スイートスプリング

年末年始はいつも宮崎で過ごす。じいちゃんとばあちゃんの家が宮崎だから。

でも、じいちゃんが亡くなってからは、ばあちゃんはおばちゃんの家に住むことになり、じいちゃんとばあちゃんの家は従兄弟に受け継がれた。だから、ここ5年くらい、年末年始はおばちゃんの家で過ごしている。

とはいえ、おばちゃんの家はじいちゃんとばあちゃんの家から徒歩5分くらいだから、場所的にはほぼ変わらない。だけれど、テーブルに置いた乾電池がコロコロと転がるような、少し傾いたあの古びた木造の家で過ごさない正月は、私にはまだ少し違和感が残る。

年末年始は料理が豪華だ。最初、とにかく出されたものは「おいしいおいしい」と手をつけていたのだけれど、それが数日続くとなると胃も疲れる。

そんなとき、目の前に差し出された黄色い果実は、とても魅力的だった。

「なにこれ?ポンカン?」
「スイートスプリング」

すでに食べやすく切ってあるそれを口に含むと、じゅわっと甘酸っぱい果汁が広がった。種が多いのは難点だけど、めちゃくちゃ美味しい。味の濃くて脂っぽいものばかり取り込んでいた胃もやすらぐ感じがした。

「それねえ、じいちゃんがつくったんだよ」

がりっ。思わず噛んだ種を吐き出しながら「どういうこと?」と訪ねた。

「言ってなかったっけ。じいちゃん、自分が病気になったとき、農作業ができなくても育つものをつくるって、それを植えたの」

定年になっても、よく動くじいちゃんだった。おばちゃんの家の横にある小さな畑でスイカを育てたり、船に乗って海に出たり、私たち孫を軽トラに乗せてプールに連れていったり。

だから、病気になってベッドに寝たきりのじいちゃんを見るのは変な感じだった。悲しいとかじゃない。なにかおかしいという曖昧な感覚だった。

じいちゃんが死んでからも、私はその事実をすべては受け止めていなかったと思う。もちろん、じいちゃんがもうこの世にいないのはわかっている。

でも、じいちゃんが元気なときの記憶ははっきりしているのに、元気じゃなくなってからの記憶はふわふわしている。現在に近い記憶の方が、より鮮明に残っているはずなのに。そして、なんというか、そのふわふわした感じが、いま現在にも続いている感じなのだ。


目の前にあるスイートスプリングはぴかぴかに光っていた。

じいちゃんはいない。でも、スイートスプリングは放っておいても、毎年自分でやってくる。芽をつけて、花を咲かせて、実がなる。それが毎年毎年続いていく。

じいちゃんはいないのに、私は、じいちゃんがつくったスイートスプリングをずっと食べられる。

それって変な感じだね?そして、すっごく嬉しいことだね。

私は、目の前にあるスイートスプリングをもう一つ頬張った。

ありがとうございます。大好きなスタバ(ガソリン)に使います。