「このドアを閉めるまで」 作曲者の解説

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共に暮らすことが二人にとってきっと
良くないことだと分かって
別れると決めた朝 始発へ向かう途中
微かな光に映る白い顔
まだ眠ってる 君の顔

八月の夜明け まだ眠い
今日は君だけがいない世界の記念日
八月の夜明け 美しい
二度と忘れられない景色と
このドアを閉めるまでの人生

各駅停車に入り混じったのは
昨日の人と今日の人
言葉を交わしたり
目を合わせることすらできないままだ
今ならまだ戻れるのに
なんで私、戻らないの

八月の夜明け まだ眠い
今日は君だけがいない世界の記念日
八月の夜明け 行かなくちゃ
私は二度とここへ帰らない

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2022年5月25日にリリースしたアルバム「UlulU」の3曲目です。
この曲は、ファンの方や周りからかなり反響を頂いた曲でした。

UlulUのメンバーも、この曲に限らずともそういった声を聞いて嬉しかっただろうし、私もこの曲を作れた過去の形跡とは違った尺度で"より明るく"考えられるようになりました。これは確実にみんなのおかげだなと思う次第でございます。(みんなとは聞いてくれた方や楽曲制作に携わってくれた仲間たちのこと)

あんまり固いことをいっても読むのやめちゃう人がいると思うので、さっさと話していきたいと思います。

※この投稿は「このドアを閉めるまで」という楽曲の解説になるので、読みたくない方はそのままそっと閉じていただいて結構です。

UlulUのライブのセットリストに高頻度で組み込んでいるため、実際にライブを観に行った方は聞いたことがあるかもしれません。
何故なら、伝えたいことが完結かつシンプルな編成なので他の曲と喧嘩しにくいから。

要するに、Aメロの部分で簡潔に状況描写して、最終的に言いたいワードはラスサビのオチにもっていくという、まーありきたりな技法です。
メロと歌詞をしっかりサビオチで落とす。聞いてて気持ちの良いやつ。これはThe Beatlesの初期とかその時代の周辺のバンドがよくやっていますね。
ウルルの初期もかなりコンパクトで、彼等のようにストレートな構成に憧れていたので、ある意味「やかましくない」曲を作るよう大分心がけていました。(三分間だけ愛されたい、何でもない日etc…)

この曲は曲中のほとんどが状況描写ですね。ここまで聞き手に想像の余白をもたせたくなかったのは何故かというと、伝えたい景色が明確にあったからです。
「始発の電車で見た朝焼け」でした。
家のドアを閉めてから始発に乗って実家に帰った際のこと。
下北沢から急行で小田原方面に向かう途中、夕焼けと錯覚するほど暗い空から太陽がスーっと伸びていく瞬間を見て、無数ともいえる住宅に光がさしていく光景を眺めていました。
ひとけの少ない車内には、朝帰りの人がいれば勤務に向かう人もいる。
空と人とのギャップの奇妙さや、光のグラデーション、自分の身に置かれた状況からいつにも増して「特別な孤独感」を感じました。
強念がこもった体の状態のときほど意外と冷静で、周りの景色や状況を広い視点で見れてしまうものです。この時はまさにそういう超絶覚醒モードでした。

将来を考えていた相手なら尚のこと、「恋人との別れ」ほど執念が体を支配することはなくて(このジャンルにおいての話)、正の念に転ぶか、負の念に転ぶかは、その二人が積み上げた関係値と人間力次第ですよね。
「元気であってほしい」とか「二度と顔を見たくない」とか、断定した感情を整理できるより前に、おぼろげな意識のなかハッとさせるような景色が目に飛びかかってきた。
という心境がこの楽曲の土台になりました。

アメリカのシンガーソングライター、Taylor Swiftさんが「We Are Never Ever Getting Back Together」を2012年にリリースしています。(台本のないリアリティ番組の主題歌になって日本でもかなり有名。)
この曲の題名の日本語訳、「私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりはしない」。同じ語句を反復することで意味を強調していて、強い念が込められていることがわかります。
「ヨリを戻したりはしない」というワードに強烈に影響を受けました。

愛する人と別れる苦しみを、仏教用語では「愛別離苦(あいべつりく)」といいます。
大事にしてた人を「諦める・捨てる」のは誰にとっても簡単なことじゃない。

この曲を通して、ありきたりなコードと進行でもってでもサビのオチにパワーワードをもっていきたかったのは、そんな強い気持ちすら手放していこうよ!と肩を押す曲にしたかったからです。
心は重いまま、記憶も持ちあわせたままで。むしろ諦められないままでもいいんです。苦しい時はこの曲を聞いて身を寄せてくれたらと思います。

「諦」という字は「真理、道理」を意味する漢語です。
諦めるというのは、明らかにするという意味も同時に持っている。
また仏教において「諦める」とは、物事の執着を捨てて悟りを開くことでもあります。

…急に仏教とか悟りとか言われても、、、って思いますよね?笑
でも諦めるという言葉にはプラスな意味も含まれていて、人生の断捨離をすることは意外と悪くないよということが言いたかったのです。
このようなエッセンスも曲に含まれているということを知ったら、UlulUの曲ってやっぱ変だな!と思う人もいるでしょう。(正解ですよ)

もし「諦める」という言葉の意味について興味を抱いた方は、「諦観(ていかん)」「四諦八正道(したいはっしょうどう)」というワードを調べてみてください!

数年前、お客さんから「ウルルは愛だの恋だので膣が濡れてないから好き」といわれたことがあります。(エゴサしたらでてきたのかも)
バンドを好きになる理由は百人十色あってなんぼなので気にしてなかったんですが、気づかぬうちに恋愛を題した楽曲制作に鍵をしてました。(その人のせいではなくて自分の問題)
路頭に迷ったあげく意を決してこの出来事を曲にしたことで、ウルルにとっても新たなドアが開けたなと思っています。

また、曲を聴くことで過去の記憶にドアを閉めたり、開けたりすることができるのが音楽のえらいすごいところですね。

ここまで読んでくれた人はありがとう。
またほかの曲でも時間があるときに書いてみようと思います。
今までは音楽の背景は言わないことを美学として口を堅く結んでいましたが、楽曲をより好きになってもらえるならとやや言葉を選びながらまとめました。なので言いたいことは全部は伝えてません。

何よりこの曲を好きになってくれた方は私の記憶とはまったく違う場所で曲が生きてるはずなので、むしろどんどん自由に解釈していって下さい!
何卒、何卒、宜しくお願い申し上げます。

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