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First Love(初恋の思い出)

おれが生まれ育ったのは、田舎の群馬県の中でも特に田舎と揶揄されるような小さな村で、街に出るにも山ひとつふたつ越えないといけないような場所にあって、そこで18歳まで過ごしてたんですけどね。

もう本当に小さな村で、恋するか勉強するかどっちかしかない田舎の村にあって、当時中学1年生、13歳のおれは初めて恋をしていた。同じクラスにいたおさげの女の子のことが好きだったんです。

彼女はクラスの中心にいるような感じでもなく、かといって隅のほうにいるような感じでもない中庸。逆に言えばどちらの属性とも分け隔てなく接することができ、学校生活全般大抵のことはソツなくこなす。当時も今も空回りばかりのおれにとってはなんつーか、いささかマブしいぜ!という存在でした。

それで、どうにかして彼女とお近づきになりたいと思うわけなんですが、同じクラスという点を除いてほとんど接点がない!年間を通して複数回「席替え」があったのですがどういうわけか彼女はいつも遠くの席に配置され、また様々学校行事のグループ分けでも一緒になることがなかった。

どうにかしてあのおさげの女の子と接触しなくては、今に彼氏ができちゃう!だってあんなにも魅力的なのだからと焦りはじめます。そこで、おれは彼女が吹奏楽部、おれの姉と同じ部活に所属しているという共通項としてはやや遠い線から攻めていくことにしたのです!

とはいえ初手で「おれの姉ちゃんって~~」みたいな話から入ると「は?何?シスコンなの?」と思われかねません。これではいけない。やはり旬の話題から入るのがスマートだと考えました。折しも季節は夏。コンクールの時季です。家では毎日のように姉がコンクールの課題曲がどうしたとか自由曲がどうしたとか、そんな話ばかりしてたから知ってたんだ。そこでおれは意を決して彼女に話しかけにゆくわけです。

「吹奏楽部はコンクールが近いんだろう?」
「そうそう来月、よく知ってるね」

・・・以上です。おれは憧れの彼女に話しかけるということを目標に据えていたので会話とはキャッチボールであるということを一切勘定に入れていなかったのです。

これでは浅すぎる。彼女とより深い話、なんかもっと音楽の話とかできるようにならねばと考えたおれ。翌日から姉の部屋に夜な夜な忍び込んでは、姉の部活道具、楽譜とか曲のCDなんかをこっそり拝借することにしたのです。いやもっと中学生っぽい、テレビドラマの話とかAqua Timezの話とかいくらでも話のきっかけはあるはずなんですが、当時のおれは頑なに音楽の話に糸口を見出そうとしていたんです。

しかし、おれは元々音楽がとても苦手。楽譜も読めなきゃリコーダーすらまともに吹くことができなかったので、音楽的な話とかは全然だめなわけです。

それでも、姉の部活道具を基に様々リサーチを重ねることで、どうやら今年わが校の吹奏楽部はとあるロシアの歴史小説をモチーフにした楽曲をコンクールの自由曲に据えているということを突き止めました。

当時音楽は全然だめでも勉強は少しできたんで、楽曲で表現されていること、すなわちモチーフとなったロシアの歴史小説のストーリーの把握から始め、そこからさらにロシアの歴史について紐解いていくことにしたのです!

おれは今でこそ、この暴走に「自意識オーバードライブ」と名前をつけて付き合っておりますが、当時はロシアの歴史を知ることが彼女とより深いコミュニケーションを図るための唯一の手段であると信じて疑いませんでした。

そして数週間かけてみっちりロシアの歴史について勉強をしたところでふと疑念が湧くわけです。

「ロシアの歴史について喋って仲良くなれるのか?」と。

彼女は多少曲に纏わるストーリーは把握してるでしょうが、当然音楽をやっているわけですから、音楽表現としての理解でしょう。曲で描かれているストーリーは長いロシア史の一部分に過ぎません。だからロシアの歴史なんて知ったこっちゃないわけです。

よく知らんロシアの歴史について聞いてもいないのに饒舌に語るおれを、分け隔てなく接する彼女はその場ではニコニコと聞いてくれるでしょう。しかし、「なんか知らないけどロシアの歴史についてめっちゃ詳しいちょっと気持ち悪いヤツ」という印象を与えてしまうのではないか。そう危惧したおれは、別のアプローチを探ることにします。

小中学生にも分かるロシアを象徴するものといえば「コサックダンス」ですよね。ロシア史を齧ったおれからするとこのコサックダンスは厳密に申し上げますとウクライナの文化なのですが、一旦そういうことにします。というのも、わが校の自由曲、モチーフになったロシアの歴史小説は、コサックダンスが生まれた「コサック」という戦闘民族?集団?をテーマにしたものだったのです。

おれは、何も知らないふりをしてある日突然コサックダンスをクラスで披露したら、当然まじめな彼女は今年の自由曲がコサックがテーマになっているものだと知っているはずですから、すなわちそれが彼女との話のきっかけになるのではないか?と考えました。恋心あるいは自意識の暴走とは恐ろしいもので、おれはその日からコサックダンスの習得にフルコミットすることにしたのです。

毎日剣道の部活が終わった後、道場に残って特訓をします。あのコサックダンスの体制をキープし続ける特訓、音楽や仲間の手拍子に合わせて踊る特訓、そして鏡を見ながら美しい姿勢で踊る特訓など、具体的な取組を挙げるとキリがありません。あれは体制をキープする筋肉・リズムよく組み替える筋肉・そして体幹それぞれ別の筋肉を鍛える必要があって非常にいい運動になる!剣道もそれでちょっと強くなった気もするんですが、とにかく2~3か月ほどの猛特訓を経て、ついに独学でコサックダンスを完成させたのです!

それである日、クラスで一発芸を披露する時間がありました。言うまでもなくおれは学級随一のお調子者として通っておりましたから?いの一番に前に出張ってコサックダンスを披露するわけですよね。クラスのみんなから手拍子を集めて、当然彼女も手を叩いてくれるわけです。うれしかった。好きな女の子の手拍子に合わせて踊る、13年生きてきた中でのハイライトです。

ひとしきり踊り終わって休み時間、憧れの彼女がおれのもとへやってきます。

「コサックダンスすごかったね、実はうちの部活でも今度コサックの曲やるんだ」

きた!果たしておれが思い描いたストーリーと同じ流れです。しかし、当然それを把握していて、それでコサックダンスを習得したと彼女が知ったらどう思うでしょうか。「必要以上に吹奏楽部の事情に詳しいうえになぜかそれでコサックダンスまで習得したちょっとキモチワルイ奴」と思うに違いありません。

そこはシラを切るのが最高にクール。おれはトボけることにしました。

「あ、そうなんだー、そういえばおれの姉ちゃんもコサックがどうのこうのとか言ってたなー」

・・・会話終了です!数か月にも及ぶ特訓の末、得られたものはわずか一言、二言の彼女との会話、そして無駄なロシア史の知識とコサックダンスのスキルです。彼女とお近づきになる目的というのはいったい何だったのでしょう。

宇多田ヒカルは15歳そこそこで「最後のキスはタバコのFlavorがした」と、ニガくてせつない香りであると初恋を表現しています。おれの初恋はコサックダンスでございます。この差に涙が出そうになりますが、紛れもないおれのFirst Loveのニガくてせつない思い出です。

翌年から彼女とはクラスも別になり、中学3年間ほとんど関わり合いになることはありませんでした。その後高校進学後に何らかのきっかけで彼女と付き合ったんですが、すぐに別れてしまいました。

コサックダンスも齢30を目前に控え、ビール腹になりかけの現状、たぶん踊ることができません。あれだけ勉強したロシア史の知識ももうすっかり抜け落ちてしまいました。思い出以外には何も残っていない現在です。


この間YouTubeで以下の動画が流れてきました。

みずみずしい青春の一幕とたいへん面白くみていたのですが、同時に有り余るエネルギーをよくわからない方向へいっぱいに注いだ13歳の頃の自分を思い出したのでした。そんな感じです。

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