4月2日(金)


「思テ之ヲ得ル」道 ―― 伊藤仁斎に思う

黒瀬 愛


『本居宣長』を読んでいくうちに、伊藤仁斎という学者のことが、私の心に強く入り込んできた。小林秀雄先生は、伊藤仁斎について次のように書かれている。

―― 仁斎は「語孟」への信を新たにした人だ、と先に書いたが、彼の学問の精到は、「語孟」への信が純化した結果、「中庸(ちゅうよう)」や「大学」の原典としての不純が見えて来た、という性質のものであった。「大学非二孔氏遺書一弁」は、「語孟字義」に附された文だが、その中で仁斎はこう言っている。「学者苟(イヤシク)モ此(コノ)二書(「論語」「孟子」)ヲ取ラバ、沈潜反復、優遊厭飫(イウイウエンヨ)、之(コレ)ヲ口ニシテ絶タズ、之ヲ手ニシテ釈(オ)カズ、立テバ則(スナハ)チ其(ソ)ノ前ニ参ズルヲ見、興(ヨ)ニ在レバ則チ其ノ衡(カウ)ニ倚(ヨ)ルヲ見、其ノ謦咳(ケイガイ)ヲ承(ウ)クルガ如ク、其ノ肺腑(ハイフ)ヲ視(ミ)ルガ如ク、手ノ之ヲ舞ヒ、足ノ之ヲ踏ムコトヲ知ラズ。夫(ソ)レ然(シカル)ル後ニ、能(ヨ)ク孔孟の血脈ヲ識(シ)リ、衆言ノ淆(カウ)乱(ラン)スルモ、惑ハサレザルヲ得ン」。仁斎は、その批判的な仕事の物差しを持っていたわけではない。孔孟の血脈を自得した喜びが、自分の仕事の原動であることを固く信じた。「語孟」の字義の分析的な解は、この喜び自体の分化展開であったと見てよい。この喜びを知らぬ学者は、「筌(セン)ヲ認テ魚ト為(ナ)シ、蹄(テイ)ヲ取テ以テ兎(ウサギ)ト為ス」徒に過ぎず、そのような「語録精義等ノ学ハ徒(イタズラ)ニ訓詁ノ雄ノミ、何ゾ以テ学トスルニ足ラン」(「読二宋史道学伝一」と笑っている。
彼の考えによれば、書を読むのに、「学ンデ之ヲ知ル」道と「思テ之ヲ得ル」道とがあるので、どちらが欠けていても学問にはならないが、書が「含蓄シテ露(アラハ)サザル者」を読み抜くのを根本とする。書の生きて隠れた理由、書の血脈とも呼ぶべきものを「思テ得ル」に至るならば、初学の「学ンデ知ル」必要も意味合も、本当にわかって来る。
(新潮社刊、『小林秀雄全作品』27集所収 105頁11行目から106頁11行目)

 そして、もっとも感銘を受けた箇所はつぎのように書かれている。

―― 三十歳を過ぎる頃、漸(ようや)く宋儒を抜く境に参したと考えたが、「心窃(ヒソカ)ニ安ンゼズ。又之ヲ陽明、近渓等ノ書ニ求ム。心ニ合スルコト有リト雖(イエド)モ、益々安ンズル能(アタハ)ハズ。或ハ合シ或ハ離レ、或ハ従ヒ或イハ違フ。其幾回ナルヲ知ラズ。是ニ於テ、悉ク語録註脚ヲ廃シテ、直ニ之ヲ語孟二書ニ求ム。寤寐(ゴビ)ヲ以テ求メ、跬(キ)歩(ホ)ヲ以テ思ヒ、従容(ショウヨウ)体験シテ、以テ自ラ定ルコト有リテ醇如タリ」、私が繰り返すのではない、仁斎自身が、自著の到るところで、繰り返している事だ。「孔孟之学註家ニ厄スルコト久シ」、自分には註脚を離脱することがどんなに難しい事であったかを、彼は繰り返し告白せざるを得なかったのである。「語孟字義」が、一時代を劃(かく)した学問上の傑作である所以(ゆえん)は、彼がとうとうそれをやり遂げたところにある。
彼はひたすら字義に通ぜんとする道を行く「訓詁の雄」達には思いも及ばなかった、言わば字義を忘れる道を行ったと言える。先人の註脚の世界のうちを空(むな)しく模索して、彼が悟ったのは、問題は、註脚の取捨選択にあるのではなく、凡そ註脚の出発した点にあるという事であった。世の所謂孔孟之学は、専ら「学ンデ知ル」道を行った。
成功を期する為には、「語孟」が、研究を要する道徳学説として、学者に先ず現れている事を要した。学説は文章から成り、文章は字義から成る。分析は、字義を綜合すれば学説を得るように行われる。のみならず、この土台に立って、与えられた学説に内在する論理の糸さえ見失わなければ、学説に欠けた論理を補う事も、曖昧な概念を明瞭化する事も、要するにこれを一層精緻な学説に作り直す事は可能である。
宋儒の註脚が力を振ったのは其処であった。仁斎が気附いたのは、「語孟」という学問の与件は、もともと学説というようなものではなく、研究にはまことに厄介な孔孟という人格の事実に他ならぬという事であった。そう気附いた時、彼は「独り語孟ノ正文有テ、未ダ宋儒ノ註脚有ザル国」に在ったであろう。ここで起こった事を、彼は「熟読精思」とか、「熟読翫味」とか、「体験」とか、「体翫」とか、いろいろに言ってみているのである。
( 同 27集所収 108頁から109頁)

この中で「思テ之ヲ得ル」がとりわけ胸に響く言葉だった。仁斎は、寝ても覚めても論語と孔子の事が頭から離れず、憑りつかれたように読み尽くし、考え抜いた人だ。何年もの歳月をかけて取り組んだ。学問にとって、「学ンデ之ヲ知ル」事と「思テ之ヲ得ル」事は両方大切だという。「学ンデ之ヲ知ル」というのは、書物(論語)を読んで新しく知った知識、得た知識のことだという。得られた知識から文脈をたどり、註脚を用いて、ああだ、こうだと分析することも一つの学問である。しかしながら、「思テ之ヲ得ル」とは、書物の文章から成る字面や意味を追いかけるのではなく、孔子が論語の中で訴えたかった本質的なもの、ここで仁斎は“その血脈を知った”と言っている。そしてその「まことに厄介な孔孟という人格の事実に他ならぬという事であった。」その事に気が付いた仁斎について小林先生は書かれている。
「思テ之ヲ得ル」という言葉は、小林先生と伊藤仁斎の思想がひとつに重なり合った地点ではないのだろうかと感じた。小林先生は、仁斎の事を「彼は「熟読精思」とか、「熟読翫味」とか、「体験」とか、「体翫」とか、いろいろに言ってみているのである。」と丁寧に細やかに取り上げて書かれているからだ。

では「学ンデ之ヲ知ル」という事と、「思テ之ヲ得ル」という言葉は、私の中でそれぞれにどのような意味合いをもっているのだろうか。
  
私は五歳のころから絵を習っている。絵を描くこと、観ることが大好きだったから、母が親心で先生を見つけてくれた。絵画芸術の世界に初めて触れたのは、六歳のころ、上野の西洋美術館で開催されたゴッホ展から始まった。幼い心に鮮烈に焼き付いた絵だった。展覧会の人混みの中で、小さい私は、大人の足の間をトンネルのように潜り抜けて、一番前に行き、ゴッホの「アイリスの花」を観た。五十代になった今でもアイリスの藍色を覚えている。大人になってからは、芸大大学院で油絵科をでられたK先生に習っている。先生は、お心が広く穏やかで秘めたる情熱を感じる先生だ。常にご自身の絵の制作に向かっていらっしゃる姿はご立派だ。「“黒瀬さんの持つ面白さ“を最大限に引き出せるように心がけている」と仰って、穏やかに御教授くださる。先生は、野見山暁治や林武といった錚々たる画家たちに師事された。ご自身の絵は、ルネッサンス期を想起させるような深く、時に淡く、精緻な絵を描かれる。
先生は私に「中川一政のようなタッチで描いてみなさい」とおっしゃる。高すぎるハードルだ。先生は中川一政を尊敬している。そんなこともあって、私は三回ほど中川一政美術館に足を運んだ。湯河原の静かな海のそばにある素晴らしい美術館だ。まず、絵の勉強は、本物の絵をじっくり観ることだ。機会が多ければ多いほど、自分の中でそれが基礎作りとなる。観ることによる学びは、絵を心に焼き付ける作業で、これが私にとっての第一の「学ンデ知ル」事だと思う。
中川一政の仕事のなかで、強烈な印象を持ったものが「箱根駒ヶ岳」だ。百号のカンヴァスに、「箱根駒ヶ岳」を何枚も描いている。NHKのドキュメンタリーでは、中川一政は八十歳になっても箱根の山中で百号のカンヴァスに向かっている。立って、カンヴァスと向かい合い、山々と対峙し、色と形を考えながら格闘している姿は、中川一政の絵に対する生き様だ。K先生は「中川一政のように凄い情熱とエネルギーは真似できない」とおっしゃる。しかし、K先生も時間を作っては、八王子の高月町の河原に出かけ、川と土と石ころと、木々と、丘と、様々な風景の中に立って、同じアングルから同じ風景を何枚も油絵で描かいている。こちらもすごいエネルギーだと思う。K先生のお考えは、モチーフに自分自身の身を直接置き、現場の空気や風や匂い、暑さ、寒さ、光を全身で感じることから生まれてくる絵というものを大切にされている。「“その場の空気感のような何か”が絵の中に出せたらよい」とK先生はおっしゃっている。私の絵も中川一政やK先生のように現場で生直にモチーフと向き合い、格闘する鍛錬が必要だ。これは尊敬する師の行いをまずは、真似ることから始めなければならない。これも「思テ之ヲ得ル」ことのうちに入るかもしれない。

絵の勉強と論語の学者の世界では意味が違うと言われるかもしれないが、決してそうではない。徹底して同じモチーフに挑み続けた中川一政も、伊藤仁斎も学び尽くすという点では同じではないか?

中川一政の「箱根駒ヶ岳」は、六十歳代、七十歳代の作品よりも80歳以降に描いたものが一番凄い。燃え上がるような画面からは中川氏の魂を受け取るように思える。観る私が絵の前から動けなくなるのだ。そうしたときに、小林秀雄先生が味わった、ゴッホの絵の前で動けなくなった時の情景を思い出した。そしてさらに、「箱根駒ヶ岳」絵の前でふと、小林秀雄と中川一政との濃密な交友を思い出した。小林秀雄先生と私がこの絵の前で繋がっているような不思議な感覚を覚えた。「箱根駒ヶ岳」を私の全てで感じる。彼の絵と私の間に、余計なものは一切存在しない。美術館の空気や照明すら介入するものは無くなるのだ。

伊藤仁斎が繰り返し告白している「(論語の)註脚を離脱すること」は、絵の勉強に置き換えてみると、数多くの絵画を観て「学ンデ知ル」事から最後は脱却し、モチーフを生直に見尽くしたその先にあるもの、K先生がおっしゃる“その場の空気感のような何か”を私の中で得られれば、絵を観る者にそれが伝わり、人と絵の間にはそれ以外何も無い、観て動けなくなるような絵を描けるようになるかもしれない。それが「思テ之ヲ得ル」道に通じるのではないか? 
中川一政の絵を観た後、興奮を冷ますように夏の湿気を帯びた潮風にあたりながら美術館の庭を歩いた。そのときふっと、小林先生の書かれた仁斎の“「体験」とか、「体翫」とか”の言葉が心をよぎった。
(了)

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