見出し画像

建築論の問題群 01  〈形態言語〉   かたちことばと建築のかたち    

市原出(東京工芸大学教授)

 第1回ラウンドテーブルの当初の問いは香山壽夫の「形態言語」と「かたちことば」とはなにが、どう違うのかであった。そのことに関連して発言した、建築のかたちに関する二つのテーマのそれぞれの論点を記す。

1.形態言語とかたちことば

 香山壽夫の数多くの論文、著書の中から以下の1論文、3著書を取り上げ、それら文献の構成の図式化を試みる。そしてそれらの中で、「かたち」と「ことば」、あるいは「かたちことば」がどのように位置づけられているかを検討する。

□ 1973:「建築の形態分析」(a+u 73:11, pp. 3-16)
実用論   ⇄   構成論   ⇄   意味論
        −−−−−−−−形態論−−−−−−−−
 建築についての議論を実用論、意味論、構成論に分ける。実用論は人間の行為や生活の効用、使用に関することとして主に空間論とし捉えられ、人間の行為すなわち機能との関係で論じられる。かたちの問題は主に意味と構成の問題であり、意味論はかたちの意味を、構成論はかたちの要素とその関係を扱う。この図式のとおり、構成と意味とは既に形態の中に取り込まれている。構成論は建築のかたちの構造がことばのそれと同型性を有するということ、そして意味論は建築のかたちがことばと同じように意味を伝えることを示している。
 ここで、「意味が依存している形態」というフレーズがある。かたちが意味を発するのではなく、意味がかたちに依存する。意味がかたちに先んずる、あるいはそもそもかたちと意味とは不可分である。

□ 1988:「建築形態の構造」(東京大学出版会、1988)
  
要素論           ⇄           構成論           ⇄           構造論           ⇄        基本構造論
  構成論、すなわち建築が言語と同様の構成形式を持つことの厳密化。しかし、構成を意味から説明する際の客観性の問題を指摘し、構造論へと展開する。たとえばルネサンスとバロックの構成的説明が、ヴェルフリンとフォシヨンとで正反対であることは矛盾ではない。

□ 1996:「建築意匠講義」(東京大学出版会、1996)第8回:表象について 住むことと表すこと
   
空間論          ⇄        (形態論)      ⇄           表象論
  意味論、すなわち建築がことばと同様に意味を伝えることの厳密化。住むこと(空間論)を起点にして、表すこと(表象論)、人間の共同の価値の表現に向かう。そこで提示されるモデルが建築空間の基本構造であり、(空間を穿つのではなく)要素を知りそれを関係づける、すなわち構成論とも連関する。

□ 2021:「建築を愛する人の十三章」(左右社、2021)第十三章:建築は語りかける
  
かたちと意味の問題が「形態言語」、「形言葉」、「かたちことば」、   「かたち・ことば」、「カタチ・コトバ」と用語は揺らぎながらも整理された。建築がかたちことばであるならば、今日的状況はいかに理解可能であろうかという新たな問いでもある。

2.かたち/かたちに則して考えること/かたちについて考えること

  かたちについて書かれた文献を集め、かたちの概念の一般的理解を導くことを試みた。しかし、かたちはむしろアプリオリなものとして捉えられている傾向が分かった。ここでは建築形態論との関係から、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)とランスロット・ロウ・ホワイト(1896-1972)のかたちを取り上げる。
 ゲーテは「1796年11月12日付のシラーへ宛の書簡やこの頃の日記の中で,ギリシャ語のmorpheをもとにして,初めて形態学(Morphologie)という言葉を用いた。」(高橋義人、「形態と象徴」pp. 163, 164)。ゲーテの形態学の主たる対象は生物である。かたちは常に変化しており、形態(Gestalt)としての静止した共時的理解は無効である。「形態学の序文を書こうとすれば、形態について語ることは許されない」(ゲーテ、「自然と象徴」p. 39)と記している。ゲーテ にとってのかたちは生成、変化するもので形成(Bildung)である。だから、原型(Urtyp)とメタモルフォーゼ(Metamorphose)という考え方が導かれる。形態学という語がmorpheをもとにつくられた所以でもあろう。そして、かたちを動的なものとして捉えるこの対概念が建築形態における変化、すなわち設計過程や、様式形成の問題と通底する視座を与えてくれる。また、自然のかたちを対象化するのではなく、思惟が自然に寄り添うように思考する。ゲーテ が実践した「対象的思考」もかたちと切り離せない。
 それでは目の前にある建築のかたち、すなわち作品形式はどのように捉えられるか。ホワイトは「20世紀は<形態>という概念に対し、まだ標準となるべき定義を与えていない。」(ホワイト、「形の冒険」p. 21)と記している。そして、要素還元的な西洋近代の分析的手続き(atomizm)に対して、全体性を重視する総合的手続き(wholism)を重視する。アーサー・ケストラーのホロンのように部分と全体とは相対的であるから、部分に向かう思考と全体に向かう思考の双方が必要で、それらの関係はそのまま構成(構造)である。つまりかたちは複数の部分からなり、さらに大きなかたちの部分としてある。建築の全体形が、あるいは部分形が弁別的要素として捉えられれば、それらを関係づける構成を知る手がかりとなる。そしてそれらの要素はあるまとまりをもつかたちと言うことができる。


市原出

1958年福岡市生まれ。学部・修士とも東京大学で香山壽夫の指導を受け、1983年修士課程修了。同年宮脇檀建築研究室入所、設計実務を行う。1987年香山研究室の博士課程に戻り、ペンシルヴァニア大学(1990-91年)で行ったアメリカ初期郊外住宅の研究をもとに、1993年東京大学で博士(工学)取得。設計活動を行いつつ、1994年に東京工芸大学に着任。近代以後の社会に近代的な郊外は不要との考えから、ロウ・ハウスとそれによって形成される「外の部屋」としての街路空間の研究を進めている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?