思考のルーツを辿れるように、書く

近所のセブンから、男の人が出てきた。ジップロックに入った、8分の1カットされたスイカを持って。夏じゃん。

わたしが信頼したい、って思うのは「タスクだけど、嘘はつきたくない」と言っていたから。どうしたって、愛は行動で、言葉だ。それでしか、わからない。でも行動や言葉を強制するのは、よくないよな、とも思う。わかっているんだけど。いや、わかっていないのかもしれないな。
“心に決める”は、愛のひとつだ。ただ一緒にいると決めるだけ。たとえば血がつながってなくても子供として育てると決めるだけ。(最近見ているTHIS IS US、とてもいいよ)他に、外野から何を言われても、吹き飛ばせる理由。

静かな1DKの部屋で暮らしていると、自分は守られているな、って感じる。キッチンを片付けて掃除しやすくしたり、好きなドライフラワーのブーケを壁に飾ったり。夏は虫にビビりながら生活することにはなりそうだけれど、風通しがよくて窓も多くて明るい、気持ちのいい部屋。
ゆるやかに、ひとりでいることに慣れていく。時間はたっぷりあって、家事も食事も自由きままだ。(朝昼食べなくても、誰も何も言わない)
誰かと暮らすことは幸せでもあり、憂鬱でもある。人とかかわることでは、ずっと穏やかで平和ではいられない。波は、ある。でも、その面倒もぜんぶ引き受けてたのしいを選択したい。生きるって、面倒で面白い。

この連載を読んだ。耳が痛かった。
人は、偏見を持たずには思考できないということ。謙虚になるきっかけも少ないということ。自分は平均以上だと思い込んでいること。

多様性があったらいいなぁ、それが許されたらいいなぁ、と思っているつもりだ。でも、わたしのなかにも頑なな考えはあって、怒りやかなしみもあって、それを殺してしまうことは難しい。(多分そうできるようになりたいとも思っていない、うまく折り合いをつけて生きたいけれど)
この連載にあったように「自分の思考のルーツを辿れる」ようにする癖はつけておきたい。

書くことやメモすることは得意だけど、見直すことや振り返りは苦手。だから、ひとつずつやっていこう。
今週は、いろんな人に褒めて(認知して?)もらえて(単純にかかわる人が増えたり、私自身の行動量が増えたりしたのもあって)うれしい1週間だった。素直にまっすぐに「ありがとう、助かっている」とか、「前よりよくなったね」とか「前向きな姿勢いいね」みたいに言われる場に身を置いている気がする。前より、心地いい。心地よくて、いいのかな?って不安になることもある。これはもしかしたら、これまでに傷つかないように予防線張ってきた後遺症なのかも。純粋に、できることが増えるの、うれしい。

書いていて、岸田奈美さんの、この文章を思い出した。失敗したり壁に当たるのも、ちょっとたのしみにしている自分がいる。すごい。

今日は詰める日(アルバイトとイベント!)、明日はおやすみする日。わたしも、夏っぽいことしたいな。今年は花火がないの、さみしい。

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