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療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.50

1月のバオバヴカフェの前半では、「ケア」という言葉からイメージすることをシェアしたりと、身近なところから、「ケア」にまつわる言葉をやりとりする。「子育て」「介護」、、
そこから、テキスト(今回は、美術手帖74号「「ケア」をを起点に考える新しい社会のかたち」の章)を読み進めていく。
「ケアについて考えようとすると、同時に格差や人種、インターセクショナリティの問題も関わってくる(杉田敦)
「……資本主義にさえも抵抗できる可能性」(岡野八代)
「依存関係は必ず第三者を必要とする」(田中功起)

3人の対談から、「(人と人との)関係性」といったようなところに、話題が集まっていく。

関係性の質の変化。
ケアしている側がケアされているような感覚になるということ。
たとえば、赤ちゃんのお世話をしているうちに、自身が和んでいくような、相互作用によって、関係性が生き生きと変化していくこと。
そこには、人間の持つ自我の取り扱いへの、古くて新しい道筋があるように感じている。「身体性」は、そういうまなざしからもどんどん活用していきたいし、「ケア」にまつわる諸々は、この「からだ」を抜きに語ることがないような、そんな感触を、バオバヴカフェでは、注意深くやりとりしてきている。
次回は、「女性」「「保育」「身体」‥などとケアにまつわる章を扱う予定。
後半は、以下のトピックスを、花沙さんよりシェア。何となく耳にする言葉は、SNSのおかげで、増えているが、正しく理解しておくことの重要性を、皆で確認。

<雑感>(文責:花沙)
 神経発達症(発達障害)は先天的なもので、脳の特性が大多数の方とは違いがあるのですが、最近「第四の発達障害」という言葉を知って、それについて調べてみました。
児童精神科医の杉山登志郎「子ども虐待という第四の発達障害」(学研,2007)という本の概要をシェアしました。ちなみに、第一の発達障害は肢体不自由や知的な遅れ、第二はASD(自閉スペクトラム症)、第三はLD(学習障害)・ADHD(注意欠陥多動性障害)とのことです。
杉山氏の著書によると、生後に両親や身近な大人から虐待を受け続けて育った子どもは、脳がダメージを受け、先天的な神経発達症の子どもと似たような症状が現れるといいます。このことを第四の発達障害と呼ばれてました。
子どもの症状からは、先天的なものなのか、生後の虐待によるものなのかは判別が難しく、いずれの場合も神経発達症として診断されてしまうとのことです。しかしながら、先天的な場合と、生後の虐待の場合では、同じ対応(同じ療育や、同じ種類の投薬)ではうまくいきません。それぞれのケースに合わせた対応が求められるとのことです。

著書を読み、詳しく脳の状態を調べることも一つの手段なんだなと思いましたが、そもそも生後に虐待を受けて育った子どもは、医療や福祉につながるチャンスが無く、児童相談所など公的な場で保護されてはじめて、神経発達症なのかなと気づかれるのだと思いました。虐待があったので保護されるわけですが、中にはもう少し大きくなって、犯罪を犯して少年院などで保護されてから、虐待の過去が判明する場合もあるようです。
先天的な場合と、生後の虐待の場合とでは、判別が難しいにも関わらず、それを見極めて対応を変える必要があるとは、かなり困難なことだなと思いました。生後の虐待の場合では、愛着障害などトラウマ症状が見られることも、一つのヒントになるようです。

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