略語とうどんの呪縛のはなし

子供時代、テレビを見ていたら俳優の小栗旬さんが何らかの番組で「せっかく日本語は綺麗な言語なんだから略語や流行語を使わないでほしい。ヤバいとか使っている人がいたらあまりその人とは仲良くなれない。」的なことを言っていて、ひどく絶望したことがあった。

同時期、テレビでアイドルの松浦亜弥さんが「うどんは噛みちぎらないで一口で頬張って食べるのが一番おいしい。」とジャニーズアイドルに向かってかなり熱量高めに勧めていて、それまで麺をあまり吸わずに食べていた中2の私はこれまたひどく胸打たれ、謎の罪悪感と使命感に追われた。

このような理由からおそらく25.6歳までは略語を誇張したような言い方をするのは高校の友人との間だけに留めてたし、若干猫舌だけどうどんだけは頑張ってふーふー覚まして嚙みちぎらず食べた。

ある時たまたま知り合った友人が言い放った略語(それが何だかは覚えてない)を聞いた瞬間、強いからっ風が体を打つような衝撃を受けた。
彼はざっくり言うと井上陽水みたいな雰囲気で、古畑任三郎のドラマに出てくるような古風的なキャラなのに「マジで」とか「ヤバい」とか、まるでキャラにも似つかぬ現代の言語を多様に使って話していた。その一言を聞くまでの「古畑任三郎にでてくる脇役」なイメージから一気に「悪そうなヘビ(?)」みたいな現代のヒップホップシーンに通ずる緩やかな攻撃性を感じ、それにも似つかない新人種を発見した気分になった。
お笑いも好きなせいかいちいち話にオチがあり、受験期に落語家のラジオを聞いてるみたいな空間が演出できて、その人の話をボケラっと聞くのが好きだった。

それからは小栗旬の呪縛から解放され、現代人っぽく今の言葉を使うことに罪悪感を覚えることもなくなった。
今は親しい友人や家族には略語をよく言うけれど、初めて会った人やあまり親しくない人、歳上の先輩方にはTPOをわきまえて、略語・流行語の配合率を調整するのが今の私の正解だ。
逆に、仲の良い友人との会話で省略語を使うことはある意味その時のさじ加減次第で効果を発揮するパワーワードになれる。略語じゃなくて死語を言って笑ってくれる友人は何人いるんだろうとふと思う。。
うどんについては、数年後にそばの大ブームがブレークしたため一切食べなくなったが今食べたらうどんにちょっと申し訳なく思うかもしれないな。

こんな様に無意識のうちに自分で自分を縛る行為が他にもありそうだ。
なんだろう…と考えてみても自分の性質はビタビタに板に張り付いているので思いつかない。

みなさんは上記のように「無意識のうちに自分ルールを作り上げてたこと」ありますか?(もしかして、あんまりなかったりする…?)また、誰かの影響によって視野が広がったり心が軽くなった出来事でもいいです。
どんなに小さいことでもいいのでもしあればコメントで教えてください!

そういうことでこの話は終わりなんだけど、なんだか文筆が今はブームになりつつあるのだ。
面白そうなことがズルズル湧いて出てくるアウトプットの泉モードになっているので、こういう時こそ言葉の選択に細心の注意をはらいながら楽しくぼちぼち進めていきたいです。

全然関係ないけど、蛙の鳴き声を日本人は「ゲロッ」というけれど、英語圏では「レべッ(ribbit)」というらしいです。
舌を上あごにつけるようにしてRの発音をしっかりめに低い声で言ってみると、日本語よりも、よりリアルな鳴き声になります。
それを今日は夕食時に妹とテレビの番組で知って、目の前にいた猫に向かって「レべッ」「レべッ」と鳴いて遊んでました。
またねん

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