもある。しかし、それが逆に修復不能な地雷を踏む結果を招くこともある。多くの手間と時間をかけて異なる雑誌に再投稿するために、論文体裁を新たな雑誌の投稿要綱に従って修正し、潔く投稿雑誌を変更、ことの経緯を説明弁明した編集長あての長い手紙を添えて、祈るような気持ちで一から出直して功を奏することもある。しかしまたそれが裏目に出ることもある。
 最近は、だれでも論文PDFをダウンロードできる「公開性(オープンアクセス)」を前面に出した電子雑誌が隆盛で、そのさい査読者の氏名所属等が論文公刊時に公表される場合も多くなっている。そのことが抑止力となって、言いがかり的で無責任な査読をする査読者が減少しているようにはみえる。しかしその期待は建設的な査読を前提とした良心的な査読者に対してであり、はじめから不受理を決めてかかる匿名性に乗じる査読者には抑止力にはならないだろう。
 また多くの研究者は、所属する組織(大学や研究所)からの圧力や獲得研究費の経費処理上のこまごました期限付きの要請から、論文公刊を急かされつつ、なおかつインパクトファクター等の指標を計算に入れた投稿雑誌選定を勘案したさまざまな現実的な諸課題を乗り越えながら、自分の研究成果を論文として公刊しなければならないのである。これはよほど要領のよいひとでなければできない芸当だろう。研究者は、当然のことながら、研究をして成果を論文にまとめ公刊するだけでなく、研究を実行継続するために予算獲得のための申請書執筆その他の雑用(研究指導や研究環境整備など)を同時にこなさなければならいないのである。しかもそれだけでなく、研究関連業務以外の教育・組織管理運営業務を同時にこなさなければならいのがふつうである。
 本来の研究にもっとも必要だと思われる独創的アイデアの着想や時間をかけたその追求や育成は、このような精神消耗的で即時的成果をもとめられる現実の研究環境のなかでは極めて困難であるといわざるをえない。
 わたしは、このたび研究教育組織の離職に際して、組織に属するきわめて制約のある研究環境を引退し、自分のこれまでの研究成果の紹介や将来の展望をブログなどのSNSを通して自由に公表する試みを実現化しようと思いました。
 研究成果の質は担保されてるの?インチキでいい加減なことを公言してるんじゃないの?などの批判には、時間をかけながら対処していきたいと考えています。

この件に関してたとえば、
https://twitter.com/JamesKilner/status/1544663006017191936?s=20&t=Lz5OAcrPB_hIPnZnZOZ3Pg
のような議論があるのを見つけました。


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