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軽やかに生きるのさ

過去の自分が嘘のように、なぜか気持ちが穏やかで晴れやかだ。焦っていた4月のおわり、5月のほぼ半分以上、自分自身に振り回されていたのに。不思議な気持ちで、このnoteを書き進めている。なにが変わったのか、ながめてみようと思う。

大きくは、コミュニティでの役割を得て、人と話して前に進めていく過程で、枠を取り戻せたこと。やってみなよ、というハードルが低い。ぽんと前に進むことを自然と応援してくれる大人たちに囲まれていた。好きなものの話ができる友人たちや、軽々と憂鬱な気持ちを飛び越えていけるような言葉をくれる人に救われた。もちろん、毎日自然体で向き合い続けてくれているパートナーには感謝しかない。ほんとうに。わたしだったらとっくに自分自身を見捨てたいような気持ちで過ごしていたから、彼は、すごい人だ。

運動もはじめた。万力さんのラジオ体操に参加したり、5月後半からは関さんのオンラインピラティスのアーカイブを見ながら毎朝地道に続けたり。(これにパートナーが巻き込まれつつあるのも、ちょっと嬉しい。)
プランクを始めて精神安定したと、スイスイさんが書いていたが、確かにきちんと朝起きて体を動かせた日はすっきりしている。ちょっとやそっとのことじゃイライラしづらくなった。(やっぱり波はあるけれど。)調子に乗って、TANITAの体組成計も買ったので、1日3回くらい体重をはかってスマホアプリに飛ばしている。グラフができていくのを見るのは楽しい。あと、体内年齢が20歳なのが地味に嬉しい。

やりたい、と思っていたことを時間をかけて取り組めたことも嬉しかった。本を読んだり、読みたい取り入れたいと思ってAmazonのほしいものリストにただ溜まるだけだったものを購入して生活に組み込んでいく。ブックマークを溜めずに読める。流れていく、というより流されていく日々が輪郭を持ち始めたのが、わたしにとっては喜ばしいことだった。生まれた小さなwantをいつか、と後回しにせずに向き合えることが嬉しい、って忙しい毎日では気付かなかった気がする。お金も大事だけど、一緒にいる人や関わる人との時間がもっと大事。やさしくなれる余白があることが大事。

優先順位が、少しずつ変わって(というか、固定観念に邪魔されなくなって)顔を出してきた気がする。なーんてわかったようなことを書いてみても、まだ波のなかにいる。どんどん本は買い足すから積ん読の山だし、好奇心を掘れば新しい好奇心が生まれて終わりはない。すべてに疲れて、赤子のように眠っている日もたくさんある。でも、いいや。自分の心地良さを手放さないままでも、社会とつながっていけそう、って思えた。甘いけど、手を伸ばさなければ掴むことも、掴めなかったと悔やむこともできないから。そうやって、私は仕事もコミュニティも副業も、いろんな、おもしろいって思える人と出会えてきた。ので、やりたいって思っていることはやる。できる方法を探す。

時間がそれでも足りない、って思ってしまうので、石川善樹さんの新刊を買ってみた。届くのがたのしみだ。


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