生きてるものはいないのか

『生きてるものはいないのか』

 大学のキャンパスのなかで人が死んでいく。ただそれだけの話なのに目が離せない。殺人でも自殺でもなく次々に突然死するだけ。理由は明かされない。今度は誰が死ぬのか。そんなスリルもここには見当たらない。緊張を凌駕する弛緩が全編をおおう本作はパニックものでもホラーでもなく謎解きミステリーや感動の群像劇の類でもない。ここにはもっともらしい顔つきの「社会」などない。わたしたちが無根拠に信じてきた「世界」とやらはとっくの昔に綺麗さっぱり消え去っていたのではないかと鈍く引き攣った顔面で浅い笑顔を浮かべるしかない事態がごくごく淡々と積み重ねられていくばかり。

 死ぬことの恐怖ではなく「どう死ねばいいのか」を決めかねてうろたえなす術もなく打ち倒されていく人々の姿が諧謔の視点から浮き彫りにされる。ありきたりといってもいいほどの滑稽さが導きだされていくから人の生き死にには尊厳というものがなければいけないと頑なに信じている方なら立腹してしまう可能性だってある。だがこの映画が行っていることは「死」と「生」は等価であるという当たり前の現実を大げさにではなくぬるりと引き摺りだすことであり構えこそゆるやかだがその実ひどく真摯でもある。

 わたしたちは「死」を捧げて「生」を讃えようとしてはいなかったか。あるいは「生」をないがしろにして「死」を美化してはいなかったか。「死」と「生」とのあいだに無意識に設けている人間のヒエラルキーを試す「踏み絵」のような一作。古今東西すべての哲学や宗教や社会学や人間学などに対峙拮抗させてもびくともしないとしない強靭さがみなぎる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?