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長男の話12【発達検査とお別れの日】



2歳10ヶ月にして療育に通うか否かの検査を受けることが決まり、
私とめーくんは少しでも通わなくていい可能性を増やすため、
毎日トレーニングをしていた。

まずめーくんは応答の指さしができない。

「○○はどれ?」を答えさせるため、
「きんぎょがにげた」の本を使って指差しのトレーニングを詰んだ。
偶然できた瞬間だけを動画に収め、
仮に検査でできなくても「できた」ということにする安心材料を撮り溜めていた。

顔のパーツの名前も必死で教え、
名前を覚えることが得意だっためーくんは
すぐに「はな」や「くち」などを指さしながら言葉にすることができた。

言葉の名前を覚えるためのおもちゃならいくらでも買った。
こどもチャレンジも始めたし、はさみで切って制作する本や、知育のためのパズルも、
その時期が後にも先にも1番の教育ママ時代だったと思う。


本来の数値が出なくてもよかった。
少しでもいい、偶然でもいい、
療育に通わなくても大丈夫です、と言われるための気休めでしか無かった。   


そして検査を迎えた日。
めーくんはなんにもできなかった。


他のことが気になり心理士の質問に集中もできない。
ただうろちょろ動き回って、
興味がある課題には少しだけ答える。
私は隣で別の療育スタッフに聞き取りをされていたため、
検査の様子はずっと見ていた。



これは実際の数値よりもきっと低く出るだろう。
素人にでも分かるぐらい、
検査どころではなかったのだ。



検査結果は検査から1ヶ月程たった頃に
告げられた。

2歳10ヶ月での発達年齢は
1歳。



めーくんは一年以上も遅れていた。
検査に答える姿勢ではなかったとしても
これが現実。



「どうしますか?成長していくとは思いますが、通いますか?」




担当の方からそう聞かれて
「通います」と答えた。



公園で出会った誕生日が一日違いのお友達。
むいちゃんのママに療育に通うことを告げた。

むいちゃんのママはこれまで
めーくんの発達の事を相談しても
「どこがですか?
全然気にならないです。」と驚いた顔を見せていた。



それでも私がもう目前まで迫った療育にマイナスな姿勢を見せた時はじめて
「療育に通うことは悪いことじゃないらしいです。」と言った。
学生の頃、ボランティアで療育先の見学をしたことがあるらしい。

本当はずっと、分かっていた。   


障害受容できていない私を前に、分からないふりをするしかなかったのだ。


むいちゃんはこのあとすぐ、
パパの仕事の都合で引っ越すことが決まった。

もう毎日のように公園で会うことも
家を行き来することもなくなる。

コミュニケーション能力の高いむいちゃんが
何度も何度もめーくんを見つけて嬉しそうに駆け寄ってきてくれたこと。
めーくんが何も感じていなかったとしても、ママはずっと忘れない。



ささやかだけど我が家でお別れ会をした。
めいみちゃんと3人でケーキを食べ
2人からバイバイと手を振られたが、
めーくんは無反応だった。

皆が玄関の扉を閉めたあと

めーくんが言った。



「むいちゃんバイバイしたね」






ほんの一瞬めーくんがむいちゃんとの別れを理解していたようにみえた。


現在5歳、
幼稚園では友達の名前を1人も覚えていないのに。

 















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