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#23-218 たとえ作り笑いでも。

いい笑顔になれるひとが、うらやましい。
わたしは、いつもうまく笑えないから。心から嬉しくても楽しくても、作り笑いばかりで、いい笑顔にはなれない。だから、楽しそうに思いきり笑っているひとを見ると、うらやましいと感じる。

いつから、わたしは笑えないんだろう。
笑えてたときが、確かにあったはずなのに。

写真に写った笑っている顔が、とてもいやだった。こんな顔をして笑っているのかと、その醜さに嫌気がさした。楽しそうなのはわかったけれど、こんな顔で写真に写るのはいやだとおもった。こんな顔をひとに見られることも、いやだ。ひと前で笑いたくない。そしておもった。「笑わないようにしよう」と。笑った顔以前の問題なのだろうけれど、そこは是非目を瞑りたい。

楽しくても、嬉しくても、その感情は抑えつつ、作った笑顔を見せる。これが今のわたしの笑顔なのだ。そう言い聞かせて、じぶんで許せる範囲の顔で笑っている。

最近では、笑うことも少なくなった。ひとに逢わない時間が多い。おうちにいても笑うことはない。テレビを観て笑うこともない。テレビを観ない。

ひとと一緒にいるときのわたしが笑っている顔は、いつも顔が崩れないように控えめに作った顔だ。ソーシャルメディアで写っているわたしの顔も、そう。というか、じぶんで撮る写真はいつもあまり笑っていない。

えくぼがあると「かわいい」と言われる。わたしにもえくぼができる。だけど、これをあまりすきになれない。左右のバランスがよくないことも、すきになれない。えくぼの、何が「かわいい」のかもわからない。誰かが勝手に言っているだけだろう。

よく笑うひとも、うらやましいとおもっている。あんな風に笑うことができたら、きっと毎日が違うのだろう。そうありたいとおもっていても、そうはなれないじぶんがいる。

ファッション雑誌で、日本のモデルが無駄に笑って写っているのを見るのがいやなときもあった。今もそれほど好んではいない。どうしてわざわざ笑って写っているのか、気持ち悪いと感じているときもあった。日本人モデルが載っている雑誌を買わなくなった。今思えば、彼女たちのあの笑った顔は、今わたしが作っている顔と同じようなものだったかもしれない。わたしの顔もまた、誰かから見たら気持ちの悪いものなのかもしれない。彼女たちはそれが仕事で、求められてしていることなので、わたしと同じにしてはだめなのだけれど。てゆうか、到底同じにもなれないのだけれど。

今日も、笑うことなく
1日が終わる。

明日は笑えるといいな。
作り笑いでも、ちょっと無理してでも、
明日からは笑ってすごしたい。

aico.




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