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#24-107 声と話し方と心の声

そして、火曜はやはりしんどくて。
帰り道、明日は金曜ではないことを知る。
そうか、まだ火曜なのか。

話し方や声が苦手なひととは話す気にならない、という記事を書いたことがあっただろうか。
話し方や声が苦手なひとは、もうそれだけで苦手で、悪いひとでなくても話す気にはなれなくて、仲良くなろうなんてことも全くおもわない。声が聞こえる
ことが苦痛でしかないのだ。同じ空間にいることが苦痛、ということだ。

声は別として、話し方はその為人が出るもの。

そういうところに敏感だと、
なかなかに疲れるもの。

ひとが気にしていても、気にならないことは全く気にならないのに、ひとが然程気にしないようなことが、非常に気になる。
ひとが言っていることに対して「え、そんなこと?どうでもいいけど?」と感じることが多い。観点がひとと違うのだろう。だから、たいていのひととは気が合わない。それでも、それなりに応対しているじぶんをほめたい。表情は隠せていないかもしれないけれど。

「馬が合う」ひとなんて、そんなにいるものではないとおもっている。わたしの周りのひとたちには、それぞれに「馬が合う」ひとがいるのだろう。完全に、とはいかずとも、どことなく我慢しながら付き合っているはず。

我慢できないこともある。
我慢しなくてもいいこともある。

みんな、うまく付き合ってるんだな。
わたしには、どうも難しいな。

みんな、すごいな。

でも、やはり怖いな。

aico.

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