清水愛子

広告会社を経て医学部学士編入。医者をやりながらメディカルとソーシャルの中間領域で生きて…

清水愛子

広告会社を経て医学部学士編入。医者をやりながらメディカルとソーシャルの中間領域で生きています。グッドネイバーズカンパニー代表/東京在住/1980年生まれ

マガジン

  • 祖母が暮らした築100年の元置屋の記憶を真空パック

    埼玉県北部にある祖母の家が取り壊されることになりました。大正15年(昭和元年)に生まれた祖母が10才の頃から暮らしたこの家は、時代の移り変わりの中で増改築を繰り返しながら色んな人が暮らしてきました。その思い出を一つの図鑑としてまとめるプロジェクトを立ち上げた孫の私の想いとそのプロジェクトの内容を紹介します。

最近の記事

保育園留学の体験談~気づき編~

2023年9月に体験した、北海道厚沢部町での保育園留学の体験記。保育園編、生活編ときて、最後は気づき編です。 保育園編①の記事はこちら 保育園編②の記事はこちら 生活編の記事はこちら 順不同、思いついた順番に、2週間の留学を経て、私が気づいたこと、学んだこと、これからの子育てや自分の仕事観に影響を与えた内容について記録に残しておきたいと思います。 まちにとって「保育園」がもたらす意味 私にとって、子育てする親の立場でいうと、保育園って「仕事をしている間に子供を預か

    • 〔レシピ〕ランチドレッシング

      ずいぶん昔にディルを使ったレシピというのを投稿した。 意外だけど、この投稿がとても人気で、全国のディル好きさんたちが定期的に訪れる。やっぱり日本語でディルのレシピが少ないのかなと思う。 それならば、全国のディル好きさんに共有しておきたい我が家の定番レシピがある。 北欧やアメリカなどで、ヨーグルト系のディルを使ったソースがあってこれはなんという名前なんだろうと気になっていたのだが、ある時、Ranch dressingと言うのだと知って調べ始めたのがきっかけ。 ドレッシング

      • 保育園留学の体験談~生活編~

        我が家は、いずれ『2.5拠点』ぐらいの緩やかな多拠点生活をしたいなと思っています。北海道厚沢部町での保育園留学は、そんな思いが背景にあったので、家族でシュミレーションをしたいと思って参加してきました。 2.5拠点のうち、軸となる2つの拠点は自宅のある東京と、私の両親が暮らす埼玉県北部。ただ、これだけだと距離にして100km弱だし、固定的な行き来になってしまいそうだったので、もうひとつぐらい、継続的な関わりを持ち続けるような0.5拠点があるといいなと思っていました。 違う拠

        • 保育園留学の体験談~保育園編②~

          北海道厚沢部町での保育園留学体験記 保育園編②では、留学中に『驚いたこと!』を中心に書いていきます。 アクティビティがなにしろ多い! 「はぜる」のホームページのトップ画像を見れば一目瞭然、園内も園庭も広大で、子ども一人当たりが自由に遊びに使えるスペースがたくさんあります。子どもにとっては解放感があって伸び伸びできたようでした。 遊具の種類も豊富で、初めて使うオモチャに興味深々。園庭には、大きいジャングルジムのような遊具がいくつかあるほか、砂場や乗り物、そして菜園がありま

        保育園留学の体験談~気づき編~

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        • 祖母が暮らした築100年の元置屋の記憶を真空パック
          3本

        記事

          保育園留学の体験談~保育園編①~北海道厚沢部町

          親子で短期移住生活を楽しめる「保育園留学」を体験してきました。私もパートナーもこどもも、三者三様の学びと刺激がたくさんあったので、忘れないうちに記録にとどめておきたいと思います。   こども視点の保育園編、家族の移住視点の生活編、家族で振り返って感じた気づき編の3部構成です。 追記)私たちが体験したのは2023年9月後半の2週間です。 保育園留学とは保育園留学とは、『1〜2週間ほどの期間で、こどもが保育園に通いながら家族で好きな地域に滞在し、暮らし体験をする』ことのできる

          保育園留学の体験談~保育園編①~北海道厚沢部町

          子育てはどこでするのがいいのか?問題

          今日は「こどもとまなび」について書いてみたいと思います。 都会はコンクリートジャングルばかりだから野原をかけずりまわり自然から学ぶ機会が少ないんじゃないか。地方は学習塾や進学校、ユニークな教育方針の塾や習い事の数が少なく、多様なまなびに触れる機会が少ないんじゃないか。そんなイメージをもっていないでしょうか? 住む場所によって子育ての機会に差が生まれる、というイメージを持っていたのは、私です。 以下、あくまで私の「23区に暮らす母親のないものねだり」的な発想が悪目立ちする

          子育てはどこでするのがいいのか?問題

          建物の記憶を真空パックするために

          プロジェクトに協力してくれるパートナーを探すにあたって、建物とそこに暮らした私たちの思い出を記録するのだから、建築関係の人達に相談したいという想いがありました。 日本工業大学の勝木先生のことが浮かんだのは、かつてケアクリ会議に登壇していただいたときに「建築のハードではなくソフトの部分、特に建物の歴史や暮らした人の生活史に着目した研究をしている」というお話をしていただいたことを覚えていたから。 街や公共施設の風景を切り取る研究室勝木先生に久しぶりにメッセージをして、zoom

          建物の記憶を真空パックするために

          書籍「銭湯図解」に着想を得て

          今年中に取り壊しが決まっている祖母の家を、どうやって記録に残すか。 かつて置屋だったという建物としての面白さと、祖母を中心に3世代が暮らした家族の記憶としての面白さを、ハードソフトの両面から記録するにはどうしたらいいだろう。 そんな時に知ったのが、「銭湯図鑑」という書籍でした。 銭湯といえば、昭和時代の古い建物に富士山の絵というイメージですが、この図鑑では、建築的な視点からいろんな銭湯を三次元的に図解し、解説しています。この本は、まさに私のイメージにぴったりでした。

          書籍「銭湯図解」に着想を得て

          かつて置屋だった祖母の家を壊すことになった

          これから書くのは、埼玉県北部にある母方の祖母の家と、そこに暮らした私たち親族のお話。 築100年の木造民家祖母の家は、築100年ほどの古い木造家屋で、人が二人並んでちょうど歩けるぐらいの幅の路地と路地が交差する場所に位置する、いわゆる裏通り的な場所に建っています。 写真にある玄関から入ると、手前に古民家、真ん中に少し新しい昭和スタイルのキッチン、一番奥には「教室」と呼んでいるだだっ広い部屋がお目見えする細長い作りで、100年という時代の変遷の中で増改築を繰り返したことが分

          かつて置屋だった祖母の家を壊すことになった

          コトバは時に政治的~ワークショップ振り返り

          ※このテキストは、2022年7月6日に私のFacebookで投稿した内容をnoteに転載しているものです※ 今日は、誰もが文化でつながる国際会議 Creative Well-being Tokyo の一部で開催された「インクルーシブ・シアター・メイキング・ワークショップ」に参加してきました。 あえて言葉を選ばずに言えば、健常者と障害者の垣根を越えて演劇やアートの手法を用いて即興劇を作るワークショップ。 どんな場になるのか全く分からなかったのけれど、コロナを理由に出不精に

          コトバは時に政治的~ワークショップ振り返り

          医者の資格をとって、医者の役割を脱ぐ

          (この文章は、私が2022年2月に軽井沢にある「ほっちのロッヂ」に行ってきたことをキッカケに、自身のこれまでとこれからを探るための自分語り&自己紹介エッセイです) 今回は医師国家試験に合格して、初期研修医になった頃の話。 少し矛盾を感じるかもしれませんが、私が医学部に入学することが決まったとき「いずれ医者の役割を脱ぐことをゴールに医者の資格を取ることになるんだろうな」というイメージを抱いて入学しました。 「こんな診療所があればいいのに」とか「人々の生きがいインフラと健康

          医者の資格をとって、医者の役割を脱ぐ

          30代医大生、法人設立、ケアクリ会議

          32才で医学部に学士編入することになった私 今回は、医学部時代の話をします。 医大生としての話というよりも 医学部時代に模索した法人の活動のお話しです。 医学部に通いだした最初の1年間は 片道2時間の通学と 恐ろしく範囲が膨大なテスト地獄で 久しぶりの学生生活に慣れるのに精一杯でした 医大生2年目に入り そろそろ自分が活動する拠点を作ろうと考え 設立したのが、いまも続く 一般社団法人グッドネイバーズカンパニーです (略して、GNC) グッドネイバーズカンパニー設立の想い

          30代医大生、法人設立、ケアクリ会議

          ケアクリ会議の歴代ゲストたち

          勢いあまって、ケアクリ会議の全5回のすべてのゲストをご紹介します。(注:肩書はすべてイベント開催当時のものです) 第1回は、  暮らしの保健室室長 秋山正子さん  恋する豚研究所飯田大輔さん  当時は筑波大学の博士課程にいた現チアアート代表の岩田祐佳梨さん 第2回は、  NHK「バリバラ」プロデューサーの日比野 和雅さん 「老いと演劇」主催の菅原 直樹さん  ピーシーズ代表で児童精神科医の小澤 いぶきさん 第3回は、  NPO法人プラス・アーツ理事長 永田宏和さん  熊

          ケアクリ会議の歴代ゲストたち

          私にとって震災の日のこと、その後

          東日本大震災が発生してから今日で11年が経ちましたね。 11年前の今日の事を鮮明に覚えています。 赤坂Bizタワーというオフィスビルの9階で、自分のデスクのパソコンに向かっていた私は、「ドカン!」と縦に突きあげられるような感覚の後に、「ぐらぐらっ」とフロアが横にずれるような感覚を覚えました。その後、免震構造のビルは、30分以上も「ぐわ~んぐわ~ん」と揺れ続けたのでした。 その日、仕事で一眼レフカメラを持っていた私は、揺れが少し落ち着いた夕方から2時間程、赤坂を先輩と一緒に

          私にとって震災の日のこと、その後

          こんな診療所があればいいのに

          父が医者、母が看護師という環境で育ち、中学時代に父が北関東の小さな町で診療所を開業しました。「将来、絶対に医者にはなるまい」と思ったのは、他でもない、父が開業した当時のティーンエイジャーの私です。 それから、約15年。 「こんな診療所があればいいのに」と思って、30を過ぎた私が医学部に学士編入をするんだから人生何があるか分からないですよね。 今回は「医者になる前の私のこと」について。 診療所の「静」のイメージ自分は医者は向かないなと思っていたのは、一日中、診察室に座っ

          こんな診療所があればいいのに

          ほっちのロッヂに行ってきた①

          かねてから訪問したいと思っていた「ほっちのロッヂ」に行ってきました。 2022年、次のプロジェクトの輪郭を浮かび上がらせるために色んな人や場と出会い対話をする旅をしようと考えていて、今回の訪問はその第一回という位置づけでした。 コロナ禍にもかかわらずほっちのロッヂの見学を実現してくださったのは診療所院長の坂井さん。そして、共同代表の紅谷先生、藤岡さん。 訪問した当日は他にも何人かスタッフの方がいらして、お話しをうかがうことができました。皆さん温かく受け入れてくれて、本当

          ほっちのロッヂに行ってきた①