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【小話】徒然なるままに、3月3日

閉店状態

ラジオは毎週開店するけど、こちらはすっかり閉店ガラガラ状態ですね。
気が向いた時に書こうと、気付けばすっかり1ヶ月が経とうとしていました。
今日は気が向いたので、つらつらと徒然なるままに。

反省が攻撃に変わる

日々反省することは山とあります。
特にラジオをやった後は放送を聞き返して、ああだこうだと反省と後悔を繰り返します。でもそれがいつしか「攻撃」に変わっていることに気が付かず、気づいた時には自分で自分を滅多刺しにしていたことも多々。それが先週のことでした。

「なんでこう、自分のやってきたことを正当に適切に見れないのかな」と、また反省。反省すると同時に、自分のやってきたことを承認することも、また必要なことなのだと、「反省」した次第です。エンドレス反省。

愛されていた記憶

今日はひな祭り。午前中に歯医者に行って歯をゴリゴリされながら、夕方の番組のオープニングで何を話そうかな?と考えてました。
ひな祭りが近づくと、毎年母が雛人形を飾ってくれました。割と大きなお雛様だったので飾るのも一苦労な作業だし、片付けるのもまた同じく大変な作業です。
雛人形は片付けるのが遅くなると婚期が遅くなるという俗説があります。ひな祭りの翌日には母はテキパキと片付けていました。

毎年ひな人形でお祝いして、嫁に行き遅れないようにと片付ける。その母の想いを改めて思ったとき、私はめちゃくちゃ愛されていたことを思い知りました。

だけどそれはひな祭りの時期に限ったことではなくて、常日頃、福岡から応援してくれている両親にとって、私はきっと大切な存在なんですよね。もちろん、私にとっても両親は大切な存在です。
だから幸せを願うし、楽しい日々を送ってほしいし、いつまでも元気でいてほしい。間違っても苦しんでほしくないし、辛い思いはしてほしくない。
きっと、私に対しても同じ思いでいてくれてるんだろうと思います。

思いを受け取るとき

「私なんて」と思うことはたくさんあります。だから冒頭で書いたように、自分を攻撃して滅多刺しにしてしまうこともあります。
でも、もし自分の大切な人がそんなことをしていたら、私はすごく悲しい。自分で自分を攻撃するなんてやめてほしい。そう、切に願うでしょう。

であるなら、私自身も自分を攻撃することをやめないといけない。
少なくとも、私を愛してくれている人にとって、それは悲しいことだと思うから。

自分を自分で大切にできないときは、誰かの思いを受け取るとき。
自分で自分を愛せないときは、誰かからの愛を受け取るとき。

ひなまつりの思い出から、母の思いを受け取った今日となりました。

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