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【NZ高校留学記】コモンルームでの葛藤

みなさん、ハリーポッターの映画(あるいは原作)を一度くらいは観たことありますよね?
どの回だったかよく覚えてはいませんが、作中に「コモンルーム」というものが出てくるのを覚えていますか?もしかしたら日本語吹き替えや字幕番では「コモンルーム」とは呼ばれていないので気付かれていないかもしれませんが、ホグワーツ城の各寮(グリフィンドールやスリザリンなど)にある寮生が利用できる共有スペースです。
あれは、作者J.K.ローリンズの母国である英国の学校には基本あるはずのもので、僕が通っていたニュージーランドの高校にもコモンルームがありました。
勿論、ハリーポッターのようなオシャレな感じは全くなく、普通のクラスルームみたいなものでしたが。

このコモンルーム…思い返せば、留学し始めた当時の僕にとってまさに ”鬼門” の場所でした。

今回は、そのコモンルームにまつわる話を、英語でよく使う表現「Get out of your comfort zone」と絡めてシェアしていきたいと思います。

”Get out of your comfort zone”

(自分の居心地の良い場所から出ろ)

ちなみに、日本語では逆の意味ですが、緊張感のない緩い環境にいる様を「ぬるま湯に浸かる」という表現をしますよね。

コモンルームとは?

以前、留学を始めた当初の僕の英語力が絶望的だったことをシェアしましたが、成長するためには自分にとって居心地の良いところではなく、あまり居心地の良くないところに行くことも時として必要です。

まずはもう少しコモンルームという場所がどういうところなのかを説明する必要がありますね。
僕が通っていた現地高校には、一日の中にTea BreakとLunch Breakという通常の授業間よりも少し長めの休みがありました。Tea Breakというのは2時限目と3時限目のクラスの間にある少し長めの休み時間みたいなもの(たしか20分程度)で、生徒は軽いスナックを食べたりする時間です。Lunch Breakは文字通り、昼食の時間です。
これらの時間中、生徒たちは自由にこのコモンルームを使うことができます。
各学年(といっても、高校2年と3年生にしか与えられませんが)に一部屋ずつコモンルームがあって、その学年の生徒であれば自由に出入りすることができるのです。(多分、他の学年でも特に問題はないと思いますが)
授業が終わると各教室から生徒たちが沸いて出てきて、次のクラスがあるまでの時間、それぞれの生徒はみんな思い思いに時間を潰すようなところです。コモンルームに強いて日本語で名前を付けるのであれば、「集いの場」みたいなものでしょうか。
休み時間になるとこのコモンルームに自然と生徒が集まってきます。そして、部屋の中で各自、飲んだり食べたり喋ったり、小さなグループで輪をつくったりして自由に過ごすのです。
ちなみに…(別の記事書く予定ですが)日本の学校のように”自分のクラス”という概念はあちらにはありませんでした。

浸かっている湯はぬるま湯か?

僕の学校には地元の生徒たちが集まるコモンルームがある他に、留学生が集まる部屋も存在していました。普段はESOLのクラスとして使われている部屋(通称、ESOLルーム)であり、そこを主に留学生がコモンルームとして使っていました。特に留学生”だけ”の部屋ではないのですが、この部屋に現地の生徒たちが入ってくるほぼありませんでした。理由は当然で、(残念ながら)外国語が飛び交う空間に現地学生もわざわざ行こうとは思いませんよね。
そうなると、このESOLルームは英語がネイティブではない留学生同士がつたない英語でもコミュニケーションが取れる、いわば”ぬるま湯”になってしまっていました。
そんなぬるま湯に浸かっていては英語の上達はあまり見込めません。
となると、

留学生が多くいるこの部屋には行かず、できるだけコモンルームに行って現地の生徒と戯れろ!

が、海外高校留学の模範セオリーですよね。はい、真っ当なご意見です。

しかしですね…
英語での日常会話すらままならない当時の僕に最初からそれを課すのは、赤ん坊に急に「大人がギリギリ入れる熱さの風呂に入れ」と言っていることと同じことです。

ぬるま湯に浸かっていては最大限の成長が見込めないのは確かなことかもしれません。でも、当時の僕にはおそらく海外の現地校に突然留学をしたという時点でその環境自体がぬるま湯ではなかったはずです。
むしろ、すでに若干熱いくらい、自分の能力が環境に合っていない状態だった気がします。
なので、現地学生に混じり全集中で授業を受けた後にある休み時間にかろうじて意思疎通ができる他の国から留学生や同じ日本からの留学に来ている先輩などと交わせるたわいもない会話は、僕にとっては少々厚めのお湯に浸かりながら飲むコップ一杯の救いの水のような存在だった気がします。

なぜ、この期に及んで、僕が自分を擁護するようなことを言っているのか。
それは、この高校留学生活が、僕というタクシーの運転手がお客様を乗せて目的地に行くときに求められていることと同じだと考えているからです。

アクセルとブレーキのバランス

海外高校留学での自分の行動は、車の運転と似ていて、アクセルとブレーキのバランスがとても大事です。
車の運転で、どのタイミングでどれくらいアクセルを踏んだり、時にはブレーキを掛けたりするのも全て自分で判断しますよね。それは全く同じことが留学生活の自分の行動にも言えるのです。
アクセルを踏むというのは、留学生活で言うところの"居心地の良い場所"から出ることで、要するに意識的に努力するということです。そして、ブレーキというのは自分が頑張り過ぎる自分を抑えてたまにぬるま湯に浸かったりする感じでしょうか。
何が言いたいかというと、アクセルをべた踏みにすれば、当然スピードは上がりますよね。留学生活では、自分にプレッシャーを掛けすぎたり、自分のキャパに見合わない努力をしてしまって潰れてしまうことも珍しくありません。そうなってしまっては元も子もないですから。
タクシーの運転手が運転で求められることは無事故で安全に目的地に辿り着くことであり、事故のリスクを上げてまで目的地に早く着くことではないのです。もちろん、安全を守ったうえでスピードを出して早く目的地に到着できたら、それはプラスアルファの要素であり、それが最重要ではないということです。

目指せ!コモンルーム

さて、いつものことながら話が脱線してしまいましたが、ようやくコモンルームでの話です。

留学開始から時間も過ぎ、自分なりの安全スピードを保ちながらフルスピードで運転を続け、僕も英語での日常会話がなんとかできるようになったので、いよいよコモンルームを目指すことにしました。

ある日、意を決して、同学年の同じく日本人の同級生と共に、恐る恐るコモンルームへと入っていきました。
(ちなみに、彼は僕よりも一年早く留学を始めているので、僕よりも英語は喋れましたし、キウイの友達も多少はいました)

その時の光景は、脳裏にしっかりと焼き付いて…
なんていません!!!笑
自分の中で抹消したい負の記憶としてとっくに消し去ってしまったようです。

でも、おぼろげに覚えていることは、部屋にはたくさんのキウイ(現地学生)がいて、仲良し同士で集まり、談笑していました。
僕が入っていったからといって、みんなの目が一斉に…なんてアメリカのドラマのような光景なんてなくて、トラウマになるようなことも一切ありませんでした。
ただその時できたのは自分からキウイに話しかける勇気もなく、ただその場に突っ立っているだけ。その間ももしかしたら誰かが話しかけてくるんじゃないかという得体の知れない恐怖、話しかけられたらなんて返すかを無駄に考えたりして、とにかく居心地が悪い環境だったことは覚えています。
その時の僕にとって普通の”休み”時間もいわゆる”休む”時間ではありませんでした(笑)。

数こなせばじきに慣れていくと信じていたので、その後もただ突っ立ってるだけでもできるだけコモンルームに行くようにはしていました。

そのうち、僕が履修していた教科で近くの席に座ったことで話すきっかけができて仲良くなり、その流れで休み時間にコモンルームでも話をするようになったりしました。

こうして、僕の英語力は劇的に上達…

はしません。

キウイ達と会話がスムーズにできるほど僕のヒアリングやスピーキングの能力が急に飛躍的に上達するわけもなく、せっかく話しかけてくれたキウイとの会話も最初の挨拶の一往復で終わってしまうこともしばしば。
その時の気まずい空気といったら、もうリアルに「穴があったら入りたい」状態でしたよ。

この頃は、野球に例えるとバッターが「ストレート待ちなのに変化球を投げられて対応できない」ことがよくありました。
全ての英単語を拾いきれないうちは、とにかく会話の中で聞き取れた単語をどうにか組み合わせて相手の質問の意図を理解しようと必死になっていました。

今となっては笑い話になってしまうほど、ショボい話ですが、留学し始めの僕にはコモンルームに行くことはそれくらいハードルが高いことだったんです。それでもアクセルを一旦緩めたりブレーキを踏んだりしながら着実に前に進んでいきました。

こういう時って無駄に自意識過剰になっていたりするんですよね。
何もせずにただその場に突っ立っている時に「こんな自分っておかしなヤツって思われてないかな…」なんて。
「安心してください、誰もあなたのことなんて眼中にありません」

Well done, myself!

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