見出し画像

父母に養われる季節

「愛ちゃんがお正月に日本にいるなんて」 と、周りから言われて、

そう言われてみれば、自分も、つい4か月くらい前まで、日本で冬を越すなんて

想像もしてなかったな と、 思った。

本当は、秋口にバリに戻るつもりでいた。

バリにずっといたかったし、エコリゾート施設で、ヒーリングプログラムのコーディネーターの仕事の話があったのだ。

それが、私が6月に日本に帰国した後に、その話が流れてしまった。(元々、生まれたてのプロジェクトで実現化のエネルギーは弱々しいところがあった)

それで、そのまま東京にいることになった。

当初、寒い東京で冬を越すなんて、自分の身体には耐えられないだろうと思っていたし、
実際、3年前まで、冬になるともういのちの危険を感じるくらい、身体が弱って、私はもう生き延びるだけ、身体を維持するだけで精一杯になっていた。

それが、意外や意外。

この年末から1月にかけての私のからだは、低下する東京の気温に、一応、適応しているのである!

もちろん寒いは寒いのだけれど、

この真冬に、食べて、寝て、ぼーっとする、散歩する、と言った、生存維持のための大切な時間に加え、オンラインでセッションの仕事や他の活動までできる活力があることは、3年前の私から見ると、奇跡的に思える。

私の身体、よく、病めるときも、健やかなるときも、いつも共にいてくれた。
持ちこたえ、励まし、私を包み続けてくれた。

いのちの危険を感じて、いろんな人の力を借りながら、冬が訪れる前に滑りこむようにバリに飛んでから、その直後に感染症騒動が始まり、ほぼ3年。

バリ島に、弱ったからだをたくさん癒してもらい、健やかにしてもらった。

気候が暖かければ、それだけで身体が緩むし、ごはんもフルーツもおいしい。
感染症騒動下で、人の少ない島の大自然は、存分にわたしをとっぷりと抱擁してくれて、
ヨガや水中ボディワークを学んで、からだとのつながりを思い出し、
魂のつながりの濃い、家族にたくさん出逢った。

そうしたこと全てが、私の体力を底上げしてくれたのだと思う。

大自然という 大きな父、大きな母に 包まれていた。

自然であれば、からだは健やかになるということを、教えてもらった。

血の縁を越えて、どこかの人生で家族だった人たちと出逢えた。

そして いま 東京に戻ってきたのは

きっと 

人間としてこの命、この体を与えてくれた 父母に

再度、抱きしめてもらいたかったからなのだと思う。

今までももちろん甘えていたが、さらにさらに、たくさん 甘えたかった。

安心 したかった。

それを 思い出したかった。

また 何度でも 身体に 刻み込みたかった。

「今のあなたなら、冬の日本も大丈夫だから」と、

自分の中に既に育っていた力を発揮するよう、差し出された状況。

底上げされた体力と、甘えることを、自分に許可する力、

そして、目の前の母や、世界中でつながってくれる人たちと、持ちつ持たれつ、
うまく乗り越えていける力が既に内部で育っていたことを、

教えてもらえる状況だった。

母に触れ、母の願った愛、母が持っている、そして母が与えてくれる無上の愛の質を、重ねて知り

亡くなった父に触れ、父の優しさ、父がしてくれていること、父がしてくれたことと、叶わなかった切なる願いを、また深い層で知り

祖母の、祖父の、偉大な愛と、受け渡してくれたもの、切に叶わなかった願いを知り・・・・

祖先の。

日本人、私たちの無意識全体が、持つ、切なる願いと、託した愛を知る。

きっと、これがしたかったことなのだろうと思う。

それは、この身が生まれ育った風土の中へ自分の身をとっぷりと浸し、

縁の濃い人たちと時空間を共にしなければ体験できない、何層にも渡る層。

バリから東京に戻って、最初の1-2か月はほとんど外に出れなかった。

東京に充満した化学物質、電磁波、変わった人の様を、見ることができなくなった。
建物や人々を観ていると、目が痛くなり開けなくなった。
自然ではない「不自然」なものを、もうこれ以上見るのが堪えなかったのだと思う。
コンクリートで固められた地面に人工的に植えられた木々を見ると、野性の感覚も奪われたその生命に、胸が痛んだ。
けれど、東京ですら少し奥にいくと、しっかりと大自然があるのだった。日本列島をほぼ覆う、原生的な山々。それが日本の本質なのだ、と言わんばかりの広範囲。飛行機で上空から日本を眺めた時に、感動した。

私の身体は、都市の東京の環境に適合するために感度を大分落とし、身体感覚の敏感さや敏捷さは鈍くなっている。今私が体験したいことを体験する期間中――人との愛の循環を深めること――このレッスン中は、この環境に適合できるようにと、身体が見事に賢く、自動調整してくれている

そして、私を産んでくれた母が、またしっかり私を甘やかしてせっせと家事をしてくれることに、多大な安心感を受け、それによって私は新たに、今まで得なかったエネルギーを温存し、それを外に回しているのだった。

(今、私は、東京で毎日全く家事をしていない。食事も洗濯も買い物も縫物も、全て母に任せている。笑 母は母で、そうしたことをニコニコとやりがいを持って喜んでしてくれるし、私は私で、おかげ様で自分の体調管理と、やりたいことに全力で集中できる環境ができている。今、私と母は、この10年の中で、お互いに最高に元気だと思う。

 これも、私の無意識が望んだことだったのだと思う。)

いつも

自分のこの人生でのミッションは、何かということを、私たちは無意識でとらえ続けている。

私の場合、存分に、自然から抱きしめてもらいたい、人から抱きしめてもらいたい、
安心したい、そして、愛を巡らせたい と願っている。

恐らく、誰もに共通することなのではないかと思う。

そのために、人生をかけていろんな場所を旅し、その都度、その場所で体験したいレッスンを味わい、
味わい尽くしたら、次の場所へ移っていく。
(たとえ、地理的に動かなかったとしても、こころの中では移動と変遷を繰り返している。) 
そうした冒険を、きっと私たちは続けている。 

冬に、日本にいるとは想像していなかった。
3年前の私にとって、冬の日本は、自分の身体と精神を極限まで追い詰める、厳しいヒマラヤ山脈での修行の季節だった。活動は止めて、冬眠をし、完全な夜の世界で、身体の無意識の中で安らぐ季節だった。

目が覚めて活動ができる自分のまま、冬に、母と、東京でのんびり幸せに過ごしていることは、想定していなかった。
毎日鍋をして、ぽかぽか、「おいしいわ~」と言いながら、お腹を満タンにして、ありがたいねぇ、幸せやねぇ、と言い続けている、そんな幸せを想定していなかった。

(ちなみに、食卓は、毎日、毎食、いただきもので溢れている)

いつも自分の魂は、自分の最善のために、この人生を完璧なオーケストラとして総合しナビゲートしている。

すべて、自分に起こることは、『自分のため』に起こっていること。

 『自分を傷つけるため』でも、『自分へと』(偶発的に)起こることでもなく。

自分の魂が、自分の最高な人生を彩るために、完璧に精密に、美しくデザインして起こしていること。

だから、実はどの瞬間も、愛おしく、その瞬間にしかない味わいがあり、素晴らしい。

時に、「こんな現実望んでない」と言いながら、その実、それはすべて、自分が望んでいたこと。

今ある現実は、全て、自分の魂が、(自我が、望む望まないに関わらず)、望んで、創り出したもの。

私たちは、私たちの魂に、愛されている。

どんな、人生の不幸に見える出来事も、その体験を味わい切り、経ることで、深めていく自分自身を、見出していくために、
すべて自分の魂が設計し、デザインした。

いつも、魂という存在に見守られ、自分の魂が望んだ道の中に、私たちの今ここの体はある。

どの人も、どんな過程にあっても、最善の道におり、最高の旅の最中にいる。

自分の魂に見放されることは決してない。

小さな自分の想像を超えて、今自分が想像もできない自分となるために、

自分のためだけにデザインされた道。

その只中にあると気づいたとき、それはまた絶大な愛と、
私が育つことへの絶対的な信頼があり、決して見放されることがないのだと、安堵する。

望んだものは、全て与えられるのだという、この無限の奇跡。

自然からも

父母からも

身体からも

自分の魂からも

思う存分、いたせりつくせりで愛を受け

この愛を、ただ深めていくことが

私がこの人生でやりたかったことなのだな、と思う。

私が今、日本で体験したいこと。

人間関係の原体験になる、父母との関係を、なぞり、感謝し、埋めたかったものを埋めていくこと。

人との中の温もりに、とっぷりと自分の身を置くこと。

全ての人間関係は、父母との関係から始まっていて、この人生で巡らせたかった人との愛の形は、そこを起点にしている。

私は、今、東京で、母の元で赤子に戻って、思う存分(父)母なる存在から養われていることを、ただただ味わっている。

養われることで、私もまた養っていることを、体験している。

亡くなった父が、身体を失くしたからこそ、

できる無償の愛と守護を、私や母、姉たちに送り続けてくれていることを、

現実のあらゆる空間の中に見、聴き、感じ、

そして、肉体があった頃に、

彼がこころの奥底で願っていたがどうしても叶えられなかった願いに、

こころを沿わせ、一緒に、こころの中で、叶えていく。

父母との関係が満ち足りていくと、いつか、その質の愛と慈しみを、

他の人とも巡らせていけるのだろう。

今、その未来の準備をしている。

そして、また、いつしか、大自然の中に戻り、

大自然の中に抱かれ、包まれて、愛する人々と深い愛を生み出し循環させていくこと、

そしてその慈愛が無限に広がっていくこと、

これが私が肉体を持ちながら叶えたい夢だな、と思っている。

それは、今から観るに極楽のような美しい風景で、
やさしい音楽が流れていて、
すべての傷みが癒されて、ただただ幸せな、素晴らしい空間だと思っている。

私たちは

どこまで行っても、赤子なのだろう。

この大地の。

父母の。

祖父母、曾祖父母たちの。

そしてまた この赤子としての、一見無力な私たちの存在は
無上の愛を全方位から引き出す、最上級にパワフルなはたらき。

私たちが、願い、意図し、「欲しい」と泣くことによって、宇宙はそれをより与え、

私たちが、満足し、安堵し、すやすやと眠る姿を見て、また宇宙は、より一層安らかになる。

存分に、私たちは求めていい。

自分が弱いこと、自分が足りてないこと、我がまま(我のまま)に、「欲しい」って、言っていい。
それを、言えることを、自分に、ゆるしてあげて、いい。

未熟な、赤ん坊であることを、自分に、ゆるして認めてあげられたらいい。

「成熟した大人でありたい」と思う、「できる自分でありたい」と思う、

その自分の思う自分らしさなる檻を、そっと取り払えたらいい。

素直に、求めることさえできたのなら

後は与えられるのだから

「ありがとう」 が、わいてくるのは、至極自然なこと。

安心したら、実は、既に与えられているものの大きさに、もっと気づけるようになる。

そうすると、もっと、「ありがとう」という気持ちが、わいてくる。

「甘えたい」と泣き叫ぶ人に対して

自分の中の過去のどこかにあった、切なる叫びと響きあい

そこに、惜しみなく愛を与えていくことで、自分もまた、甘えられ、与えられていく。

世界はどんどんと豊かになっている。

豊かになり続けている。

実に、愛でたし、愛でたし。


今ある現実、出逢ってくださる皆さま
こころから感謝しています。

今、1年後のお正月に感じている未来は

たくさんのご縁ある人と、また未知なる冒険を経て、

より私たちのエネルギーの管が太く大きくなったことを、讃え合っている

そんな幸せな 光景だなぁ。

最後に

これから、現実的に、今年わたしが分かち合いたいと思っていることを、
シェアします。 

∞-----∞-----∞-----∞-----∞-----∞-----∞-----∞

【ヒーリング関係】

引き続き
●オンライン個人セッション

これは今後も通年行っていますので、ピンときた方は、ご連絡くださいな。
やはり、個人セッションでは、その方個人のポテンシャルを最大限に開いていけるので、
この時間が、私も大好きです。

自分の中の宇宙へ、旅をしよう。

●レイキのヒーリング講座(オンラインレイキⅠ、Ⅱ)
3~4月辺りに、自分で自分を癒し、どこまでも力づけていく
『ヒーラーセルフ』が目覚める、レイキのヒーリング講座を、行います~。
お楽しみに❣

癒しの本質は、肉体を超えて、意識そのもの。

●ポッドキャスト『おさむとあいこのスロー瞑想』

聴いてくださってる方から「呼吸がどんどん深くなる~。」とか
「誘導瞑想ほとんどダメなんだけど、この瞑想ならすんなり入れる」などのご感想をいただいており、本当に日々、嬉しく感じております。感無量です。

聴いていただくと分かりますが、おさむさんのピアノは、世界一優しいんです。

朗読してる私本人は、何度も言葉を練ったり録音して自分の声を聴いているのですが、
それを繰り返してると自分自身へのリラクゼーション効果がすごくw、
私がこの瞑想の恩恵を一番被っている!w と思われます。

全く瞑想をやったことない人でも、簡単に自分の中に入れるようになっています。
ぜひ、ポッドキャスト登録してみてくださいね。
月に1~2ペースで更新しています。

●そんなおさむさんは、誕生日や亡くなった命日の日付から
コードを作成し、世界で唯一の音楽を即興演奏して下さるのですが

本当に素晴らしい音楽です。私も、自分や家族に作ってもらい、救われました。

皆さんもぜひ、おさむさんに音楽を作ってもらってね。

おさむさんを始め、お仲間の皆さんと、ぞくぞくコラボが生まれつつあります。
こうした共同創造を、今年はますます花開いていきますよ。

どんどん、世界に、やさしい、魔法を放っていくよ。

∞-----∞-----∞-----∞-----∞-----∞-----∞-----∞

響き合う皆さんと

いろんな形で出逢えっていけるのを、楽しみにしています。

ありがとう

そして、 これからも、 よろしくお願いします。

気づけば 今日は蟹座の満月だったそうで

蟹座(家族への愛情、母性)というテーマの月が、

満ちていることへの感謝とは、まさしくぴったりだったなと思う。


写真は、寒さで腕が震えて、ピントもずれてるけど
元旦に撮った、冬の寒さで蕾が膨らんでる桜
もう満開の、散歩途中のお宅にある梅
前髪ぱっつんのわたし



今年も、響き合える皆さんと出逢えるのを楽しみにしています。

読んでくださってありがとうございます。もしお気持ちが動いたら、サポートいただけると嬉しいです😊 いただいたサポートは、よりよい活動をしていくための学びに使わせていただきます。