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ここが地球の真中です。リム・カーワイ『あなたの微笑み』

 那須塩原駅前に刻まれた文字を読むところから、映画ははじまる。

 僕達がこれから地球を守るんだ
 地球はみんなの希望の光

 主人公の声が二枚目だ。
 朗読でありモノローグであり地球との対話であり自分自身への決意表明でもある声。
 静かだが確信に満ちており、澄んだ謙虚さが心地よい。
 ハンサムなその声には主観と客観にハレーションを起こさずに溶けあわせる優しさがあり、このイノセントな響きは、彼が着ている黒いTシャツに白抜きで書かれた「天才ですから」の文字にも微細な陰影をあたえる。
 超然とした唯我独尊なメッセージがそのままダイレクトに飛び込んでくるのではなく、やわらかで潔い鼓舞として舞い降りる。
 己への鼓舞だけではない。これは世界に向けての鼓舞である。どこまでもすがすがしい鼓舞。
 そうして、本作の核心ともいうべき文字があらわれる。主人公が見上げることによって、その決定的な文字は可視化される。

 ここが地球の真中です

 わたしたちはだれもが、自分という世界の真中に立っている。
 この真実を、一切の戯画におちいることなく、どんな自虐にも逃げ込むことなく、堂々と差し出す心意気。
 そうして、それを『あなたの微笑み』と名づけることの、途方もない抱擁。
 リム・カーワイの、渡辺紘文へのリスペクトが、映画へのリスペクトが、あらゆる芸術へのリスペクトが、そして、すべての観客へのリスペクトが、地続きとなって、そこにある。



 FUCK OFF!

 わざわざそう書かれたTシャツを着て、エレクトリックギターをかき鳴らし、カラオケ老夫婦に嫌味を言う律儀さに、主人公の憎めない品性がある。そう、友人たちとの語らいの中で明かされるように、彼は「働いたことがない」のであり、実は育ちのよい高等遊民なのだ。そんな彼を、友人たちも、ピアノ教師である弟も、赦している。
 あの嫌味のシーンで重要なのは、それが風呂上がりであるらしいことだ。
 この映画には、砂丘を歩く主人公の幻影=妄想が度々インサートされるが、それと同じくらいの頻度と比重で、お風呂が出てくる。
 沖縄のホテルで、主人公はどんなに切羽詰まっていようと部屋のバフタブに優雅に浸かっている。
 もちろん別府では温泉を堪能するし、着衣のまま滝に打たれる場面は一種のシャワーとして捉えることができるだろう。
 この映画が、物事が思うようにはいかない監督の全国縦断の旅に同行していながらも、ありきたりのシリアスさや、共感を押しつけてくる悲哀に靡かないのは、風呂上がりの清純な安堵があるからである。
 ここにリム・カーワイの品性を見る。
 つまり、過酷さは常に洗い流されていく。事態は一向に好転しないにもかかわらず。
 わたしたちが、渡辺紘文とミニシアターの店主たちとの語らいに、安らぎを感じるのは、劇場の歴史や映画への愛が空間に宿っているからだけではなく、主人公が風呂上がりの心持ちで、飽くなき交渉を愚直に繰り返しているからだ。
 髭面の巨体に小動物のような瞳を搭載したチャーミングな渡辺紘文にほだされる理由もまた、小ざっぱりとした風呂上がりのムードがしっくりくることに起因している。
 考えてみれば、映画館を出たときの気分は、どこか風呂上がりに似ている。魂がふやけ、傷が癒える。あの世から現世への帰還。
 映画館は、映画体験は、教会になぞらえられることが多いが、案外、銭湯に近いのかもしれない。



 渡辺紘文は、間違いなく天才である。彼の映画は、あらゆる映画史を引き受けているが、どんな映画にも似ていない。だからなのかもしれないが、その名はほとんど認知されていないし、その作品はあまり多くのひとに観られてはいない。
 彼は饒舌な映画作家ではない。自作のプレゼンテーションにたけた監督がほとんどな中、渡辺紘文は寡黙だ。言語化を拒んでいるのではなく、どうにも言葉にしづらい。そんな様子が、インタビューでもトークショーでも見てとれる。決して神経質なタイプではないし、ひねくれ者でもない。この映画を観て、あなたが感じた通り、素直で、大らかで、イノセントな人間である。
 劇中でも、どんな映画? と何度訊かれても、自身の本拠基地・大田原愚豚舎のことやモノクロ映画であることぐらいしか答えられない。運命の女(ひと)にも、変わった映画です、と伝えるのが精一杯だ。だが、辿り着いたバーで、彼は想いを口にする。

 ほんと面白い映画だし、いい映画だと思ってるんですけど。

 いきなり、映画がピークを迎えた気がした。そこには、言い訳なしの言霊が宿っていた。
 そして、この言霊の愛らしさは、渡辺紘文の作品群から感じられる特別なちからと、明らかに重なりあっていた。
 あゝ、いま、ふたりの映画作家が、確かなコラボレーションをしている、と思った。

 これが、リム・カーワイから渡辺紘文へのラヴレターであり、映画へのラヴレターであり、映画館へのラヴレターであり、映画文化へのラヴレターである。
 主人公は、ヒロインとダンスする。彼女の吐露も、無数の彼女も、無人の客席も、すべては、『あなたの微笑み』のメタファーだ。すべては、幻影=妄想かもしれないが、それは在る。映画が存在するように、映画館が存在するように。わたしたちは、スクリーンとダンスしている。今日もデュエットしている。
 北上の果てに、主人公はある場所に辿り着く。もう彼はお風呂に入らない。
 彼方へと消えていくかに思えたラストカットの先には地続きのエンドクレジットがある。
 オフショットやメイキングやドキュメンタリーというよりも、あれこそが「地球の真中」なのではないか。あれこそがお風呂なのではないか。
 リム・カーワイは優しい。
 渡辺紘文は優しい。
 すべては、あなたが微笑むために。



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