見出し画像

感情処理の仕方を教えてください

1月から夜勤をしている。私の職業は看護師、このNOTEで親しい人は良く知っていること。
以前の職場では、数分も座れず休憩もできなかった過酷な夜勤を経験しているから多分どうにかなるのだと多寡をくくっていた。

看護師の職業を長年続けていると、「当たる人」と「当たらない人」に分けられる。私は後者の「当たらない人」だった。「当たる」とは、不謹慎かもしれないけど急変やステルベンに勤務中よく遭遇する事(*ステルベンとは患者さんがお亡くなりになったということ)医療業界ではよくある会話なんだけど、「この間の夜勤、当たった」とか「Aさんよく当たるから一緒に夜勤組みたくないね」とか。私の場合は、12,3年この仕事をしているけれど担当した患者さんをお看取りしたこともなければ、勤務する時はいつも単調で平和な日々を過ごすことが多かった。

なのに

最近は忙しい勤務に「当たる」。
昨日の夜勤でも患者さんを1人お看取りした。



その患者さんは、1月の末まで普通に毎日を過ごしていた。癌は患ってはいたけれど毎月の治療を懸命にしており、”生きること”を諦めていなかった人。

入院して初めての週末、日勤で担当した時その人は言った。

「いつ退院できるんですか?ここに入院していると、このまま死んでしまうんじゃないかと不安になって仕方がないんです」と。
私はなんて言葉を返したらいいのか困惑した。患者さんが少しでも早く自宅に帰りたいと希望するのは当然の事、でも「そうですよね」なんて簡単に言えないのがこの仕事の辛いところだ。
気休めの言葉なんて患者さんは求めていない、真実を知りたいから・・・。けれど私からは真実を言えないのだ。
なぜなら治療方針の一手を握っているのは医師で、私たち看護師は日常生活のお世話をしているに過ぎないのだから。

「○○さんは、身体がきつくなって日常生活に支障をきたし入院をしてきました。しばらく様子を見ながら、主治医も自宅に帰るように調整をしていくと思います。今は少しでも安静にしていく事が治療ですよ」
付け焼刃の言葉で返す。こんなんで納得しているわけではない、十分に分かっている。それでも今の私には言える精一杯の言葉だった。

昼間にご主人が面会に来られた。昨晩から現在までの病状をお伝えする、どんな患者さんの家族にも必ずしている事。

「先週までは元気だったんです。先週末にはカラオケにも行くほどでした。だけど、急に体調が崩れて・・・。」
説明を聞いた後こわばった表情で発言をする。

見守っていた家族にも信じられないほどの病状の進行だったのだろう。



数日して、病状は悪化していき食事もままならないほどになっていた。ご主人は時間の許す限り食事の時間に来ては優しく介助を行っていた。「今日もあんまり食べなかったです」と悲しそうな顔をしながらも必死で笑顔を作って本人に話しかけていた、そんな姿を見て胸を掻きむしられた。病気という刃に人間のあがきは儚いもので成す術もなくただ見守っていくことしかできない、そんな自分に歯がゆさを感じる。家族はもっと感じていたと思う。

2人に1人が患ってしまう癌という病。その病は見えない症状でどんどん身体を蝕んでいく。診断がついた時には根治の治療を施せないケースが少なくはない。
告知をされ、絶望のどん底に苛まれる本人・・・きっとこれまでもたくさん辛い思いをしてきたはずだ。

なのに・・・

なのに。

言い知れない後悔が頭の中を駆け巡っていく。




昨日の晩、私は彼女の担当だった。
夕飯を配膳する、病室に入ると虚な目で一点を見つめている。

「どこか痛いですか?それともきついですか?」

その人のそばに寄り声をかけると、静かに首を振った。食事を持ってきたことも伝えると「食べたくない」と細い声でつぶやく。

19時過ぎ

「寝たいけど、眠れない」と切羽詰まった表情で訴えられた。
「昨日と同じ眠たくなる点滴をしますか」と投げかけると頷き、予定よりも早い時間から薬物を使用して眠りを促した。

夜中、落ち着いた寝息で休んでいるその人を見て、安心する。
呼吸状態も落ち着いて、穏やかな顔で眠っている姿に「このままの状態で朝までいってほしい」と願った。

2時間の仮眠をとり、4時半ごろ仕事に戻ると相方の先輩看護師が

「3時過ぎから呼吸が荒くなったんだよね」と。すぐに病室に入り様子を見ると明らかに呼吸が違っていた。朝になるまでもつのか、職業柄、最悪の状況ばかり想定してしまう。朝になるまでにみるみる病状が変化していく。分刻みで病室に足を運んだけど、6時ごろになると血圧が測定できなくなってしまった。

もう家族に連絡しないといけない。

夜間連絡すると家族は動揺してしまう。だからタイミングを見計らないといけない。連絡して30分後、ご主人と息子さんが到着した。到着するまでも呼吸はみるみる変わっていく。息子さんは病室に入って本人を見るなり「下顎ですね」と言った。彼は医学生だったので一瞬で状況を把握した。ご主人は本人を見るなり顔を撫で名前を読んでいた。

それから3時間後静かに息を引き取った。



緩和の病棟で働いているから他の病棟よりもお看取りを重ねる頻度は多いのかもしれない。夜勤で勤務するたびに誰かが旅立ってしまう、仕事が終わって家路に向かう車の中悶々とした気持ちで運転をする。どんな風に運転したのか分からないくらい考え込んで気が付くと近所までたどり着いていた。

こんな日はまっすぐに家に帰れない。


決まってある所に向かう。そこはネットカフェ。1人カラオケでどうしようもない感情を放出する。メロディに乗ってない大声で叫ぶとなんだか心が落ち着いていた。人の死に目の後に歌をうたうなんてどうゆう心境なんだろう、ふと我に返って客観的に自分を見つめる。

だけどこんなことでしか自身の感情を切り替えられない。

私はそれほど器用にできていない。どうしようもない感情をすぐに処理する方法を見つけられないでいる。


病院から一歩出たら職場の事は忘れないといけない。そうしないと、つぶれてしまう。ON/OFFの切り替えをきっちりしていかないとね

職場の先輩からさんざん言われている。でもそんな簡単には片づけられない。今も同じ風景が夢に出てきたり、夢の中でも仕事をしていたりとなかなか切り替えられることが出来ていない。

器用に切り替えが出来たなら優秀になれるのだろうか。もっと仕事が効率的にできるのだろうか。
その答えはまだ出てない。

これからどうやって患者さんに向き合っていけばいいのか分からない自分がいる。深く関わらないようにしようとすればするほど深く入ってしまう。そうして感情移入していくんだ。


感情の処理の仕方

器用にできる人は私に教えてください

どうしたら心を痛めずに済むのか・・・。

最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!