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5月の日記

5月1日
新しい家に引っ越した。2日目だけど既に馴染んできた。

以前の家は初めての一人暮らしで、思い出がたくさんあった。
家族と離れて1人で暮らすことは寂しい気持ちもあったけど、
自分の城を持てたみたいで嬉しかった。
あの家ではたくさん悩んで泣いたけど、楽しい思い出もあったな。きっとあの駅で降りたらあの時の気持ちを思い出すだろう。

5月2日
おじいちゃんが亡くなったことを知った。
いつも優しくて私のことが大好きとたくさん言ってくれた。
老後は自由に田舎で暮らしていて素敵な生き方だと思っていた。
もちろん、いいことだけじゃなく大変なこともあった。
初めて近い家族が亡くなって、その人の人生を最後まで見た。

私はずっとひとりで生きられるほど強くないし、
それに耐えられないと思う。
これから大切な人がいなくなることが多くなるのだと思うと
どうすればいいのかわからない。

5月5日
引っ越して数日経った。
以前住んでいたところから近いところなのに街並みが全然違う。
下町は、古い家が多いから家の歴史を考えながら散歩できるのが楽しい。

5月7日
たまにおじいちゃんのことを思い出す。
LINEがきたらちゃんと返事を送りたい。
思い出を思い返すとそこに生きている気がする。

5月15日
以前哲学者の方が「生きるすべてのものが怖かったから哲学を学び始めた」と聞いた。私もすべてのものが怖くて恐ろしかった。

恐怖はなぜという考えを持つことで理解できるのかもしれない。

“僕らの沸々とした日々の思いを
誰かと共有すればきっと変わるのかもしれない”

5月16日
前田エマさんのZoomに参加した。
話の終わりが宙ぶらりんになってしまうという話をしていた。
私も話の終わりに迷ったり宙ぶらりんになってしまうなと思う。
でもそれは話を聞いている人に託すという意味でいいのではないかと思う。

5月18日
今日はすごく暑い

Twitterを見ていて、
それぞれの人からみえる視点や立場でからしか物事は言えないし
誰かの意見や思っていることを読むだけでその考え方に染まりそう
人それぞれ見え方は違うから
誰が間違っていて誰が正しいということはきっとないのかもしれない

5月19日
私はなにものにもなりたくなくて叫ぶのだ
今の姿から変わりたいと怒るのだ
だから戦わなければならない
そうしなければ私は生きていけない

裏切られたと信じることについて考える
裏切られたと思うことは
自分の範疇を超えてしまったときに起こるのだろう
信じることは自分の想像力の範疇でしかない

5月22日
まだ何もできてない。終わりたくないな

5月24日
今の生活には満足しているけど何か足りない
自分の中の活力が使われてない気がする

普通になりたくないと叫んでも
結局普通という価値観に囚われていた

5月27日
流浪の月を読んだ

その人たちにしかわからない関係性や気持ちがあって
他の人には気持ちを汲み取ることができない

誰かを信じるって表面張力みたいに不安定だな

明日も明後日もあの2人が幸せに暮らせてるといいな

5月28日
懐かしい友達や知り合いにあった
懐かしすぎる、、時が経つのが早すぎるなあ、、、

5月29日
「西洋菓子屋 プティ・フール」を読んだ
すごくお菓子が食べたくなった

いろんな人の人生があって、その人の視点になってみないと
わからないことがたくさんある

5月30日
ずっと雨

なぜか高校生のときを思い出した

あの生ぬるい温度感の世界が嫌いだった
どこからか湧く焦りを感じ
一刻も早くここから抜け出したかった

毎日馴れ合うこの世界が嫌いだったけど
誰からも嫌われたくはなかった
だれにも縛られたくなかった

大人になってもあの私の気持ちを忘れないでいたい

まとめると5月はどんな月だったのだろう
正直に言葉にすることができていたのかもしれないし
まだ言葉にできてないこともあった気がする



いただいたサポートは活動のために使わせていただきます。今後服の制作やZineの製作などをしたいと思っています。