破壊と創造の神々

古代エジプトの神、セト神。
兄オシリス神を殺し、オシリスの息子ホルスと王位を巡って争い負ける。砂嵐、争い、破壊の神であり、守護神でもある。
生命を意味するAnkhを持ち、権威と繁栄のウアス杖を持つ。
ヒンドゥー教、シヴァ神
破壊と創造、瞑想、アート、解脱の神。
第三の目、首に巻かれた蛇、三日月の髪飾り、三叉の槍を持っている。
仏教、不動明王
大日如来の化身、衆生を救済するため忿怒の姿をしている。魔を退散させる三鈷剣、煩悩から救い出す羂索を持つ。

破壊の神々は、守護、再生、救済、生命の根源でもある。
過酷な自然現象や、争いを起こす人心を、諌め、鎮め、許し、守る姿。
対となるオシリス神やパールヴァティ、大日如来の影のように、飢饉や戦争など不安な時代に広まり崇められてきた神々。

神々は、宇宙の真理、悟りの境地を体現した姿と、恐怖や怒りと戦い守る姿でも表される。
平和な時なら穏やかな顔のやさしそうな姿に救われても、不安な時何が真実かわからない時は、一見そうはみえない姿のほうが信じられることがある。
破壊的な怪獣みたいな、わけのわからないものしか、心に響かず、不条理と戦えず、本当の自分をわかってくれないと感じる時がある。

この曲を聞いて、進撃の巨人を見ていた。
人知を超えた力は、必ず大切なものを破壊する。
巨人は壁を壊し、人を食い、街を人を分断する。その出現は、平和に暮らしていた人々に憎しみや恐怖、不条理と無気力をもたらす。
その力に抗うには、さらに強大な力が必要なのか?強大な力だけが守り世界を救えるのか?

無意識に大量の人を殺し破壊する巨人と、大切なものを守るために戦う小さな人間。皮肉とも思える運命の歯車。
わからない、理解できないという恐怖と鬱屈を、見ないふりをしたり、否定して閉ざす心と、共に生きる道を探そうと壁の外に出る勇気と信念。
破壊の後の、憎しみや恐れや怒りを超えたところにしか、再生と新しい創造はない。

真実を見つけようとする想いの糸が一本一本縒り合わされていけば、思いもよらない力になる。
奪われても失っても、繋がれていく想い。
それは、強大な力の一撃より、ささやかな一歩からしかはじまらない。

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