見出し画像

忘れてしまってもいいように

書くことを、誰からも求められていないのにも関わらず、こうやって電波に乗せて文字を発信する。わたしが、わたし自身のためにやっていることだ、と実感する。久しぶりに、noteに文字を打ち込む。6月中にも、何度か書いてみたものが下書きには残っているけれど、完成させられなかった。
わたしにとって、文字にすることは精神安定剤のような効果がある。なんでも、簡単に忘れてしまうから。待ちに待ったライブも、熱中しすぎた本も、渦中は我を忘れて没頭している。けれど、目の前を過ぎてしまい、忘れたくないと思えば思うほど、すぐそばから記憶が曖昧になっていくのがわかる。だから、忘れてしまわないように、ばかみたいにメモをする。気持ちも、感情も、一瞬浮かんだことばも、なかったことになってしまわないように。別に誰に見せるわけでもない。ただ、感情や頭のなかに浮かぶ言葉を、つかまえたい。貧乏性なのかな。

ちょっと前までのわたしは、愛されるには技術が必要だと思っていた。だから、諦めていた。でも、愛(じゃないのかもしれないけれど、それに近しいもの)をもった行動を与えてくれる人と関わる時間が増えたことや、もともとそうだった人のことをちゃんと見つめ直せたことで、歯車が前向きに回り始めている気がする。こういうのは全部、タイミングで、波で、運もある。わかっていても、落ち込んでいた。必要以上に汲み取らなくてもいい。しんどくならない距離感を、探しているところだ。

相変わらず、“ちょうどいい”を見つけられなくて、足掻いているけれど、勝手につぶれそうになっていた気持ちから、引き返してきている。今の現在位置を見誤りたくない。「できない」ことを認められる、「やりたい」ことを言葉にしたい。言葉は大事だ、傷つけにくい言葉を、攻撃的でない言葉を、健全でなるべくフラットな言葉を。気をつけていても、ぽろっと出てしまうことがある。その自分を認めつつ、修正していくと決めた。

できることが増えていくのは嬉しい。ちいさく自分を褒める癖、認めてあげる癖がついたら、もうちょっと生きやすくなるだろうなぁ。コミュニティで関わっているオーナーは、褒めるのがめちゃくちゃうまい。出し惜しみせずに言葉にして伝えてくれる。ちょっと照れちゃうほどに。物事が前に進んでいくのがたのしいし、地味な作業だったとしても土壌が整ったら、特別認められなかったとしても、うれしく感じる。「ちがう」からこそ、チームになれる、というのは本当だね。

備忘録。
夜の散歩、22時まで開いているアイスクリーム屋のベンチで、クリームソーダとオレンジショコラ。iPhoneは持って出ていないから、目に焼き付ける。なんて贅沢な時間なんだろう。いつかの記憶。
ぽかり、穴ぼこは空いたままでいい、埋めようとしたから傷付いた。埋まるわけないから。そのままのわたしで、生きていく。不完全でしかないけれど、いや、完全がなんなのかも知らないけれど、それを面白がって、仕方ないねって笑っていたい。

夏の始まりみたいな暑い日に鎌倉へ出かけた。作家さんと一緒に悩みながら注文した、自分のためだけのリングは、夏に届く。同じように一人で来ていた人と、微笑み合う。戦友のように。つよくなりたくて、何かを決意するために、この1年を過ごすために、オーダーするYear Ringってコンセプトがすごく素敵だと思った。そして来年もまた注文したいと思えた。わたしという容れ物で、生きるための予約。みちしるべ。今は、感情が揺れるのも、怖くなくなってきた。あたらしく関係を築いていくのは、面倒で痛くて、しんどい。でも、面白さだってたくさんあるはずだ。それを信じられる自分で在りたい。

雨が降り出してきた。安全な場所で書いているから、やわらかく守られているよう。雨音を聞いたまま眠る。おやすみなさい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?