視点を変える

小学校の学級文庫に、少し離れた二つの点を同時に見て、焦点がぼやけてきたころに、ある模様を見ると立体に絵が現れる、という本があった。
トリックアートとか不思議絵とか、一見砂嵐や模様にしか見えないものから、突然立体的な形が浮かび上がる。見える人は見えるし、見えない人は見えない。
この曲を聞いたとき、あの感覚を思い出した。

見えているものをあえてはっきり見ず、焦点をぼかしてその奥にあるものを見る感覚。
見えない時はどうしても見たいとやっきになり、本当にそんな絵はあるのかと疑ったりするけど、一度見えてしまうと大したことないと思える。
視点をぼかしていくその過程は、瞑想や変性意識へ向かう過程とも似ている。
私たちは焦点を合わせているところしか観測していない。
錯覚や勘違いや思い込みのフィルターを通して、同じものを見ていたとしても、見ている人によって見え方はすべて違うのではないか。
顕微鏡で見れる細菌と、電子顕微鏡でしか見れないウイルスや、まだ知られてない微生物がこの世界の大多数を占めていて、人の目が見える世界はほんの一握りに過ぎないように。
そして、自分にしか見えてない光や色や音が、この世界であると信じていることに気づく。
「人」という存在中心に世界を見ている時代から、「微生物」を含めた存在と共に人が生きる時代へ。
誰もが同じものを見て、同じように感じようとしてきた時代から、一人一人が見て感じている異なる世界を表現しながら、繋がっていく時代へと。

小学生の休み時間は、こっくりさんが流行って、二人で握った鉛筆が50音の書いた紙の上を動きだしたり、椅子に座った子を4人で囲んで、一人ずつ頭の上に手を重ねたら、人差し指だけで椅子の子を持ち上げられるようになったり。
あの時感じた、畏怖や高揚や得体のしれないものへの興味。

視点を変えることで、当たり前や日常から、違和感を越えたその先に、思いもよらない真実や、未知の可能性が立ち現れるのかもしれない。
#第6チャクラ #水瓶座

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